第320話 拓也を待ち続ける嫁達 ~涼の場合~
よく晴れた日の昼下がり。
阿東藩郷多部家別邸、通称「桔梗亭」の客間にて、懇談する二人がいた。
一人は、阿東藩主である郷多部元康公。
そしてもう一人は、その実の娘であり、今では前田拓也の実の嫁である、涼姫だ。
彼女は、定期的に父親である阿東藩主に謁見している。
実の親子であり、仲は良く、気心は知れているのだが、やはりそこは彼女にとっては敬うべき藩主という存在。常に敬語で接している。
そしてその話題は、いつも通り、前田拓也についてのことになっていた。
「……ほう、それでは、あやつは松丸藩にて、危険な戦いに挑もうとしているのか?」
「はい、本人は『自分が直接戦いに参加するわけではないので大丈夫』と話していましたが……」
「いや……海賊団との争いの時も、かなり危ない橋を渡ったと聞いている。まあそのときは、懇意になった若い女子を助けるために無理をしたということだったが……」
「今回も、若い女の子が二人、阿東藩の女子寮に保護されています……父上もご存じかとは思いますが」
「ああ、知っている。松丸藩の奥宇奈谷という場所の、しかも長老の孫という話だったな……どんな娘達なのだ?」
「二人とも、凄くかわいらしくて、素直でいい子です。けれど、盗賊団に襲撃されて、その二人は無事だったのですけど、従姉妹の方がひどい目に遭って、それを目撃してしまったらしくて……心に深い傷を負っています」
「……そうか……それで、前田拓也は怒っているのか……」
「はい……表面上は穏やかでも、多分……」
しばし、二人の間に沈黙が流れた。
その重い雰囲気を察したのか、涼は明るく振る舞う。
「……けれど、拓也様は冷静なお方です。怒っていたとしても、なりふり構わず盗賊団と戦おうとはしないはずです。綿密に計画を練って、安全に事をすすめるでしょう」
「うむ……それは俺も理解している。あやつは慎重な男だ……ただ、これは本人が言っていたことだが、どういうわけか、いつもあと少し、というところで想定外の事態に直面する、という話だ。あやつにとっては、それは未熟な自分を鍛えるために、神様が意地悪をしているということらしいが……それで仲間になってくれている人を窮地に追いやる訳にはいかないから、結局は自分でなんとか解決しようとしてしまう、とも言っていた。あやつらしいところだが……今回もそうなるかもしれぬ。しかし、いらぬ心配はせずともいいだろう。なにしろ、あやつには、桁外れの仙術と、有能な者が集う希有な人望があるのだから」
「そうですね……本当に凄い方……それなのに、そう感じさせない気さくな人柄……」
「……それは、一見しただけではそれほどの大物には見えない、ということだな」
「いえ、そのようなことは……あるかもしれないですね……」
相変わらず思ったままを口にする涼に、藩主は笑った。
「しかし、立派になったな……初めて会ったときは、まだ商人の称号すらもっておらぬ、頼りない若者に見えたものだ。しかしその目は澄んでおり、決意を秘めていた。その芯は強く、結果的に、懇意になっていた五人の娘達をすべて助け出し、さらには全員を平等に嫁にした」
「はい……それだけでも凄いお方なのに、私なんかを6人目の嫁にしてくれた……」
「そうだ……それで良かったと思う。そのおかげで、俺はあやつの義理の父になったのだ。これからも、阿東藩のために尽力してくれるだろう……まあ、今は松丸藩のやっかいごとに首を突っ込んでいるようだが、それもまた、ゆくゆくは阿東藩の利益となるのだろう」
「そうですね……それに、私も父上に感謝しています。拓也殿は、最高の旦那様です……私は幸せ者です」
彼女は、満面の笑みを浮かべていた。
「うむ……おまえがそう思っているのなら、俺としても嬉しい限りだ……ところで……涼よ」
「はい……なんでしょうか?」
阿東藩主が急に真面目な表情になったので、涼は何事かと眉をひそめた。
「……子はまだ、宿っておらぬか?」
父親が急にそんなことを聞いてきたので、涼は顔が熱くなるのを感じた。
「……は、はい、その……最近お忙しいですし、その……そもそも、他にお嫁さんが五人もいるので、なかなか……順番がまわってこないといいますか……」
しどろもどろになりながらも、浮かんだ言葉をそのまま口にする涼に、父親は苦笑する。
「いや、別に急かしている訳ではない。おまえとあやつの仲が悪くなっていないのであればそれでいい。だからまあ、焦るな。まずはあやつが、無事に戦いを終わらせて帰ってくることを祈ろう」
「……はい、そういたします」
涼はそう言って、また元の満面の笑みに戻ったのだった。
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