今思えば……

風見 新

第1話

 今思えば……


式の最中で男は柄にもなくそんな回想に耽っていた。


若くして実業家として成功し、仕事をこなして他者より優位に立つことを生きがいにしていたその男。

マスコミには期待の若手実業家として持てはやされ、金の力でバカもやってきた。

しかして富も名誉も全てを手に入れたその男だったが

今はほんのつまらない過ちによって罪に問われていた。


 別に反省の意識などはないし、裁判にでもなったら徹底抗戦をするつもりだ。

勝ち続けなくてはいけない……そんな昔からの信念、自己暗示にも似た観念が男を突き動かしていた。

そした勝ったら、またいつもの様に仕事に戻る……と男は考えているのだった。


そんな事の準備に奮闘している時に、ある一つの知らせが舞い込んできた。


高校時代の担任教師の訃報だ。


 男はそこまで義理堅い人間ではなかったから、そんな担任教師の顔など全く覚えてはいなかった。

しかし、古くからの知り合いの強引な勧めで男は渋々、その葬式に出席することとなった。


上京して以来、久々の地元は相も変わらず辺鄙な所だ。


駅からタクシーに乗って、数十分の道のり。


 特に感慨もなく、斎場にたどり着くと待ってましたとばかりに押し寄せるマスコミ。

その波をどうにかくぐり抜けた男はようやく、式場の末席で一息ついた。


周囲からは好奇にも似た目が向けられるも男は気にせず、片手間の仕事をこなす。


そんな折に式は始まった。


 まずは親族らしきどうやら担任の弟らしい中年の男の挨拶。

語られる言葉に別段思うところなどはない。

ただ、弟の『おせっかい』という言葉でなぜかふと昔のことが頭によぎった。

 

 あれは、高校の面談中の事だったか。惰性で出席し、話を聞き流していた時に不意に担任教師に言われた言葉。


 「お前、やりたいことがないなら、まずは人一倍儲けられる仕事を探すといい。」


 当時は何とも思わなかった、そんな『おせっかい』な一言。

それがたった今男の脳裏をよぎる。

思えば、あのころから自分はぼんやりと今の自分のようなものを思い描いていたと思う。

それは、夢など露程も抱いていなかった自分には僅かな光明であったのかもしれない。

今思えば……


 次に現れたのは、職場の後輩だという小太りの男だ。

この地味な男の良く分からない思い出話にも、大して興味はない。

しかし、話の途中で出てきた『働き者』という言葉に男は再び過去の回想に耽ることとなる。


 「人より頭一つ出たいのなら、他人の二倍働いて五倍稼がにゃいかんぞ。怠け者は働き者には勝てない、これを忘れるな。」」


 確かこれは、進路を決めたその時の報告での事だったと思う。

何をするにも自堕落で不真面目だった自分に何故かこの言葉だけはえらくすんなりと耳に入った。

具体的に数値が示されていたのが良かったのだろうか……

 なんにせよ、男はこの言葉の後、自分に利益のありそうなことには全力で取り組むようになった。

それがギャンブルだろうが、転売だろうが、普通のアルバイトだろうが、真剣に取り組んだ。

 そして、今に至るのだ。


 ふとしたきっかけに様々な事を思い出しながら、僧侶の念仏が耳を通り過ぎる。

そして気がつけば式も終盤に差し掛かっていた。

 最後に現れたのは、担任の息子だという。

自分と年齢はほとんど変わらない。ただ少しやつれて見えるのは気のせいではないだろう。


 疲れ切った表情で虚ろ気に語るその息子は物静かに語り、その低い声で放たれる言葉がまた男の脳裏の中の担任の言葉を想起させる。


 「晩年、父は自分の教え子たちが活躍していくの見てとても喜んでいました。

生徒さんからの手紙や年賀状、たまに見舞いくる生徒さんには慕われてましたようですし、父もそんな生徒さんのことをいつも気遣っていました。

つい先日もベットに寝たきりだった父がテレビに映った元教え子の一人を見て、驚く程快活な様子で電話をしておりました。

 その顔は息子である私でも見たことないくらい、優しくて……そして言いしれぬ愛情が見えました。」


 息子はそう言って目元をハンカチで覆った。


 『いいか良く聞け。人は勝ち続ける事ができない、いつかは負ける。そして負けて臆病になると人は次の一歩を踏み出せなくなるし、躍起になってしまうと

今度は沼に嵌まって戻れなくなる。』


 今思えばこの言葉はつい最近、聞いた話だ。

問題が露呈して、マスコミに取り上げられたその日に知らない番号の留守番電話に入っていたのだ。

 いたずらか冷やかしと思って気にかけてもいなかったが、あの時の受話器の声は弱弱しくも必死さがあって、そしてどこか懐かしかった。


 どうして俺はあの時、気づくことが出来なかったのだろうか。

 どうして俺は今まで担任の言葉を忘れてしまっていたのだろうか。

 過ぎゆく毎日が忙しすぎて思い出せなかったのか、それとも過去そのものと決別してしまったのか。

目の前をみると笑顔の遺影と目があったような気がして、決まりが悪くなる。

 男は目を閉じて、恩師との様々な日々を思い出しながら罪悪感と懐かしさの中に浸る。


 留守電の最後はこのように締めくくられていた。

 

 『俺はお前の誇りだ。だから、今は少し立ち止まって後ろを見てもいいんじゃねえのか?たまには負けるのも案外、気持ちがいいもんだぞ。』







 斎場を出た男は真っ先にポケットから携帯電話を取り出してこう言った。

 「裁判は中止だ、判決をそのまま受け入れる。……別に何でもねえよ。

ただまあ、ずっと勝ち続けてきたんだ、たまには負けるのもいいだろ。」

 そう言って、男は電話を切った。

日に照らされる男の顔にはいまや憂いや迷いの影は見えず、その頬には一筋の水滴が流れていた。

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