第294話 ポチ参戦

 きこり達の集う山小屋を出て、しばらく進むと、細い道ながら十字路となっている場所にたどり着いた。


 川沿いに進む方角と、峠を越えるルートが合流しており、普通は川沿いの方を選ぶ。

 峠の方に進むということは、つまり奥宇奈谷へ向かうか、そうでなければ何かの犯罪を犯した者が、山中に身を隠す、あるいは脱藩目的で使用するぐらいのものだ。


 川沿いのルートにしても、他藩の山奥へ向かうのに、多少近道となる程度のものだ。

 そして聞いていた話では、どちらの道に進むにせよ、ここからが本当に山賊との遭遇被害が報告されている地域となる。


 ここで一度、ラプターを使用して現代に戻ることにした。

 水の補給、そしてパートナーの『ポチ』に活躍してもらうためだ。


 ラプターは一往復すると、再使用に三時間待たないといけない。

 現代に行って、すぐにこちらに戻ってくると、いざというときに緊急脱出が使用できなくなるので危険だ。


 そこで、現代で三時間消費することになる。

 これでその後に江戸時代に行くと、緊急脱出が可能となる。


 取り急ぎの帰還場所は、自宅の俺の部屋だ。

 そこに出現した途端に、あらかじめこちらに連れてきて、庭に繋いでいたポチが吠え始めた……なかなか人の気配に敏感な、いい番犬に育ってくれている。


 時刻はちょうど昼頃になっていたので、近所の定食屋で昼飯でも食べておこうと思っていたのだが、すぐに俺の部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「お兄ちゃん、帰ってきたんでしょう? 一緒にご飯行こう!」


 そう声をかけてきたのは、妹のアキだ。

 今日は日曜日で、彼女が通学している短大は休み。


 しかし、アイドルのオーディションに合格したアキ、何かのレッスンとかあると思っていたのだが……。


「まだ正式デビュー前だし、それほど忙しくはないの。っていうか、正式なメンバーになったとしても、選抜メンバーにでも選ばれない限り、暇なままなんだけどね……」


 まあ、アイドルと言ったってピンキリで、彼女のグループは単発のテレビ出演が何度かあっただけで、しかもその二軍扱い、さらにその研究生という立場だ。

 うーん、メジャーデビューするための、まだスタート位置に立ったかどうか、というところなんだな……。


「それより、そんな格好してるってことは、また何か面倒な事に巻き込まれているんじゃないの? 面白そうだから、話聞かせてよっ!」


 と無邪気に笑ってくる。

 俺のこと、心配しているのか、面白がっているのか……両方だろうけど。


 俺もアキにアイドルとしての活動 (まだ準備段階だけど)を聞きたかったし、ポチの世話をしてもらっていたこともあって、昼食をおごってあげることにした。


 現代風の服装に着替えた後、以前、よく通っていたハンバーガーショップに行くことを提案したが、カロリーの摂り過ぎになってしまうから、という理由で、喫茶店に変更。

 そこで軽めのサンドイッチと野菜サラダ、というヘルシーな食事となった……アイドルも大変だなあ、と感じた。


 それでも、目を輝かせながら合宿のことなんかを話すのを見ると、夢が一つかなってよかったな、と思った。

 そんな俺に、今、どんな冒険をしているのか、と、アキは尋ねてきた。


 最近起こった出来事としては、海賊団を壊滅させたこととか、囚われの身になっていた少女を救い出して、その子に


めかけにしてください!」


 と言われたこととかあるのだが、ちょっとアキに言えるような内容ではない。

 かろうじて、崖崩れで孤立した村を助けるために旅に出ている、とだけ伝えた。

 もちろん、その課程とはいえ、つい昨日、宿屋で若い娘と一夜を共にした (手は出していないけど)ことなんか、言うことはなかったが。


 そうすると比較的地味な話題しか残らないのだが、それでも彼女は食いついてきた。

 ほんの数週間とはいえ、江戸時代で過ごしたアキにとっては、それは懐かしいものだったのだろう。


 それにしても、同じ日本なのに、これだけのギャップがある。

 今、目の前で、アイスコーヒーとサンドイッチ、そして新鮮な野菜サラダを食べている俺たちに対して、孤立した村で、不安げに質素な食事で生活をしているであろう住人達。

 その人達が、現代のこの食事を見たら、目を見開いて驚くんだろうな……これでも、かなりシンプルな部類なんだけど。


 帰宅後、再び旅装束に着替えて、さらに準備を整え、三時間を有意義に過ごした俺は、ポチを連れて江戸時代へと舞い戻った。


 すでに日は傾き始めている。

 日没まで、進めるだけ進もうと、ポチを籠から出して旅を続ける。

 やっと元の時代に帰って来られたポチは、それを理解しているのかどうか分からないが、かなり機嫌良く、元気に歩いてくれていた。


 まあ、ポチは保険みたいなもので、盗賊や、熊なんかが近づいてくれば吠えてくれるだろう、と気軽に考えていたのだが……。


 峠道を歩き始めて一時間ほどで、突然、ポチは立ち止まり、威嚇するように斜め前の方向に向かって吠え始めた。


 山の中腹付近で、右手が下り、左手が上り斜面となっていて、一メートルに満たない細い道の両側には木々が生い茂っていて、見通しは悪い。

 俺の目には、ポチが吠える方向には、誰か居るようには見えなかったのだが……。


 やがてポチは、斜め前だけではなく、左手側にも、右手側にも、さらには後方に向かっても吠え始めた。


「まさか……ポチ、猿の群れでも見つけたのか?」


 そんな風に気楽に構えていたのだが……。


 ガサガサという音が聞こえたかと思うと、手に短刀を構えた人相の悪い男数人が、三十メートルほど前方に、わらわらと現れた。

 ポチはその方向に向かって吠えている。


 そして次に、ポチが後ろに向かって吠える。

 振り返ると、いつの間にか後方三十メートルほどにも、鉈や鎌を掲げた男たちが出現していた。


 まさか、本当にこんなに早く、山賊たちと遭遇する羽目になるとは……。


 しかし、俺にはラプターがある。

 キーワード一つ唱えれば、一瞬で現代に帰れるのだ……そう思って余裕で構えていると、興奮したポチが吠えながら勢いよく走り出し、リードが外れてしまった。


 ……えっと、これって……ポチを置き去りにして逃げたら、アキや嫁たちに責められるよな?


 俺は自分でも、ちょっと顔が引きつってしまったのが分かった――。

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