吸血聖母と、しもべのはなし。

先山芝太郎

第一話 吸血鬼になった少年のはなし。

(1)

 ――なんで俺がなんで俺がなんで俺が。


 空気とガラスに隔てられた無菌の空間に閉じ込められて、少年は何度己の不運を呪っただろう。

 十万人に一人。

 おおよそ0.00001パーセント。

 赤川太一の病気の発症率は、そのくらい発症率の低いものだ。

 慢性骨髄性白血病。

 血液のがんとも呼ばれるこの病気は、初期においてほとんどの患者に自覚症状がない。太一がも最初は食欲不振や貧血が続く程度だった。

 太一は我慢強い少年である。風邪をひいても、よほど症状が重くなるまで、つらい、だるい、と口にはしなかった。そういうのは甘えだと思っていた。それがよくなかった。

 やがて高熱や全身に激痛が走るようになり、病院で精密検査を受けて病名が発覚した頃には、太一の症状はかなり進行していた。

 白血病はもはや不治の病ではないが、それでも薬の効き辛い体質のものはいるし、発見が遅れると手の施しようがない、ということもある。

 増え続けて暴走する白血球は正常な細胞をも攻撃する。

 骨は内側から食い破られるように痛み、歯はボロボロで、頬はこけ、目は落ち窪んでいるのに腹だけが膨れ、髪は次々と抜け落ちた。

 健康だったころの太一は身長こそ低めだったが、容姿には恵まれていて、友達もたくさん居た。

 今はもう見る影もない。

 だからこそこんな姿は誰にも見られたくなかった。太一のこころはハリネズミのようにささくれだって、家族の面会すら拒み、熱と鎮痛剤で朦朧とする意識の中で、相手が誰なのかも分からず、世界の全てを呪う言葉を吐き散らした。

 その度に鎮静剤を打たれた。太一がひどく暴れるので、太一はベッドに拘束されていた。太一は食事もとらなかった。口の中には口内炎のようなものが無数にあって、水を嚥下しようとするだけで口腔と喉に激痛が走った。

 束の間落ち着いている時も、太一は虚ろな目で天井を見つめているだけだった。

 太一の精神状態を考えて、家族ですら容易には面会できなかった。看護師達は相当な手間をかけられているだろうに、太一に同情的な目を向けた。まだ十六歳なのに、と。

 なのに、なんだよ。

 太一はもう自分に先がないことを自覚していた。薬も効かない。実の親や妹ですら骨髄ドナーとしての適性がない。八方塞がりだった。空気とガラスで密閉された世界を呪う言葉は消え、暴れることもなくなった。


 「いつ終わるの」


 「いつ死ねるの」


 「死にたい」


 「殺して」


 自分に触れる手にすがり、老人のようにしわがれた声で懇願するばかりになった。自分はもう助からないことを、彼は確信していた。

 「死にたい」「殺して」と懇願し続ける十六歳の少年の看護は、若い医療スタッフではもう耐えられなくなっていたらしい。太一に近づくのは中年以上の女性が多くなったように思う。

 不幸なことに太一の国では安楽死は認められていなかった。

 もう助からないのなら早く楽にしてほしい、と思うのに、両親は無駄な医療費を支払い続けているらしい。そんな金があるなら妹の学費にでも当ててやればいいのに。おもちゃや洋服の一つも買ってやればいいのに。まだ小学生の妹は、そっちのけにされているのだろう。まだ甘えたい年頃であろうし、実際甘ったれの妹だった。太一は何もかもが憎くてしょうがなかったけれど、妹のことだけは哀れに思う。

 テレビドラマのような最期は家族と穏やかに過ごしたい、という気持ちは不思議と浮かんでこなかった。友達と会いたいとも思わなかった。メッセージめいたものを遺そうとも思えない。彼らの顔を思い浮かべるとなんで俺なんだなんでお前らじゃないんだなんでなんでと怨み事ばかりが浮かんでくる。

 未来があったはずだった。これから夢を、いくつでも描けるはずだと無邪気に信じていたのだ。

 死はいつだってひとの隣にいるのに。

 何日も苦しみ抜いて、太一は呪った。

 自らのエゴのために自分の苦しみを長引かせた両親を呪った。

 かわいそうだと言いながら、すぐに自分を忘れるであろう友人たちを呪った。


 それから妹のこと思って、


 太一は看護師に頼んで、油性のマジックを借りた。

 朦朧とする意識の中で、消えないように、手当たり次第、持ち込んでいた私物に書き殴った。



 つぎは おまえだ



 それが赤川太一の、『その世界』での最後の記憶である。

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