第107話 番外編:鬼神
その夜、盗賊団『
渓谷の深部、壁のように切り立った崖に洞窟が存在し、そこに木材を運び込んで簡易な砦のように作ったものが彼等の拠点だった。
数十メートル離れた場所に、小さな清流が存在する。
砦からその小川まではなだらかな下り傾斜となっており、ススキなどの雑草、水辺には葦などの水草も生い茂っていた。
曇り空で月も星も出ておらず、二人の見張りが焚いているかがり火により、植物の影が揺らめいていた。
季節は夏の終わり。
気持ちのいい涼しい風が吹く、見張り達にとってもその任務が苦にならない、快適な夜だった。
ただ、二人にとっては宴に参加できないことが不満だったが、新入りの彼等にとっては仕方の無いことだ。
そして周囲があまりに静かで気持ちがいいので、見張りといっても時折寝ぼけ眼で漫然と辺りを見渡しているだけであり、雑草に身を隠しながらこっそり砦に近づく人影を見つけることができないでいた。
洞窟内では、二十人を超える男達が、宴会場となっている大広間で飲めや歌えやの大騒ぎだった。
隅の方では、両手、両足を縛られ、猿ぐつわをされて泣いている少女が一人。
この地方の豪族、
そろそろ男だけの余興に飽きてきたとき、一人の若い衆が娘に目を留めた。
「……お頭、あの娘にもなにか余興をさせたらどうです? 例えば、裸踊りとか……」
「ああん、おまえ何を言っているんだ? あの方から、くれぐれも乱暴したり怪我させたりするなと言われていただろうが?」
「ええ、ですから、裸踊りをさせるだけで……」
「……ふむ……」
男達の視線が、一斉に少女に向かう。
彼女はそれを敏感に察知し、恐怖で表情を引きつらせた。
「……まだ十五の小娘だが……確かに、余興ぐらいにはなるか……」
盗賊の頭と思われる男がそうつぶやくと、いやらしそうな笑みを浮かべた男達が数人、彼女の元へと迫る。
誠姫は必至にもがくが、両手、両足を縛られていては満足に動く事もできない。
「痛い目に遭いたくなければ、おとなしくしやがれっ!」
「……しかし、何もしゃべらないのもつまらないな……」
男達は好き勝手な事を言いながら、まず彼女の猿ぐつわを外し、そして着物を脱がしにかかった。
「いっ、いやあぁ、やめてえぇ!」
少女の絶叫は洞窟の外にまで漏れ出て、見張りの二人は顔を見合わせてにやりと笑った。
――突如、天地をひっくり返したような爆音と、一瞬昼間になったかと思うような強烈な明かりが砦から溢れ出て、驚いた水鳥たちが一斉に飛び立った。
もちろん、驚いたのは水鳥だけではなく、ニヤニヤしていた二人の見張りも同じだった。
慌てて砦の入り口に戻るが、そこでさらに驚愕した。
奥の方からもうもうと白い煙が吹き出しており……仲間たちが次々と悲鳴を上げながら飛び出してくる。
全員目や鼻、口を押さえ、激しく咳き込み、くしゃみをし……涙と鼻水、よだれが一つとなった液体をまき散らしている。
「これは一体、何が……」
さらに強烈な破裂音が、洞窟の中から聞こえた。
音響閃光催涙弾……平成の世から帝都大学准教授、氷川学が持ち込んだ、一種の兵器だ。
その性能は、彼が単独で作り上げたにも関わらず、警察で正式使用されている対テロ制圧用特殊装備と同等の威力を誇る。
盗賊団の大半が戦意を喪失したが、比較的症状の軽い三人、および見張りの二人はまだ戦える状態だ。
そのとき、天狗の面を被った一つの人影が、砦から五十メートルほど離れた場所に出現した。
「我が名は
妙に芝居がかった台詞を吐きながら、その天狗は剣を構えた。
自分や仲間が酷い目に遭わされ、怒り狂った五人盗賊達は、恐れることなく一斉に間合いを詰め、槍や太刀でうむを言わせずその天狗に斬りかかった!
……しかし、その全てが強烈な衝撃と共にはじき返された。
唖然として立ち尽くす盗賊達。
「うぬっ……槍が刺さらぬっ!」
「太刀が折れ飛んだっ!」
各々、驚愕の言葉を吐く。
「なっ……この男、岩と同化していやがるっ!」
小型プロジェクターにより大岩に投影された天狗の映像は、悠然と腕を組んだままだ。
「たわけが。貴様等如きのナマクラな刃が、この須佐之男に通用すると思うてか!」
大岩の直ぐ下に仕込まれたスピーカーから、少し演技に余裕が出てきた物理学者の声が響く。
「うぐっ……こいつ、本当の化け物……」
と盗賊が怯んだその時、大岩の根本から破裂音と共に閃光が放たれた。
「うぎゃぁ!」
「ひっ……ひいいっぃ!」
同時に放出された催涙ガスにより、その場でのたうち回る五人の盗賊。
「……た、大変だぁ! 誠姫が連れ出されたっ!」
盗賊団の中でも若い一人が、這々の体で砦から這い出て、大岩のところでもがき苦しんでいる仲間達のところへと大声で知らせる。
「なんだとっ! 何をやっている、絶対に逃げられるなっ!」
「けど……ぐふっ……みんな、まともに目が開けられなくて……」
盗賊団は全員、溢れる涙や鼻水を腕で擦りながら、何とか視界を保っている状況だ。
そんな中、ぼんやりと見えたのは、奇妙な面……ガスマスクを付けた一人の男と、彼に抱えられて砦から遠ざかる誠姫、そして二人を迎えに来たと思われる、着物を着た小柄な少女だった。
やがて少女たちは抱き合い、次にお互いの腕に何かを巻き付ける動作をして……そして次の瞬間、白い光に包まれたかと思うと、その姿をかき消した。
幻でも見たのかと、唖然とする盗賊達。
「……誠姫は確かに返してもらった。忠告するが、もし同じような狼藉を働いたならば、今度こそこの須佐之男、貴様等を一人残らず成敗するっ!」
そう叫んだ男もまた、白い光に包まれて、そしてその場からいなくなった。
「……本物の化け物……」
「……あの噂は本当だったか……
盗賊達は今になって、ようやく自分達がとんでもない相手を敵にしてしまったことを自覚した。
――この日、盗賊団のアジトに単身乗りこみ、二十数人の猛者を戦闘不能に陥れ、無事誠姫を救出した叔父は、六百年前のこの地方で、一躍英雄へと祭り上げられることになったのだった。
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