第258話 一人の女として幸せに生きるには

「……実は、薰については、今後の扱いをどのようにすれば良いのか、当主も判断に迷っているところなのですじゃ。現当主には、薰の他に子供がおりませぬ。故に、いつか海里藩の再興を願うのであれば、男として育て、世継ぎが存在すると知らしめることを考えていたようじゃが……お取り潰しより十数年、どうやらその望みは、もはや絶たれたと考えております。それであれば、薰を男としてずっと船の上で生活させ続けていくのはいかがなものかと……平たく申し上げるとするならば、いつ沈むともしれぬ軍艦にではなく、陸の上で、海里藩の血を引く娘として公に、それが無理なら、密かにでも生き抜いて、子を残し、海里藩の血をずっと後世に残して欲しいと望んでおるようなのですじゃ」


 ……なんか、ちょっと話が想定していたものから随分変わってきた気がする。

 ただ一つ言えるのは、薰の存在は、彼等に取って俺の想像よりずっと大きなもので、藩主の血を残すっていう重要な役割を期待されている、ということだ。


 うーん、男として育てられたり、女として生きるよう方針を変えられたり、勝手に子孫を残す役割を期待されたりと、彼女も大変……っていうか、俺が考えるよりずっと重い責任を負わされ、運命に翻弄され続けているんだな……。


 徹さんが話を続ける。


「薰は今、松丸藩出身、ということになっておる。実際に、松丸藩にある寺の過去帳にも、そういうこととして載っております。しかし、出来る事であれば一番良い環境の地域で暮らして欲しい。当主も、親戚である我々もそう考えておりました。そして、幸いにも、拓也殿のご厚意により、この阿東藩の女性達が幸せそうに生きている様子を見せさせて頂いた……我らとしても、この阿東藩であれば、藩主の血筋など関係無く、薰が一人の女として幸せに生きていけるのではないか。それが結果として、血を残すことになるのではないか……そう考えておるのですじゃ」


 徹さんの顔がわずかにほころぶ。

 どの程度の親戚なのかは分からないが、その様子からは、薰の事を実の孫娘のように大事に考えているように見受けられた。


「……なるほど、よく分かりました。なるほど、そう考えると、難破を装って流れ着いたことは、彼女の事を考えてということもあるわけですね。松丸藩の漁師として海に出たが、船が壊れ、阿東藩の海岸に流れ着き、松丸藩に帰られなくなってそのまま住み着いた……うん、手続きさえ滞りなく済めば、矛盾無く永住できそうだ。ただ、確認しないといけないことがある。薰自身は、徹さんが今言ったことについて、どう思っているんだ?」


 こういうのは本人の意思が大事だと思って、ずっと黙って話を聞いていた薰に振った。


「……俺は……いや、私は……この阿東藩で、女として生きていきたい……」


 彼女は、絞り出すような声でそう切り出した。


「……ずっと不安だった。男として、船乗りとして『黒鯱』に乗り続け、操船や天候の把握、航海術、時には漁師のように魚を捕る仕事も経験して覚えた。でも、同年代の本当の男達に比べて体も小さく、力も弱く、なにより戦いが嫌いだった……胸も膨らみはじめて、体が女になっていくにつれて、自分は、やっぱり女として生きたいって思うようになってきていた。単に、現実から逃げていただけなのかもしれないけど……」


 そこで彼女は、唇を噛んで、言葉に詰まった。


「いや、そんなことは無い。だって元々女なんだから、そう思って当然だ。こう言っては失礼だが、周りが無茶を言っていただけだと俺は思う」


 俺はそう言って、末席で話を聞いていた優の方を見た。

 彼女も頷いて、同意を示した。


「差し出がましいようですが、今のお話を伺って、少なくとも、私ならば、男として船に乗る、ということが想像できません。ましてや、それが軍艦なのであれば……そして、娘を持つ身として言わせて頂ければ、やはり女性は結婚して子供を産み、育てる事が、至福の喜びだと考えています……」


 母親となった優の言葉は、この場において唯一のものであり、説得力があった。


 この時代において、彼女の言葉は一般的なものであり、現に優は幸せそうだった。

 そしてそれに異を唱える者は、誰もいなかった。


 その優に促され、薰は話を続けた。

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