第118話 うねり

 六右衛門さんが帰った後の前田美海店内で、俺はお膳を前に呆然としていたのだが、そこにこの店の板前であるナツ、店員のユキ、ハルの三姉妹が心配そうに近づいてきた。


 また、いつも俺と行動を共にしていて、こっそり店の奥に隠れていた優も、そして六右衛門さんが来たと言うことで心配して様子を見に来てくれていた凜さんも俺の元に集まる。

 つまり……俺と五人の嫁全員が集合する形となった。


「拓也さん、また大きな仕事を任せられましたね……なんだかわくわくしますわね。私、お役人様にお酌します」

 と、ご機嫌なのは凜さんだ。


「凜さん、ありがとうございます。たしかにお酌とか、そういうのは凜さん、得意そうですね。正直、助かります。あと、お梅さんと……お蜜さんにも頼んでみますよ」


「……タクヤ殿、私はそういうの苦手だから、料理に専念するつもりだが……」

「ああ、ナツはそうしてくれ。あと、良平とこずえにも手伝ってもらうから」


「じゃあ、私とユキちゃん、ハルちゃんは明炎大社で巫女の仕事をしていましたから……さっき言ってた、神に捧げる舞で良ければ踊ろうと思います」

「ああ、そうだな……三人ともかわいいし、見栄えがすると思う。ただ、あんまり綺麗だとお役人様に変な意味で目を付けられないか心配だな……」

 本気で危惧してしまう。


「いえ、いくらなんでもそんなことはないと思いますよ」

 と、優は楽天的だが……。

 なんか、本当に総力戦になりそうな予感だ。


 お金をかけて接待専用の人員を集めれば確実なのかもしれないが……いかんせん、俺にそれだけの知識も経験もない。

 阿讃屋や黒田屋の助力を得れば、もう少し良い知恵を貸してくれるかもしれないが。

 それにしても……なんか、思ったより女の子達が乗り気なのにちょっと驚いた。


「問題は……接待って、本当にそれだけでいいのかって事なんだけど……」

「それだけといいますと……なにか贈り物とかをしなければいけない、とかですか?」

 と、凜さんが核心をついた質問をしてきた。


「うーん……その辺の仕組みが、全く分からないんだ……やっぱり、啓助さんとかに相談してみるかな……」

 まだ時間はあるし、いろんな人の意見を聞いてみるのが良さそうだ、と考えていた時……。


「……ちょっと、よろしいかな」

 と、ついたての向こうから声が聞こえてきて、びっくりしてしまった。


 そこから顔を覗かせていたのは、白髪に白髭の、六十歳は過ぎていると思われるおじいさんだった。

 そういえば、お客さん、居たんだった……。


 まずい、いろんな話を聞かれたか、と焦ったが、江戸からお役人様が来ることはいずれ藩内に「無礼のないように」とお触れが出るだろうし、俺が接待を受け持つことになったこともそのうち知られる内容だろうから、大きな問題ではない。


「盗み聞きするつもりはなかったのですが、興味深い話で、つい聞き入ってしまいましての。こちらの五助も同じですじゃ」

 と紹介されると、三十歳ぐらいのおじさんが、ついたてからひょっこりと顔を出して会釈した。


「私は江戸で綿の問屋をしていた者でしてな。最近引退して隠居の身となり、この五助と共に諸国漫遊の旅に出たんですじゃ。仕事柄、江戸でお役人様に接待をすることも度々ありましたので、少しそのお話をしてお役に立てればと思うたのですが……」

 と、思わぬ申し出をしてくれた。


 俺も女の子達も、

「そういうことでしたら、ぜひ」

 と、ついたてを取っ払って『接待談義』を始めることとなった。


 この他にもうお客は居なくなっていたので、ナツも参加してその老人の話に聞き入った。


 横田光次郎という立派なお名前だったが、五助さんが『ご隠居様』と呼んでいたので、我々もそうお呼びすることにした。


 そのお話は大変興味深いもので、ご隠居様が若い頃は接待と言えば綺麗な女子を侍らせて深夜まで盛大にどんちゃん騒ぎをするというのが常で、贈り物も豪華な品をお渡しすることが多かったという。


 しかし、それらの行為がいわゆる『賄賂』と受けとめられるようになってからは、幕府により過度な接待や贈り物を禁じるお触れが出て、以降、そんな事も無くなったのだという。


 それよりもむしろ、誠心誠意おもてなしする姿勢を見せることがお役人に好感を持ってもらえる秘訣だと語ってくれた。


 そういう意味では、ナツの料理は手が込んでおり、うまいし見た目も良く、きっと気に入ってもらえるだろうとお墨付きをもらい、彼女は素直に喜んでいた。


 それとやはり驚かれたのが、この五人の少女達が全員俺の『嫁』だということ。

「こんなに若くてかわいい娘達を五人もお嫁さんにするなんて、拓也様はさぞかしお金持ちなんでしょうね」

 という五助さんの羨ましそうな言葉にも、


「いえ、私達が無理に押しかけてそうしてもらったんです。だからみんな、拓也さんに恩返しをしなくちゃって、いつも言っているんですよ」

 と凜さんが笑顔で返して、それにみんなが頷いてくれた。


「……確かに皆さん、幸せそうだ。なるほど、噂通り前田拓也殿は、若いのに多くの方々から慕われる、立派なお方のようだ」

 と、ご老人が満足げに頷く。


「えっ、ご隠居様……私の事、ご存じなんですか?」

「はい、もちろん。前田拓也殿、その名声は江戸にまで届いておりますぞ。最初お見かけしたときは、まさかこれほどお若いとは思わず、別人と思いましたがのう」

 と正直に話して、場のみんなの笑いを誘った。


「それで、前田殿は、本当に『仙人』なんですか?」

 五助さんは割とストレートに核心に触れてきた。


「いえ、そういう訳では無くて、ただ珍しい品物を仕入れる『つて』を持っているというだけなんですけどね」

「へえ、そいつは気になりますが……どういう伝なのか、教えてはもらえないでしょうねぇ」

「はい、残念ながら」

 俺が即答で返すと、五助さんはただ苦笑いを浮かべていた。


 その後も思いの外、座談会は盛り上がったのだが、ご隠居様が、

「そろそろ今日の宿を取らねばならないので、おいとますることにしましょう」

 と話して、その場はお開きとなった。


 楽しいひとときを過ごし、すっかり仲良くなったこともあって、全員で外に出てお二人をお見送り。なんか、接待の予行演習が出来たようで、少しは気が楽になった。


 ちょうどその時、三郎さんが前田美海店を尋ねてきた。


「……拓也さん、あの二人は……」

「ああ、三郎さん。いえ、江戸から来た旅のお方だということでしたが……」

「江戸から……」

 と、三郎さんは二人が角を曲がって見えなくなるまで、ずっと目で追っていた。


「……どうかしましたか、三郎さん」

 ちょっと様子が変な彼に、俺は声を掛けた。


「いや……なんでもない。それより拓也さん、ちょっと話したいことがあるのだが……」

「俺に? じゃあ、中で何か食べながら……」

「いや、本当にちょっと話すだけだから」

 と店内に入るも、料理なしで話をすることとなった。


「……実は、この『阿東藩』に、別の藩から『しのび』が入り込んでいるようなんだ」

「……忍? それも別の藩から?」


「ああ。今把握している限りでは二人だけだが……一人の見た目は立派な体格の侍。相当な剣の使い手と見ている。もう一人は女で、いわゆる『くの一』の例に漏れず、美しい顔立ちをしているという噂だ。この二人が、阿東藩内でいろいろと探りを入れているらしい」


「……それが本当だとするならば、何が目的なんでしょうか……」

「わからない。ただ、もし藩の秘密情報を聞き出そうとする輩がいたならば気をつけるように伝えようと思って寄ったのだが……さっきの二人はどんな感じだった?」


「え、あのご隠居様と五助様ですか? ……いろいろ話はしましたが、主に俺と嫁達のことと、あと、俺が江戸から来る使者の接待をすることになったっていうだけですが……」


「接待? ……そんな重要なことをしゃべってしまったのか?」

「いえ、特に害はないと思いましたので……」

「ふむ……」

 三郎さんは数十秒、何か考え事をしているようだったが……。


「拓也さん、余計なお世話かもしれないが、最近急に阿東藩に入ってくる人の数が増えている。そのきっかけを作ったのはあんただ」

「俺が? まあ、確かに海岸線に『木道』を作ってもらう手伝いをしてもらったりしましたが……」


「それだけじゃないんだがな……話を戻すが、初めて藩に入った者は、勝手がわからないものだから情報収集を行うだろう。ここで悪意を持たない者であれば問題ないのだが、そうでなければ……」

「……うかつに藩の秘密をしゃべってしまって、最悪の場合罪を負うことになるかもしれない、ということですね」


「その通りだ。あまり初対面の人を信用しすぎるのは危険だ。慎重になった方がいいな」

「……はい、ありがとうございます」

 と、ちょっとだけ神妙に答えた。


 阿東藩を訪れる者が、急に多くなった――。


 俺としては、今回の話は幕府のお役人様を接待すればそれで終わりだと思っていた。


 しかしこの大きな『うねり』は、ゆっくりと、しかし確実に我々を巻き込もうとしていたのだった――。

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