第214話 番外編15-11 姉御の恋
しかし、名前に反して楽器の琴など全く弾けないし、そんな上品な趣味を持つ性格でもない。
だからこの名前は自分には似合っていない、と思っていたし、少なくとも仲間内では名前で呼ばれるのを少し嫌がっていた。
そんな彼女だが、凛として整った顔立ちに、言い寄ってくる男は結構多い。
そういう場合、相手が真剣で、自分もまんざらではない、と思ったときには付き合うこともあったが、ことごとく長続きしなかった。
大人しく、優しい男は、彼女にとっては何か物足りず、相手のことを頼りなく思ってしまう。それを不満として口に出してしまうものだから、関係がぎくしゃくし、すぐに別れてしまった。
かといって、気の強い男と付き合ったならば、些細なことで正面からぶつかってしまい、あっという間に別れてしまうことが常だ。
しかし、まあ、そのうちいい男と出会うだろう、と気ままに生活していたところ、気がつけば二十代半ばに差し掛かっており、さすがにまずいと思い始めていた。
だから、この海鮮料理店舗の開設で多くの男性客が訪れる事に、少しだけ期待していた。
しかし、数日間働いただけで、そんな願いは音を立てて崩れていく思いだった。
『食い物通り』に来る男達は、そのほとんどが漁師達より逞しさに欠けていた。
そして自分に言い寄ってくる者の多くが、下心丸出しのどうしようもない男に見えたのだ。
そんな彼女が、少しだけ気にかけていた客がいた。それが、
大柄でがっちりとした体格に、鋭い眼光。
服装には無頓着でいつも少し乱れており、無精髭も生やしている。
最初は口数もそれほど多くはなく、他の海女達は怖がった。
彼女は、そういう客を相手にするのも別に平気だと思っていたので、他の客と同じように、海産物の焼き方や食べ方を指導した。
すると最初は慣れない手つきであり、うっかり焼き貝の汁をこぼしてしまった彼を見て、
「あーあ、もったいない! 一番美味い汁がこぼれたじゃないか!」
と、きつく注意してしまった。
周囲の視線が一斉に集まり、しまった、初めての客に言い過ぎた、と思ったのだが、彼は
「む……そうか、悪いな、もったいないことをしてしまった」
と、まったく怒る様子はなかったのだ。
そして懲りずにもう一度焼いて、
「……どうだ、今度はうまくいっただろう?」
と、少し笑って見せたので、彼女も、
「ああ、上出来だよ」
と微笑んで返した。
たったそれだけだったが、このお侍は、他の客とは少し違うな、と考えるようになっていた。
そんな彼は、二、三日に一度ぐらいの頻度で来てくれた。
自分を含めた店の娘達とは、あまり積極的に話しかけようとはせず、ただ黙々と貝や魚を焼き、食べ、そして酒を飲む。
こちらから話しかければ応えてくれ、たまに少しだが、笑みも浮かべる。
その姿が、なぜか印象に残った。
そんな彼が、
それも、真剣を抜いた三人の武士を、素手で、全く問題にならないほど簡単に倒してしまったのだ。
事前に仙人と言われる前田拓也の牽制があったとはいえ、この武清という男の剛胆ぶりには驚くばかりだ。
姉御……本名・琴は、武清に礼を言った。
照れもあり、自分でも、ぶっきらぼうだとは思うような言い方になってしまったが、
「なあに、大したことはしていない。それよりも、無事で良かった。おまえは
と、笑って注意してくれた。
――気がつくと、彼女は彼の事しか考えられなくなってしまっていた――。
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