第145話 器(うつわ)

 市立図書館で阿東藩の歴史を調べてから、二日後の夜。


 俺は、郷多部元康公と会うために、阿東藩の江戸屋敷へと時空間移動していた。


 急な訪問だったにもかかわらず、現藩主様は俺と二人きりで話をする場を設けてくれた。


「久しいな、前田拓也殿……取り急ぎ話をしたいと言うことらしいな」

「はい、どうしてもお伝えしたいことがあります故、ご無礼とは承知ながら、このような席を……」


「いや、長々とした挨拶はいい。以前一晩中語り合った間柄ではないか。まず用件から聞こう」

「あ、はい、それでは……」


 俺は、この数日間に起きた出来事を簡単にまとめて話した。


 涼姫の帰還、そして彼女が直接『藩主になってもらえないか』と誘いをかけてくれたのに、『荷が重い』と断ってしまったこと。


 その後、『岸部藩』が『松丸藩』に吸収・統合され、急遽涼姫の『婿入り候補』が何人も出現する騒ぎになったこと、それに触発された俺も、一度断っているにもかかわらず『婿入り』に名乗りを上げようとしたこと。


「……本当に自分の都合だけで、ふらふらと考えを変えてしまっている自分が情けない限りですが……」


「……いや、そんなふうに迷いが生じるということは、真剣に悩み、考えているという証拠だろう。『藩主になれる』というだけで権力目当てに飛びついてくるような連中よりは、よっぽど信頼できる。ただし、一つだけ小言を言うならば、もっと堂々としろ。藩主だろうが店主だろうが、上に立つ人間が不安そうにしていたら、下の人間まで不安になってしまう」


「……そうですね、すみません、確かにその通りです。他の人たちがどう思うかまで、考えが及んでいませんでした」


「うむ、それでいい……それにしても……阿東領内では、そのような大げさな話になっているのか? 『松丸藩主』ともこの前、隣の藩同士になったということで直接話した。確かに俺の『世継ぎ』の話題がでて、一人娘がいるだけだとは話したが……向こうは『ならば、我々の方で婿の候補を挙げましょうか』と切り出してきたので、『いや、あやつには決まった相手がいるので』と断った……ただそれだけのことなのだが」


「えっ……でも、三郎さん、水面下で交渉しているとか、阿東藩の家臣の方々も婿入り候補を次々と立てているようなことを話していましたが……それに、本当に決まった相手なんているんですか?」


「もちろん、ハッタリだ。あえて言えば、拓也殿ぐらいだったのだが……さては、サブにかつがれたか」


「えっ……三郎さんに、かつがれた?」


「ああ。涼の侍女はお蜜だ。そしてお蜜とサブは事実上の夫婦……涼の気持ちを汲んだお蜜が、サブに依頼して大げさにあおり立て、拓也殿を藩主候補として名乗り出るように仕向けたのかもしれない。だとしたら、深刻な表情でここまで来た拓也殿は、まんまと乗せられたのかもしれんな」


 元康公が不敵に笑った。


「なるほど……でも、私が来たのは、もう一つ別の理由があります……お殿様に、次期藩主を……つまり涼姫の婿殿を早急に決める事は控えていただきたいと思ったからです」


「……ほう? まあ、そんなつもりも元よりなかったが……その理由を聞かせてくれるか?」


「はい、ですがこのことは申し上げていいことかどうか……私も、確信が持てないでいますので……」


「さっきも言っただろう? 遠慮することはない、申してみよ」


「はい、それでは……ずっと前、初めてお殿様とお会いしたとき、郷多部家は三百年の後まで繁栄していると申し上げました」


「ああ、そうだったな。それでずいぶん安心したものだが」


「はい。それで、大変失礼ながら調べたのです……次の藩主が、一体どなたになったのかを。ただし、それは私がいた世の話で、こちらでは全く別人になる可能性も……」


「いや、いい。回りくどいのはなしだ。確かに興味のある話だ、次期藩主は誰だったのだ?」


「はい……では申し上げます。享保二年……つまりこちらの世では来年の春に、阿東藩の御正室様が、男子を出産されています。その方が成長し、藩を次いでいます」


「……なんだと? 男子が……それは誠か」


「はい、間違い有りません。繰り返しになりますが、我々の世では、ですが……」


「……最近、あやつは体調が優れぬと申しておったが、まさか……」


 今、季節は秋。

 歴史通りであるならば、既に妊娠しているはずだ。

 元康公は、しばし思案顔だった。


「……あやつは、俺が前の正室と死別した後に嫁いできた、二番目の正室だ。以来十数年、子宝にめぐまれず、もう三十半ば……半ば諦めておったが、そうか……」


 感慨深げな表情、そしてにこやかに笑った。


「……なるほど、そうであったか……確かに男子が生まれるのであれば、誰が涼に婿入りしようと息子が優先されるな。いや、婿入りしようとする者もそうおるまい。それで、拓也殿の世では、涼姫についてはどう書かれていたのか」


「いえ……涼姫様については、記述がありませんでした。他の姫君についても、直接後の家系に関わる方しか書かれていなかったのです」


「……なるほど……三百年も前の姫一人、確かに俺も関心がないな。ふむ……それで拓也殿、そうなった場合……つまり、俺に息子が生まれた場合、涼をどうしようと思っている?」


「はい……私が出した結論は、我々の世の歴史通り男子が生まれるかどうかに関わらず、涼姫と共に生きていきたい……そういう考えに至りました」


「……ほう」

 元康公は、また不敵に笑った。


「彼女の、明るく素直な性格は万人に愛されるものです。そして半年間の修行で、さらに強さも加わった……そんな彼女に惹かれているという事もありますし、他の人が婿入りなんかして欲しくない……五人も嫁がいる、自分が一体何を言っているんだろうとは思いますが」


「……まあ、確かに欲張りだな。だが、拓也殿はそれでいいのではないか? 涼を含め、多くの女性に心から慕われる……そういうさだめの下に生まれた人物なのだろうからな。それに、たとえ藩主にならずとも、俺と親戚関係にはなる……拓也殿が進めている藩の改革にも、少なからず影響を与える事になるだろう。なにより、俺も、そして涼自身もそれを望んでいるはずだ」


「……いえ、しかし私は一度、彼女の誘いを断ってしまいました。それで大きく傷つけてしまったかもしれない……」


「さあ、どうかな。それについてはお蜜に任せるとするか……俺も一肌脱ごう。それよりも拓也殿……今日は気分がいい。朝まで飲もうぞ」


「あ、いえ、私は酒が苦手で……」


「そうだったな……いや、しかし今日ぐらい構わないだろう。馳走も用意するから、楽しんでいけ。また阿東藩の行く末について、語り合おうではないか!」


 元康公は、めずらしく上機嫌だった。

 そして俺はその日は接待を受け、緊張しながらもいい気分になれた。


 夜がすっかり更ける頃には、もう俺は、酔った元康公から、婿確定のような扱いを受けた。

 その中で、一つだけ気になる事を言われた。


「もし来年、俺に息子が生まれなかったならば、天が拓也殿を次期藩主に選んだということだ。それだけの器と認められたということだろう」


「……なるほど……ではもし、男の子が生まれたならば、やはり俺は藩主の器では無かったということですね」


「残念ながら、そういうことか……いや、もしや……」


 元康公は、しげしげと俺の顔を見つめた。


「あるいは、『阿東藩主程度に収まる器ではない』、つまりもっと大物になるのかもしれん」


 そう言って、豪快に笑った。


 ――それから、十日後。


 正室のご懐妊の知らせが江戸から阿東藩に届くと、松丸藩側の使者も来なくなり、家臣達の『婿入り』候補合戦もすっかり沈静化したという。


 藩主になれるかどうかもわからないのに、早々に大事な息子を婿入りさせると宣言する必要も無い……皆、そう考えているのだろうと、三郎さんは話してくれた。


 まあ、元々どこまでが三郎さんが盛った話だったのかは分からないが。


 そしてこの日の早朝、俺は、城下町近くの茶屋で、涼姫と待ち合わせするよう申し込んでいた。


『もう一度、会って話をしたい――』

 お蜜さんを経由して、そう伝えてもらっていたのだ。


 そして、今更婿入りに名乗りを上げようとする俺に対し、気持ちが変わってしまっているのならば、来て貰わなくても構わない、とも……。


 まだ、待ち合わせの時間までは、半刻(一時間)ほどあった。


 席に座ると、従業員の女性が注文を取りに来た。

 茶屋である以上、なにか頼まなければならない。


「じゃあ、団子二つ」

「はい、かしこまりました、前田拓也様」


 ――えっ、と思い、顔を上げた。


 するとそこには、お盆を持ち、目を潤ませた娘が立っていた。

 地味な着物を着ており、目立たないが……間違いなく、涼姫だった。


「ちょっと早く来すぎてしまいました。じっと待っていられなくて……ここのお店のお手伝い、させてもらってたんですよ」


 にこり、と微笑む彼女の目から、涙が一筋、こぼれた。


 気がつくと、俺も目を潤ませて、彼女の顔を見つめていた――。

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