第167話 直営店

 ある晴れた日の午後、前田邸の客間にて。


 第八代将軍、徳川吉宗公との謁見の話が具体的になりつつあることを、俺はしのびの三郎さんに相談した。


 すると、

「ああ、その話なら聞いている」

 と、あっさりと返された。


「こう見えても、俺は一応あんたの護衛という重責を任されているからな。そんな重要な情報なら、当然把握しているさ。そしてこんな時期に涼姫との事実上の婚約。あんたも藩主様も、本気なんだなって思ったよ。これなら、次期藩主候補として非公式ながら謁見することには問題無くなるだろう」


 三郎さんは満足げに頷きながらそう話した。


 ここでいう公式、非公式とは、まあぶっちゃけていえば正式な儀式として歴史に残るか、残らないかという事になる。


 公式に謁見したならば、それは吉宗公の事実上の配下になったとみなされる。

 それが許されるのは直接の家臣か、大名またはその側近、もしくは正式な世継ぎクラスだ。


 まだ一介の町人でしかない俺は、どんなに優遇されても非公式の場でほんのちょっとの間だけ会うぐらいしかできないはずだ。


「まあ、どれだけ将軍様の関心を惹くことが出来るかはあんた次第だが……いずれにせよ、将軍様と面識を持つと言うことは本当にすごいことだ。その噂が広まったなら、ますますあんたの身辺は騒がしくなるだろうな」


「騒がしく……って、どうなるんですか?」


「そうだな……具体的には、まずあんたのことを良く思っていない連中が、何らかの妨害をしてくるかもしれない」


「俺の事を……よく思っていない?」


「ま、これだけ力を付けたし、いろんなことに手を出したんだ。過去に盗賊団と敵対したこともあっただろう? あと、涼姫と婚約しようとしていた藩内の勢力からも、ひょっとしたら逆恨みされているかもしれない」


「そんな……いや、でも、ありうるのか……」


「ああ、それに人のねたみ、やっかみという感情は、意外と強く、大きいからな……どんどん力をつけるあんたに対して、嫌がらせをしてくるかもしれない」


俺はゴクリ、と唾を飲み込んだ。


「もう一つ、意外と厄介なのが、あんたを『利用』しようとする連中だ。将軍様と謁見したとなれば、阿東藩では藩主様の他は並ぶ者のいない大人物となる。一癖も二癖もある連中が近づいてくるだろう。もちろん、その中には有能な人物もいるかもしれない。人の見る目を鍛えておくことだな」


 三郎さんは笑っているが……うーん、いろいろ先に心づもりというか、考えておいた方がよさそうだ。


「だけど、『非公式』っていうのが、いまいち分かりにくいんですよね……」


「ふむ、確かにな……新しい将軍様は、武術を好まれ、紀州藩主のときはその道の達人の技をご覧になることがあったという話だがな」


「そういえば、本職の相撲取りを投げ飛ばした事もあるそうですね。それも謁見になるのかな? 将軍になってからも、鷹狩りを復活させたり、とにかく勇猛だったそうですね」


「……拓也殿、なんであんた、そんなこと知っているんだ?」


 不思議そうにする三郎さんに、俺は徳川吉宗公について知っている事の概要を話した。


「……なるほど……あんたが後の世から来た人物だっていうこと、忘れていた。そうか、今度の将軍様はそれほど凄いお方なのか」


「はい、十五代まで続く将軍様の中でも屈指の名君、と言われています」


「うーん、そりゃますます、謁見を成功させないといけないな……それで、どんなことを話すつもりなんだ?」


「いや、それが……吉宗様が、俺とどんな話をしたがっているのかが分からないので……そのうちに連絡がある、ということですが」


「いや、拓也殿が進言したいことがあるのなら、準備しておいた方がいいっていうことだ」


「なるほど、それなら……実は、今俺が阿東藩で取り組んでいる養蚕事業の延長で、絹織物の利用の推奨をお願いできないか、と考えています」


「絹織物? ……なるほど、うまく商売に繋げようというわけだな」


「はい、でも、単なるお金儲けではなく……実は、吉宗様はこの後、『質素倹約』を旨とするよう、武士にも、町人にも強制するはずなんです。そうすると、『ぜいたく品』である絹織物は売れなくなります。まあ、貴族階級など、特別な人たちには需要があるかもしれませんが……やはり、江戸の人口の多さは魅力です。そこである程度経済的に余裕のある庶民達も着てくれるようになれば、需要が大きく伸びるはずなんです。そうすると、生糸を紡いだり、機織りを行ったりと、阿東藩……いえ、全国の女性の仕事も増えていくはずです」


「……さすが拓也殿だ、よく考えている……確かに、江戸は大きな町だ、そこで流行れば一気に波に乗ることができる……」


「ええ、そうなんですが……果たしてうまくいきますかね……」


 俺の言葉に、三郎さんは腕を組んでしばらく考え事をしていたが……。


「なあ、拓也殿。俺は商売のことはあまりよく分からないのだが……江戸にも、『前田屋号店』の拠点を作った方がいいんじゃないだろうか?」


「へっ? ……江戸に?」


「ああ。あんたは、江戸だろうが、阿東藩だろうが、自由に行き来できるんだろう?」


「いや、まあ、ある程度制限はありますが……確かに一日で往復することは可能です」


「だったら、江戸にも直営店をだせばいいんじゃないか? 商売の拡大も期待できるし、将軍様にも会いやすくなるんじゃないか?」


 ……言われてみれば、その通りだ。


 商売に関しては、三郎さんから指摘を受けた通り。

 謁見にしても、将軍様から「会いたい」と連絡を受けても、普通ならば徒歩で一週間近くかかる。ラプターを使えばどうってことないが、あまりこの「仙界の道具」を使ったとみなされたくない。


 その点、江戸に住んでいるならば、日帰りで会いに行くことができるのだ。


 江戸への新規出店、そして謁見の準備――。


 まだまだ、しなければいけないことは山ほどありそうだと、俺は思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る