第308話 如月の兄

 南雲さんの長い話は、まだ続いていた。


「あの崖崩れがあって以降、この村には外の情勢が全く分からなくなってしまっている。例えば、藩の体制などに変わりはないか?」


「……そうですね。特にこれといって変わりはないはずです」


 松丸藩に岸部藩が編入されたのは崖崩れが起きる前の話なので、それは知っているはずだ。その後は、特にそれほど大きな変化はなかったと思う。


「ふむ……では、ここに来るまでに、山賊が出没するという噂を聞いたことはないか?」


「ああ、それなら聞いていました」


「聞いていた? ということは、まだ討伐されていないということではないか。それなのに、その危険を承知でたった一人で遙々この地を訪れたということなのか?」


「ええ、さっき申し上げたとおりです」


「……顔色一つ変えず、そんな返答をするのか……つくづく食えぬ奴だ。あるいは、本物の仙人なのか?」


「いえ、単純に逃げ足に自信があるだけなのですよ」


 俺には、時空間移動装置「ラプター」という切り札がある。たとえ山賊に囲まれたとしても、一瞬で絶対に追ってこられない場所に、逃げることができるのだ。


「なるほどな。それで、山賊には襲われたのか?」


「いえ……山賊には会いませんでしたが、狩人衆には会いました。有料でこの奥宇奈谷への道を、崖崩れで通れなくなっている場所まで案内すると言われて、それは断りましたけどね」


「……狩人衆、だと?」


 南雲さんの表情が険しくなった。


「ええ……最初、山賊かと思ったのですが、特に暴力を振るわれるようなことも、脅しを受けるようなこともありませんでした。奥宇奈谷のこともかなり詳しく知っているようでしたが……ひょっとして、知り合いだったりしますか?」


「……ああ、この村まで、途中までとはいえ案内するようなことを言ったのであれば、その狩人衆は、おそらく奥宇奈谷から出た若者達の集まりだ」


「そうなのですか? ……なるほど、集団で狩りに出たけれども、あの大規模な崖崩れが起きたから、帰れなくなった……そんなところなのですかね」


「いや……まあ、それに近いと言えなくもないが……確認だが、その集団に、『ハグレ』という名のものはいたか?」


「ハグレ……ああ、確かにいましたね。彼らの代表格でした。やっぱり知り合いなんですね」


「ふむ……生きていたか。確かに、俺はそいつを知っている。そいつの本名は睦月むつき。如月と皐月の、実の兄だ」


「……ええっ!」


 南雲さんの意外な言葉に、俺は思わず、大きな声を上げてしまった。


「……あやつは、この村に居たときは相当な乱暴者で、子供の頃から喧嘩っ早く、青年になってからも暴力を振るうことが度々あった。とはいえ、それらは悪さをした者に対しての仕返しや、理不尽な要求を通してきた、つまりは弱い者いじめをしてきた者に対する報復のようなものでな。長老の孫ということもあり、若い者の中には彼を慕う者も多く、若い衆をまとめるような立場になっていた……しかし、それで暴力が許されるわけではない。特に、妹に対しては異常なほどこだわりを見せていてな……如月にいらぬことをしようと企んでいた大人に、大けがを負わせたこともあった」


 うっ……結構、ヤバい奴だったんだな……。


「そしてあやつも、この村の『しきたり』には、大いに疑問をもっておった。自分が大事にしている妹が、この村を訪れたというそれだけの理由で、どこの誰とも分からぬ者の子を身籠もらねばならない。そんな理不尽があっていいわけがない、とな」


 ……まあ、それは彼の言い分が正しい気がする。


「ところが、当の如月が、『自分は運命を受け入れる』と言って、あやつに同意しなかった。それにあやつは呆れ、怒っていた。『おまえはこの村のことしか知らないからそんなことが言えるのだ。外の者は……いや、この村でも、生まれてきた家によっては、自分で好きな男を選べるというのに』とな」


 うん、それも彼が正しいと思う。


「……まあ、何が言いたいかと言えば、もしおまえが如月に手を出したとすれば、下手をすれば睦月に殺されるかもしれない、ということだ」


 ……それは困る。

 いやいや、俺はそもそも、そんな気はないし。


 俺が慌てて、


「いえ、さっきから言っているように、そういうのが目的でこの村に来たわけではないですし、俺も嫁がいる身です。如月とそういう関係になるつもりはありません」


 と、改めて否定した。


「まあ、そういうことにしておこう……そして、これからが本題なのだが……」


 ……今までの、前振りだったのか!?

 南雲さん、顔に似合わず話、長いな……。


「そんな顔をするな。ここからは本当に、複数の人間の生き死にに関わるかもしれぬ話なのだ」


 南雲さんの真剣なまなざしに、俺も気を引き締めた。

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