第166話 婚約

「しょ……将軍様に謁見!?」


 前田邸の囲炉裏部屋に、ナツの大声が響き渡った。


 この日、仕事を終えた五人の少女達が集まっているのを確認して、俺はその話を切り出した。


「ああ……昨日、藩主様から直々にその話を伺った」


「……さすがは、我らが主人です。ご出世、おめでとうございます」


 と、凜が恭しく頭を下げる……まあ、彼女の場合、からかい半分なんだが。


「そ、そんな出世だなんて……たぶん、珍しいもの見たさっていうだけなんだと思うよ。ほら、俺が鏡とか、真珠とか、仙界の物を運んでいるから……」


「……いえ、でも、そういう珍しい物が目当てなのでしたら、直接拓也さんにお会いしたりはせずとも取り寄せるだけでいいじゃないですか。やっぱり、拓也さん自身に興味があるのだと思いますよ」


 これは優の言葉だ。


「すごいな……凜さんと優の言うとおり、本当に我らが主人である拓也殿はどんどん高みへと登っていく……藩主様と直接話をされているだけでも凄いのに、将軍様とは……もう、ちょっと、想像できない大人物だ……そんな人が、すぐ目の前にいて……我々の旦那様だとは……」


 ナツは未だに信じられない、という表情だ……反応がちょっとオーバーじゃないか?


 元々武士の娘だから、将軍様などはるか雲の上の人という印象を持っていたのかもしれない。


「私も分かるよ……タク、やっぱり凄い人だったんだ……」


「ご主人様、私も嬉しいです……」


 ユキもハルも、満年齢でもう十五歳。十分、世間の事は理解できる年齢だ。


「ただ、やはり俺が一介の商人に過ぎない、というのが引っかかるようなんだ。将軍様はそんなこと気にしないかもしれないけど、やっぱり周囲の目もある」


「周囲の目……ですか?」


 凜が反応する。


「ああ。将軍様に会いたいって人、それこそ何百人、何千人っているんだ、ずっと身分の高い方々が。そんな人たちを差し置いて、俺が非公式だとしても謁見したとなると……」


「……確かに、いらぬ詮索やひがみ、やっかみなんかがあるかもしれませんね」


「ああ、そこで藩主様に提案されたのが……」


 俺がもったいぶって一呼吸置くと、みんな前のめりになって俺の次の発言を待つ。


「……実は、涼姫との婚約、なんだ……」


 ――数秒間の沈黙。


「えっと、あれ? みんな、何とも思わないのかな?」


「だって、拓也さん、そんなのとっくに決めてたんじゃないですか?」


 凜が代表して、そう答えた。


「ああ、確かに皆の前で『涼の婿入りに立候補する』とか、そう宣言したけど、その後藩主様の御正室が妊娠されたりで、正式には果たされてないままだったんだ」


「あ、そっか……男の子が生まれてくるか、女の子が生まれてくるかで変わってくるのね」


 ユキがじれったそうにそう言った。


「そうだよ。それに、優の妊娠もあった……ただ、これは別に影響ない、いやむしろめでたいことで、かえって涼姫は遠慮無く俺に嫁入りできるんじゃないかって藩主様は言ってくれたけど」


「なるほど……涼は義理堅いから、自分が先に妊娠したら私達に申し訳ないって、そんなふうに気を使いそうだからな……」


「ああ……それに、藩主様のお子様が女の子だったら、やっぱり俺が婿入りってことになるらしい。それで、藩主様が提案されたのは……今の時点で『婚約』っていうことにしておかないか、っていう話だったんだ」


「えっと、それはつまり……どういうことなんだ?」


 ナツはちょっと戸惑い顔だ。


「とりあえず、近い将来、婿入りだろうが嫁入りだろうが、俺が藩主様の義理の息子になる事だけでも確約しておこう、という話なんだ」


「……なるほど、それで話が分かりましたわ。それでしたら、拓也さんの身分は一気に上がることになります。現藩主様の義理の息子……将軍様にお会いするにも役立ちますね」


 全員、凜のその一言で納得し、頷いた。


「ただ……」

「ただ?」


 俺の不穏な一言に、皆がまた注目する。


「……そんな政治利用的なことで涼と婚約なんて、いいのかなって思って」


 俺の言葉に、みんなため息をついた。


「……拓也さん、私と結婚したときのこと、覚えていますか?」


 優が俺を諭すように呟いた。


「ああ、もちろん。あのときは、二人で夫婦としての通行手形を得るために……」


「ほら、そう言う目的で結婚したじゃないですか」


「……そういや、そうだったな」


「拓也さん自身は、涼姫とどうなりたいんですか?」


「それは……うん、この際、はっきり言うよ。俺は、涼とも結婚したいと心から思ってる」


 わあ、っと皆から声が上がった。


「ずっと考えてた。俺、今ここにいる五人は特別だって。だって、ずっと苦楽を共にしてきた大切な家族だから。でも、それを言うなら、涼もそうなんだ。彼女は、阿東藩の一人娘っていう重荷をずっと背負っていた。俺は、阿東藩の為にっていう思いで、事業を進めてきた。そして俺と涼は出会い、お互いにその苦労を語り合い、わかり合った……俺はそう思っている。その上で、彼女とも夫婦となって、もっともっと阿東藩の為に貢献していきたいと考えたんだ……それに、彼女の人間的な魅力に惹かれたっていうのもあるけどね」


「ああ、それに加えて、涼は拓也殿にベタ惚れで、藩主様もそれを望んでいる。そして私達も涼を家族として迎え入れたいと思っている。何も問題無いな」


 ナツが上機嫌で頷く。


「そう言ってもらえると嬉しいよ……ただ、俺一人で六人の嫁か……」


「なにをおっしゃっているのやら。将軍様に謁見するような大商人様なのですよ。これでも少ないぐらいじゃないですか」


 凜が、やはりからかい半分にそう言ってくる。


「いや、俺はほんとにそんな大したことのない人間なんだけどな……あとは、涼が正式に受諾してくれるかどうかだけど……明日、きちんと話すよ」


「……いいえ、その必要はないですよ」


 凜はそう言うと、そそくさと囲炉裏部屋を後にして……そして奥の部屋からもう一人、女性を連れて来た。


「りょ……涼!」


 俺は思わず叫んでしまった。


 そこには、涙を浮かべて……それでいながら笑顔でたたずむ、涼姫の姿があったのだ。


「ど、どうしてここに……」


「あの……父から、今日からこの家に泊めてもらいなさいと言われまして……」


「藩主様から? それじゃ、あの将軍様の謁見の話と、婚約の話で……」


「たぶん、そうだと思います。詳細は、今の拓也さんの話で知りましたが……」


 ――呆然。


 嫁達は、みんな、ニコニコというか、ニヤニヤというか、そんな表情をしている。


 彼女たちは分かっていたのだ……俺が間違いなく、涼をこの家に住まわせることを……嫁として受け入れる選択をするであろうことを。

 まあ、さすがに将軍様との謁見は驚きだったようだが……。


「お涼ちゃん、これで今日からあなたも、ここの正式な家族よ」


「あ、はい……よろしくお願いします……」


 彼女は深々と頭を下げ、そして嫁達は皆、拍手で彼女を受け入れた。


「じゃあ、今日はおめでたい日だし……今日のお嫁さんは、お涼ちゃんっていうことでいいわね?」


 凜の言葉に一同、頷く。


「あの、えっと……今日のお嫁さんって、何をすればいいんでしょうか?」


「簡単よ。一緒にお風呂に入って、その後、一夜を共にするだけよ」


 それを聞いて、真っ赤になる涼。


「い、いきなりですか?」


「そう、それがこの前田邸のしきたり、だから……さ、お風呂にどうぞ」


 凜、強引すぎる!


「えっと、じゃあ……拓也さん、あの……行きましょうか……」


 涼も意外と積極的だ!


 俺もこうなっては引き下がれない。

 顔が熱くなるのを感じながら、彼女と一緒に風呂場へ向かった。


 こうして、俺と涼は『婚約者』として、初めて一緒に一夜を過ごすことになったのだった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る