第273話 安堵

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 足羽島の裏側、断崖絶壁になっている箇所に辿り着いた俺は、そこで保護スーツを纏い、ボンベを背負って、水中へと潜っていった。


 まだ夜間のため、当然真っ暗だ。

 普通であればこんな時間帯に、初めて潜る、状況がまったく分からない場所でスキューバダイビングなどしたくないのだが、薰を捜したすためにはやむを得ない。


 現代の資料によれば、その長さは二百メートルほど。素潜りでは無理な距離だ。

 島の内部、かなり大きな洞窟の最深部に繋がっているという話だが、それがこの江戸時代でも同じであるという保証はない。

 例えば、後の世の地震や潮の流れによって抜け道のように形成された可能性もあり、その場合は、まだ現段階では途中で途切れている可能性もある。


 実際に潜って分かったが、それほど大きな海底洞窟ではなく、せいぜい縦横五メートルほどで、もっと細い場所もあった。

 体やボンベを岩肌に当てないように気を付けながら、先に進んだ。


 しばらく行くと、天井が高くなっている場所に辿り着いた。

 ライトを上に向けると、ゆらゆらと揺れる水面が見えた。

 どうやら目的の場所に辿り着いた、と理解した俺は、警戒しながらゆっくりと上がっていった。


 ひょっとしたら、敵が集会しているど真ん中に浮上してしまうかもしれない。

 まあ、そうだとしてもまた潜れば良いだけなのだが、ここまで来たのだったら、ラプターでの地点登録だけでもしておきたい。


 ちなみに、ラプターはその性質上、時空間異動先を海中に指定することはできない。

 せめてなんとか水の上に出て登録したいところだが、こればっかりは運だ。

 浮上したところをいきなり銛で突かれたりしたら一巻の終わりだが、それは腹をくくるしかない。

 最大限に注意して、心臓がバクバクと音を立てていることを感じながら、顔を水面に出してみた。


 しかし、そこはまだ周りが岩で囲まれているだけの空間だった。

 ほっとしながら、とりあえずその場をラプターで地点登録し、さらに岩場に手をかけて体を持ち上げた。

 すると、不意にやや広くなっている空間が目に飛び込んできた。


 高さ七,八メートル、幅五メートルといったところだろうか。

 奥の方……向こう側からすれば『入り口』の方向から明かりが漏れ、男達の笑い声、騒ぎ声が聞こえる。

 そこまでの通路は曲がっているようで、直接は様子が見えないのだが、大方、宴会でもしているのだろう。


 ……と、もう一度周囲を見渡していると、かなり手前の方に、白い何かが横たわっている。

 いきなりライトを向けるのは、敵が待機していると見つかってしまう可能性があると思ったため、よくよく目を凝らすに留めた。


 暗闇に目が慣れ、そしてその正体に気付いて驚いた。

 襦袢姿で手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされた、若い娘ではないか。


 彼女は、怯えた表情で、俺の事を見つめていた。

 そしてその瞳に、俺は見覚えがあった。

 俺はマスクもレギュレーターも外して、素顔を晒した。


 「……薰、か? 薰だな! よかった、無事だったか……」


 なぜ、そんなところに、たった一人で寝かされていたのか分からなかったが、とにかく、いきなり本来の目的である彼女に出会えた僥倖(ぎょうこう)に、俺は思わず声を出してしまった。


 それに対して、薰は自分の名を呼ぶ俺の声に、きょとんとしてしまっていた。

 周囲が暗いせいか、俺だとは気付いていないようだった。


「俺だよ、拓也だ……遅くなってゴメン、助けに来たっ!」


 俺がそう話した次の瞬間、薰は、涙を溢れさせた。

 俺はなおも周囲を警戒し、他には誰も居ないことを確認して、急いで岩場を上って、彼女の元へと駆け寄った。


「今、解放するから、少しだけ我慢してくれ……あと、大きな声は出さないように」


 それだけ注意して、まず猿ぐつわを外し、そして両手、両足を縛っていた縄を、ロープで切断した。

 ようやく自由になった彼女は、あふれ出る涙を気にしないで、俺の事を見つめていた。


「……なんで……なんで、拓也さんが、ここにいるんだ……」


「さっきも言っただろう、助けに来たんだ……」


「助けにって……たった一人で?」


「ああ、そうだ。大勢で乗り込んで来ても、気付かれやすいだけだと思ったから」


「……無茶だ……無謀すぎる……見つかったら、捕まって殺されるのに……」


 薰は、子供のように泣きながらそう話してくる。


「見つからなかったから、いいじゃないか」


「……良くないよ……なんで……なんで、私なんかのために……」


「薰のため、だからだよ……これだけ仲良くなれたんだ、命が危ないって時に、放っておけるわけないだろう?」


「……馬鹿だ……後先考えなさすぎるよ……」


「ははっ、よく言われるよ。特に嫁達からな」


 俺が、彼女を安心させるために、笑顔で冗談めかしてそう答えると、一瞬の後、また彼女は涙を溢れさせ、そして俺に抱きついてきた。


「……拓也さんのお嫁さん達が言ってたことの意味が、今、やっと分かった……『普段は優しく、お人好しで、そしていざというとき、バカじゃないかって思うほど、損得を考えず行動する。そんな拓也殿を、私達はみんな心から尊敬しているし、また、愛している』って……」


 俺は、年頃の少女に抱きつかれたことに少しだけドギマギしたが、それよりも、薰が無事だったことに、まずは安堵したのだった――。

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