第257話 薰の存在意義
「……さすがですな。そこまでご存じでしたか。いかにも、『黒鯱』は海里藩の建造物、そして我らは海里藩士の残党だ」
登さんが、覚悟を決めたようにそう切り出した。
そのあまりにも素直過ぎる言葉に、薰も、徹さんも、少し驚いて彼の方を見つめた。
「我らは、理不尽な理由でお取りつぶしの憂き目に遭った。本来、海賊どもを撃退するためにのみ作成されるはずの黒鯱も、その理由の槍玉に挙げられる可能性があった。だからこそ、極秘裏に作成され、闇夜に密かに出航できるように黒く塗られたのだ……我らは、もはや存在せぬはずの、闇として生きていくしか無かったのだ。それがどれだけ屈辱的で、悔しかったことか……しかし、そんな事を言っても始まらない。もはや、我らに故郷はありませぬ。領民達は新しい藩に併合され、支障なく生活しているのだ、それはそれでいいではありませんか。ただ、我らとて意地がある。せめて、民を苦しめる海賊共を退治して、我らなりの正義を貫き通す存在でありたい……そう考えて、海を拠点とする戦闘一族として生きていく道を選んだのです。そしていくつもの海賊船を叩きつぶしてきた」
彼は、力を込めてそう続けた。
口調も、なんだか今までとは変わってきているような気がする。
「……聡明な拓也殿であればおわかりのことじゃろう。ワシらがいくら強力な戦力を誇り、海賊共を打ちのめしたとしても、それだけで生きていくことはできぬ。金なり、食い物なりが必要になってくる……我らを必要とする商人達との取引であったり、あるいはそれなりの大きな組織からの支援が必要になってくるのですじゃ……」
「ええ、分かります。そしてそれが、俺に近づいてきた理由……あの海岸に、難破船を装って辿り着いたのも、その方が手っ取り早く俺と接触できるからと考えたからでしょう?」
登さんの言葉に、俺はそう答えた。
「全てお見通し、ということですな……やはり、拓也殿は商人としても、阿東藩の重鎮としても、とても聡明な方だった。少なくとも、ワシらの情報や思惑については、ワシらが考えていたよりもはるかに把握されておった。感服致しました……それで、ここからが本題なのですが……単刀直入に申し上げると、先程の支援について、拓也殿にお願いしたいと考えておるのですじゃ……まあ、予想はされていたとは思いますがのう」
「はい……ただ、そう言われましても、俺としてはまだまだ、貴方達の真意が十分には把握出来ていません。その申し出を受け入れると、阿東藩にどのような利があるのか。断ると、どのような不利益があるのか。そもそも、支援とはどのようなことをすればいいのか。いつまでに、何を、どのように、どれだけの期間続けるのか。そしてそれは、藩と貴方達との取り決めになるのか、あるいは、商人としての俺との取引になるのか……お伺いし、決めなければならないことは山のようにあると思います」
「その通りですじゃ。ですが、その前に……この、薰の事について、どう思われますか?」
「……えっ、薰……彼女の事、ですか?」
唐突に話を振られて、俺は困惑した。
三郎さん、お蜜さんを見ても、同様に、『一体なぜ彼女の話題になったのか』という疑問の表情だ。
そもそも、話題にされた薰自身が相当戸惑っているようで、
「な……なんで俺の事になるんだ?」
と、困惑の声を上げていた。
もちろん、ここで可愛い、とか、男に戻らない方がいい、とか、そんな答を求めているわけではないだろう。
俺がそう思案していると、向こうからその意図について説明してきた。
「いや、これは失礼しました。いきなりこの娘の話になっても、戸惑うのは無理のない話ですな。薰が、我々にとってどういう存在なのかを、先にきちんと話しておく必要がありましたな……」
薰の存在意義。
それは、俺たちにとっても疑問の一つではあった。
彼等が阿東藩を、そして俺と行動を共にした理由は、先程の会話にあった通りで納得がいく。しかし、薰についてのみ、その理由が謎だった。
しいていえば、本当に難破船を装うために、まだ若い彼女を同行させたのか。
しかしその解釈にも無理があった。
「そうですね。確かに、俺たちに取っても、先程話があった『薰の正体』というは分からないし、想像ができなかった。ひょっとしたら、本当の祖父と孫、父と娘という関係ではないのかもしれないと考えてはいましたが……」
俺のこの一言に、三人はまた敏感に反応した。
「……それも見抜かれておりましたか。確かに、我々は、親戚関係にはあるが、本当の爺でも父親でもない。なぜ、それにお気づきになられたのですかな?」
「……えっと、なんというか、雰囲気的なものでしょうか。確証があったわけでもなく、それに、気にするほどの事でもないと思っていたのですが」
まさかここで、『盗聴してました』というわけにはいかないので、適当にごまかした。
「……なるほど。どこかで演技っぽさが出てしまっていたのかもしれませぬな。しかし、薰については、少しだけ気に留めて頂きたいことがあるのですじゃ。一言で申しますと、この娘、薰は、『黒鯱』船長、つまり当主の一人娘なのですじゃ」
「『黒鯱』の当主……ということは、ひょっとして元海里藩主の孫、っていうことなのですかっ!」
俺が驚きの声を上げた。
しかし、それ以上に驚いたのは、向かいの三人だった。
「……拓也殿、貴方はなんと聡明な方なのですじゃ……なぜそれをご存じなのですじゃ……」
徹さんは、少し怖いものを見るような目になっていた。
「……『黒鯱』の当主が、自害した海里藩主の子息であるという話は、俺の耳にも入っていました。かなり憶測を含んだものですが、いくつかの断片的な情報を組み合わせれば、それはかなり信憑性の高いものになりました……それで、少しずつ話が見えてきました……」
男として育てられ、最近になって、女に戻るように言われだした薰。
彼女もまた、運命に翻弄され続ける少女だ。
世が世なら、薰は、海里藩という一国の姫君だったかもしれないのだ――。
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