第143話 名乗り

 涼姫と二人きりで話し合った夜から、五日が過ぎた。


 彼女は半年間、『前田美海店』での仕事から遠ざかっていたが、その間に新たに増えたメニューを翌日には全て覚え、後から入ってきた従業員達ともすぐに親しくなり、あっという間にブランクを取り戻した。


 この店の常連の中には彼女の顔を覚えていた者も多く、彼等から

「おかえり、お涼ちゃん!」

 と歓迎の言葉を数多くかけられ、そのたびに笑顔で返していた。


 まだ新人の娘達も、半ば『伝説』となっていた先輩の活躍を目の当たりにし、それでいて自分達にも優しく、明るく接してくれる涼に、あこがれの眼差しを向けてさえいるように見えた。


 ところが、涼はそれからたった五日で、急に城へと帰ることになってしまった。


 本当に突然の事で、彼女自身も、お蜜さんさえも戸惑っていたが、強面の藩の役人が五人も、それも深刻な表情で迎えにきてしまったので、やむを得ないところだった。


『前田美海店』の開店前でまだお客がいない時間帯だったこと、偶然俺もその場に居合わせたこともあり、短いながらも、彼女が俺や優、凜、ナツ、ユキ、ハルと挨拶することができたのは幸いだった。


 本当なら送別会の一つもしたかった、と寂しそうな凜の言葉に、


「大丈夫ですよ、また会えますから。本当にお世話になりました、すごく貴重な体験と、思い出を頂きました!」


 と、涼は笑顔で城に帰っていった。


 事の成り行きに戸惑っていた二期生の娘達は、実は彼女が姫君だと知って、全員目を丸くしていた。


 しかし……俺も、嫁達も、一体何があったのだろうと、もやもやした気持ちが晴れないままだった。


 その日の夜。


 仕事を終えて前田邸に帰ったところ、それを待っていたかのように、三郎さんが訪ねてきた。


 とりあえず玄関から迎え入れたのだが、


「拓也さん、話がある……かなり重要なことだ」


 と、真面目な表情で言葉をかけられた

 まあ、この人はあまり冗談を言うようなタイプではないが。


「それって……俺や、ここにいる彼女たちにとって悪い話ですか?」


「いや、直接関係はない……だが、拓也さんは知っておいた方がいいことだ。ここでは話しにくいから、ちょっと外に出てもらっていいか?」


 そんなこと言うと、嫁達も気になって仕方無いと思うのだが。

 でもまあ、それぐらい重要な事なんだろうな、と思って、俺と三郎さんだけが庭に出た。


「……それで、話っていうのは……」


「ああ、まず確定した事実だけを話す。『岸部藩』が『松丸藩』に併合された」


「……へっ? ……併合?」


 三郎さんの言葉が、にわかには理解できなかった。


「岸部藩は、最近財政的に行き詰まっていた。起死回生のはずの金鉱脈も、ご老公様が訪れた際に失態を演じてしまい、採掘権を保留とされて万事休すだった。その機に乗じて、松丸藩は岸部藩をまるごと飲み込んでしまったんだ」


「……そんなことが可能なんですか?」


「ああ。松丸藩の現藩主、およびその家臣達はかなりの切れ者、という噂だ。幕府にも根回しをして、体よく『岸部藩の民を守るため』と言って、丸ごと自分達のものにしてしまったんだ。もちろん、阿東藩との境に存在する金鉱脈の採掘権ごとだ」


「……と、いうことは、今後は岸部藩ではなく、より大きくなった松丸藩が隣の藩、ということになるんですか?」


「その通り。阿東藩十二万石に対し、五万石の岸部藩を取り込んだ松丸藩は、計二十四万石。阿東藩の倍の石高だ。しかも、さっきも話にでた金の採掘権を持っている。すでに幕府には開発の許可を得ているということだ」


「すごい……なんて手際の良さだ。うーん……でもまあ、戦国時代じゃあるまいし、いきなり攻め込まれるなんてことはないんでしょう?」


 この時点では俺はまだ楽観視していた。


「ああ、それどころか、隣同士となった阿東藩と、今後はもっと親密に接したいと申し出てきた。その証として、両家が婚姻により結びつくのはどうか、という提案付きでだ」


「……婚姻?」


「そうだ。阿東藩主には、男の世継ぎがいない……そこで、一人娘の涼姫に目を付けたんだ。彼女の婿養子に、松丸藩筆頭家老の長男を嫁がせたい、との申し出なのだ」


「……ばかな、そんなことをすれば次期藩主は、その長男になってしまうじゃないですか!」


「そう、あきらかな揺さぶりだ……だが、隣の大きな藩からの申し出、邪険に扱うわけにもいかない。そこで藩主は、『ありがたい申し出ですが、娘には既に決まった相手がおります』と断ることにしたらしいんだ」


「……なるほど、それならば向こうは諦めるしかないですね……って、それって涼……涼姫のことでしょう? 決まった相手がいるんですか?」


「いや、まったくのハッタリだ。あんたも涼姫の誘いを直接断ったらしいし、な。まあ、受けていたところで、簡単にあんたに決まるとは思っていなかったが。それで、だ……まあ、その『決まった相手』を誰にするかで揉めているんだ。松丸藩の申し出を断った手前、かなり早急に婿入りの日程を決めてしまわなければならないからな」


 とんでもない話だと、俺は思った。

 そんな突貫工事みたいなやり方で、次期藩主を決めてしまうというのか。


「……こちらが混乱すれば混乱するほど、松丸藩の思うつぼだ。ひょっとしたら、この阿東藩の併合すらも考えているのかもしれない」


 ますますとんでもない話だ。


「とにかく……今、そういう状況だと言うことを、あんたにも伝えておこうと思ってな。今、家臣達の間では、派閥争いに発展している……なにせ、婿入りすれば次期藩主だ。下は十歳から、上は五十歳手前まで、誰が一番適任か揉めている」


「……冗談じゃないっ!」


 俺は思わず叫んだ。


「なんだ、それっ! そんなの、絶対に許せないっ!」


「……ほう、あんたは藩の政策なんか興味ないように思っていたが」


「いや、俺が言っているのはそうじゃない! 涼姫が……涼が、あまりに可哀想だ。藩同士が仲良くなるっていう建前のために? 乗っ取られないために? 派閥争いのあげく? そんなごたごたの末に決まった男と夫婦にならないといけないのか? 俺はもっと、何人もの立派な候補の中から、熟慮の末に決定されると思っていたのに……そんな理由で急ごしらえの候補しかいないのならば……いっそ、俺も名乗り出てやるっ!」


「……それは、あんたも次期藩主に立候補するってことか?」


「藩主になりたいわけじゃない! ただ、涼姫が俺を選んでくれるなら、俺は彼女をそんな道具みたいな扱いはしないっ!」


「……だが、結果として藩主ということになるぞ」


「……確かに、俺には荷が重い。けど、一度は真剣に考えたんだ、もし俺が藩主になったら、どういう風にこの地方を発展させていけばいいか、を。でも、ただ自信がなかった。恐ろしくさえ思えた。責任の重大さも、関わる人たちの多さも。でも……今考えたら、単に逃げていたのかもしれない。一人ではなく、信頼できる相手と共に真剣に取り組めば、それは成せるはずなんだ……でも、今はそれより涼だ。俺は彼女に対し、絶対にさっきみたいな扱いをさせないっ!」


 俺は再び大声で叫んだ。


 ――前田邸の玄関の扉が、がらりとひらいた。

 ぞろぞろと、五人の嫁達が、目に涙を浮かべて出て来た。


「……えっと、あの……」


 ちょっと冷静さを取り戻した俺だったが、逆にどうしていいか分からなくなった。

 優が一歩前に出て、話し始めた。


「拓也さん……ごめんなさい、ずっとお話、聞いていました……貴方は変わらない……あの川原で、身売りされそうになって泣いていた私達を助けてくれた、あのときのまま……それで私達は救われました、幸せになれました。拓也さん、やっぱり貴方は、とっても素敵な人です……今度は私達も協力します。一緒に、お涼ちゃんを……涼姫を、幸せにしてあげましょう」


 他の四人の娘達も、次々と賛同の声を上げた。

 隣の三郎さんは、俺と目を合わせると、深く頷いた。


 あるいは、ここから先の、涼姫をめぐる試練は、この五人を買い取ったとき以上に困難なものになるかもしれない。


 それでも俺は、覚悟を決めた。


 そしてこの地方の歴史を作り上げる戦いに、俺は名乗り出ることになったのだった。

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