第307話 逆恨み

「『しきたり』と、如月について?」


 意外な南雲さんの申し出に、俺の言葉のトーンは、いささか妙なものになった。


「そうだ……この村の『しきたり』について、おまえはどこまで聞いている?」


「えっと……この村を訪れた若者に、子孫を残すために一晩を共にするっていうやつでしょう? それならばさっきも話していたとおり、聞いていますよ」


「そうだ。だが、如月は、それをたいしたことではない、と考えているようだった……そうだろう?」


「……まあ、それは確かに」


 先ほどの彼女の口ぶりからすれば、単純に一晩添い寝するぐらいにしか思っていないような雰囲気でさえあった……痛みを伴うかもしれないと知って、少し怖がっていたが。

 まあ、だからこそ、俺に悪意がないと知っているとはいえ、あれほど親密になれたのかもしれない。


「それで身ごもることも、ごく普通のことだと思っているのだろう。それがこの村のしきたりであり、何百年も続いてきた伝統だからだ。だが、外の世界を知っているおまえから見れば、どう思う?」


「……確かに、変わった風習ではありますね。でも、それがこの村にとって重要であることもまた、分からないではないです。狭い範囲での婚姻を繰り返していると、いずれ弊害が出てくる。どこかで、別の血すじと交わらなければならない……この地域にわざわざ嫁に来る人間がいないのであれば、一時だけであっても、訪れた男に夫となってもらい、外部から新たな『血』を受け入れる……問題は、そのしきたりを、女性が受け入れられるかどうかだとは思いますが……」


「そうだな……実際はもう少し複雑で、年齢の制限や、二代連続では受け入れないことになっている、などの掟もある。たとえば、如月の両親は、この村の者同士での婚姻だった。それで生まれたのが、彼女と妹の皐月だ。そしてこの二人は、外部から来た者の血を受け入れる役目を担うことになる。しかも、この村で最も尊いとされる長老の血筋だから、それはより厳格に適応される……例えば、たとえこの村の男と恋仲になったとしても、その男が彼女たちに手を出すことは、一切許されない……二十五歳になるまでの間だがな」


「……結構、厳格で厳しいんですね……」


 恋人同士になっても結ばれない、というのは、この時代ではわりとよくあることとはいえ、かわいそうな気がする。


「歳は、十六を過ぎればそのしきたりが適応されて、この村を訪れた、比較的若く、長老が認めた者がその対象となって、あの娘達の意志とは関係なく一晩を共にすることになる……ただ、如月の場合は、十六になったときにあの崖崩れが起きて、誰もこの村を訪れなかったのだがな」


 ここでいう十六歳とは数え年のことで、満年齢だと十四歳だ。

 そんな若いときから対象になるのは、やっぱりこの村の特殊事情によるものなのかな……。


「あやつは、このまま誰もこの村を訪れないのでは二十五になるまで、身ごもることができないのでないかと、逆に不安がっていた……そんなときに、若いおまえが現れた。如月が舞い上がっているのも分かる」


 ……えっと、彼女、舞い上がっていたんだ……。


「だがここで、いくつか不安要素がある……まず一つ目が、おまえにその気がないこと。如月からすれば、待ち望んでいた縁談が逃げていくようなものだろう……まあ、おまえにはすでに嫁がいるという話だし、自分のせいではないと割り切るのかもしれんが、な」


 ……そう言われると、確かにかわいそうな気もするが、俺もそれを期待されても困る。こちらにはこちらの事情というものがあるのだ。

 そうしないと命に関わる、というのならば別だが……。


「あの崖崩れがあって以降、この問題は、この村の存亡に関わるものだ。如月が不憫でもある……おまえは若いのに、なかなか見所のある奴のように思える。俺としてもあの娘との間に子を残してもらいたいとも思うが……まあ、強制はすまい」


 う……村の存亡まで持ち出してきたか……。


「それともう一つ。如月はともかく、今の若い世代を中心に、この古いしきたりに反発を持っている者もいる。実際に、若い娘の中には、それが嫌で出て行った者もいる」


 ……確か、ここに来る途中で出会った弥生がそうだったな……。


「それと、如月の容姿が特に秀でているのも問題だ。あやつに恋心を抱いている若者が、複数いると聞いている。しかし、この村のしきたり故に、婚姻も叶わず、手を出すこともできない。そんな中、唐突に現れた得体の知れないおまえが、古いしきたりに従って、一時とはいえ如月の婿になる……たとえそれを、おまえが拒んでいたとしても、噂にはなる……いや、もうなっているだろう。つまらぬ嫉妬心から、妬み、やっかみをおまえに覚えるものも出てくるだろうな。いくら塩を持ってきたからといって、この村のすべての者がおまえの味方になるとは思わないことだ」


 それは完全な逆恨みだ。俺、何にもしていないのに。


「さらにもう一つ……」


 まだあるのか、と、俺は少し引いてしまった――。

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