第274話 脱ぎ捨てた襦袢

 彼女は、しばらく俺に抱きついていたが、ここでそれほどのんびりしている訳にもいかない。


「薰、どこか痛いところとかないか? 酷い目にあっていなかったか?」


「……うん……はい……なんか、『大頭おおがしら』とかいう人が、俺……私を最初に手籠めにするから、それまで手を出したら駄目だとか言われてて……」


「……そうか……だったらなおのこと幸運だった。でも、それは今のところは、だ。ここから脱出するためには、薰も腹をくくらないといけない」


「……腹を、くくる?」


「ああ……よく聞いてくれ。この島への潜入を実行したわけだけど、正直、いきなり薰に会えるとは思っていなかった。それも、たった一人でいるところに出てくるなんて、幸運以外の何者でもない。けど、無事脱出できるかどうかはまだわからない……そっちから出るのは、まず無理なんだろう?」


 男達の馬鹿騒ぎが続いている、明かりの漏れ出る方向を指差しながらそう言った。


「うん……向こうは広間になってて、たぶん、二、三十人はいたと思う。もっと増えてるかもしれない」


「そうだろうな……だとすると、こっち側から潜って脱出するしかない」


「潜って? ……ひょっとして、海までそれほど遠くない?」


「いや……素潜りじゃあ無理な距離だ。けど、ボンベ……つまり仙界の道具がある。これだと、水の中で息ができるんだ」


「み、水の中で息が? ……すごい……分かりました、それで息をしながら付いていけばいいんですね……」


「ああ、ただしいくつか注意点がある。この黒っぽい奴を常に口に咥えてないといけない。あと、この紐みたいなのを通して空気が送られてくるから、俺から体を離してもいけない。並んで泳ぐことになる……そこまではいいか?」


「えっと……うん、なんとか」


 スキューバダイビングでは、通常、バディと呼ばれる、二人一組のペアで海に潜る。

 そして万一、一人が何らかの事情、例えばエアがなくなったりしたときのために、自分のエアを分けてあげるための、オクトパスと呼ばれる緊急用のレギュレーターを持っている(自分のレギュレーターが不調の時の予備としても使える)。

 今回も、それを使用するのだ。


「それと、海の中は暗い。一応、俺が明かりを使って前を照らすけど、岩に体をぶつけたりしないよう、気を付けて、ゆっくりと進んで欲しい」


「……うん、ゆっくり、ですね……」


「それと、外に出たからといって、急に水面に出るのも駄目だ。体を慣らすために、やっぱりゆっくりと浮き上がらないと駄目なんだ……まあ、俺と常に一緒に行動すればいってことになる」


「……わかった、付いていく……付いていきます……」


 どこまで理解しているのか分からないが、素直なのはありがたい。


「それと……悪いけど、その襦袢は着ているとかえって邪魔になる。脱いで……裸になってもらった方がいいけど……」


「……そ、そうだな……うん、そうします……」


 薰はそう言うと、躊躇することなく襦袢を脱ぎ捨てた。

 その下には何も身につけておらず、文字通り、一糸まとわぬ全裸だ。


 奥の海賊達に気付かれないよう、この場にはほんの小さなLEDランタンを置いているだけなので、うっすらとしかその裸体は見えないのだが、それでも若く、美しいその様は感じ取れて、少しだけ俺もドギマギしてしまう。


 俺の防護スーツを貸してあげてあげられれば良かったのだが、ボンベを背負っている以上、脱ぎ着はできず、それは無理だった。


「……言い忘れてたけど、借りてた絹の振り袖は、あいつらに取られてしまって……」


「そんなの、どうでもいい。薰が無事だったことがよっぽど嬉しいよ」


 俺がそう言うと、彼女はそれをずっと気にしていたのか、少しだけ笑顔になった。

 と、その時、海賊達の方で、一際歓声が大きくなった。


「大頭、お待ちしてましたっ!」


 というような声も聞こえてくる。

 俺と薰は、顔を見合わせた。


「まずい……いそぐぞ、薰っ!」


「はいっ!」


 俺と薰は、大急ぎで岩場を降りて、水中へと潜って行ったのだった――。

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