第七章 大改革への礎

第108話 女子寮

 季節は秋から冬に向かおうとしていた。


「カツオのタタキ」で一躍有名になった『前田美海店』だが、肝心のカツオが採れなくなると、単なる魚料理店となってしまった。


 それでも、商売として成り立たないわけではないが……目の回るほど忙しかった頃に比べれば、必要なスタッフは減ってしまう。


 元々ナツ、ユキ、ハルの三姉妹で営業し、それでも人が足りずに、桐とお梅さんという二人の女性に手伝ってもらっていたが、いまや完全に人あまり状態。


 桐は、

「このままじゃ賃金をもらえない。そうなると、家賃も払えなくなってしまう」

 と危機感をあらわにしていた。


 しかしこれは想定内で、俺は既に別の手を考えていたのだ。

 問題は、場所をどこにするか。


 今、彼女たちが住んでいる長屋に、『あれ』を置くと居住スペースが狭くなりすぎてしまう。

 新しく、作業場となる建物を借りるか建てるかしないと……。


 そんな風に悩んでいる時期に、その事件? は起きた。


 その日、『新町通り』に俺も含めた前田邸の全員が出勤すると、『前田美海店』の前に啓助さんと、大きな荷物を抱えた一人の少女が立っていた。


「やあ、拓也さん。待っていたんですよ……ほら、あの人がそうだよ」

「……りょりょ!? なんか想像と違うです……でも、めんこい女子おなごをあんなに連れているなんて、やっぱり噂は本当ですた!」


 ……なんだ、このむちゃくちゃななまりの女の子は……。


「はじめますて、わたすはれいという者です。前田様にご厄介になるために、はるばる北見村からやってきますた。歳は十七です。今後、よろすくお願い申し上げますっ!」


 元気よくそう挨拶して頭を下げるが……なんというか、いかにもド田舎から出てきた少女、という感じだ。


 髪はぼさぼさの上、寝癖が酷い。

 着ている物はつぎはぎだらけ、ところどころ破れたままで、よれよれの上、かなり汚れている。

 また、少女自体の顔も、泥か何かついているようでちょっと汚れており、襟元から見える首筋にかけても黒ずんでいる。


「あ、いや、えーと……よろしくと言われても、俺、なんにも聞いていないけど……」

「そりゃそうです。何にも言わずに来ますたから」


 ……へっ? どういうこと?


「だって、前田様は、若い女子と見ればすぐご自分のモノにしたがるというお噂ですたので……これでも、わたす、女ですから……少しでも前田様のお役に立てれば、と思ってやってきたです……それにしても、こないに男前の方だとは、想像していなかったです」

 そう言って目をキラキラ輝かせる玲。


「いやいやいや、なんないろいろとおかしい。俺は別に、誰でも自分のモノにしたいなんて思った事ないし」

 と反論すると、彼女は俺の周りにいる五人を見渡して、ちょっと落ち込んだように


「そうですよね……やっぱり、綺麗な人でないと選ばれないですよね……」

 うっ……なんか余計にまずい方向に進んでいる。


「……えっと……お玲ちゃん、でしたよね? 拓也さんの事、どんな風に知ったか教えてもらえるかな?」


 にっこりと微笑みを浮かべて、なるべく安心させようと優しく語りかける優。

 玲は十七歳と言っているので、満年齢ならばおそらく十六歳。優の方が一つ年上なのと、その見た目が子供っぽいことがあって、ちょっとお姉さんっぽくしているみたいだ。


「わたすのおっ母が、『前田拓也っつー方はえらい金持ちで、女子をたくさんはべらしている、大層評判のいいお方だ』と聞きますた」

 ……それのどこが評判がいいのだろうか。


「あと、噂では仙人なのではないかと言われているそうで、困っている人を数々の奇跡の技を繰り出してお助けになったとか」

 それはいい評判かもしれないが、少年マンガ並に誇張されている。


「それと、もし本当に気に入った女子がいたならば、最低でも百両の銭を出してめかけにしてもらえるとか」

 ……うーん、微妙に本当の事が入っているからタチが悪いなあ。


「おっ母は、『あんたなら絶対に気に入られるから、頑張るんだよ』と言われますたが……今、お連れになっている方々を見て自信をなくしますた……」


 ……なんか、さっきまで元気だったのにしょげ込んでいる。

 うーん、困った。『そんなことないよ』とも言えないし。


「あら、そんな事ないわ。十分可愛らしいわよ。ただ、噂とは違って、拓也さんはそんなに女の子を妾にしたりするような人じゃないの」

 凜さんが余裕の言葉をかける。


「……そしたら、この方々は、どういう間柄になるですか?」

「……えっと……全員、嫁……かな?」

 これしか言いようがない。


 ……。


「すごいですぅ、五人もお嫁さんにするなんてっ! お噂以上ですぅ!」

 俺の軽はずみな一言で、また玲が目をキラキラ輝かせてしまったではないか。


「……玲ちゃん、残念ながらお嫁さんの枠はもう埋まってしまったんですよ。ここにいる五人以外は、拓也さんのお嫁にはなれないんです。そうですよね、拓也さん」

 うっ……凜さんの言葉が、なんかちょっと怖く聞こえる。


「あ……ああ、その通り」

「……そうですか……残念です、わたす、正直こんなお優しそうな、こんな男前の方だとは知りませんですたので、ちょっと嬉しかったんですが……でも、その他にも、女子にも仕事を与えてくださる大商人だと……」


「いや……正直、季節が変わって、今じゃ人が余ってきているぐらいで……」

「……やっぱり、私たちお荷物になっているみたいね……」


 背後から声が聞こえてきて振り向き、ぎょっとしてしまった。

 お梅さんと桐の二人がいつの間にか立っていたのだ。


「『前田美海店』が最近ヒマになってきていたから、いつお払い箱になるんだろうって思っていましたけど……桐、私たちもうすぐ出て行かなくちゃいけないって」

「……残念ですけど、仕方ないです、ね……」

 いじける姉妹。


「りょりょ……、そうなんですか? わたす、すぐにでもお仕事もらえるものと思っておりますたので……どうしよう……」

「まさか……今晩泊まるところもない、とか?」


「いえ……どこか軒先でも借りられれば……」

「いやいや、最近冷え込む日が多くなってきているし……困ったな……」

 まさかこんなとんでもない女の子かやってくるとは……。


「……桐、私たちも覚悟しなくちゃ。最悪、私がまた身を売れば……」

「そんな……姉ちゃんばっかりにそんな事、させられないよ。私ももう十八で大人だから、私だって身を売って稼ぐことぐらい……」


「……ごめんね、桐……」

 お梅さんはさめざめと泣き出した。


 けど、なんか……桐はともかく、お梅さんはちょっと演技っぽく思えるのは気のせいだろうか。


「……拓也さん、ここはやっぱり、あの話を進めた方が……」

 啓助さんがここぞとばかり、商売の話を持ちかけてきた。


「……そうだなあ。ちょうど、向こうで道具も揃ってきたし……仕方ない、ちょっと早いけど、みんなに見てもらおう」


 そろそろ開店の準備を進めないといけない時間だが、重要な話なのでここは半時ほど後倒しにし、天ぷら『いもや』のヤエとその母親の鈴さん、源ノ助さんも誘って、先にとある建物まで案内することになった。


 全員で歩くこと、約十分。


「……ここは……」

 そこは一件の、古びた旅籠はたごだった。


「これって、『三国屋』の旧館じゃないですか」

 凜さんがちょっと驚いたように声を出した。


「その通り。新しく港の近くに大きな旅籠を建てて以来、こっちは使われていない。相当古いから、あちこち痛んできているけど、建物の構造自体はしっかりしているらしいんだ。部屋数は六畳間が八室、風呂も付いている。台所は共同になるけど……ここを『阿讃屋』が仲介して、安値で貸してくれると言ってくれている。そこでこの建物を、『女子寮』に改装しようと考えている」


「……じょしりょう?」

 全員、きょとんとしている。


「……まあ、ようするに女の子だけ自由に出入りできる住まいにしようと考えているんだ。男子禁制、つまり男は入ることができない」


「……それは一体、何のためですの?」


「防犯上の理由、だよ。女の子が安心して住めるような施設を作りたいって、ずっと考えてたんだ。今のご時世、『女は家庭に入るべし』っていう風潮があるけど、でも実際には外で仕事をしている女の人だっていっぱいいるわけだから、少しでも安く、楽に生活できるようにって」


「……それじゃあ、私たち、ここで寝泊まりできるようになるんですか? こんな立派な旅籠に?」

 桐は半信半疑だ。


「ああ。そう考えている。しかもタダで、風呂、食事付きでだ」

「……タダでっ! そんなうまい話があるのっ?」

 真っ先に食いついたのは、二十二歳のお梅さんだった。


「……いや、ごめん、タダって言うのは語弊があった。条件があって……ここに住む人には、ある内職をしてもらいたいんだ」

「内職……と言うことは、仕事をいただけるわけですね?」

 しっかり者の桐が確認してくる。


「ああ、その通り。縫製、つまり縫い物の仕事なんだけど……うん、それはまたちゃんと決まってから話すよ。この建物も、住めるようにするには多少手を入れる必要があるし、掃除もしなくちゃいけないし」


「なら、その掃除、わたすがやってもいいですか?」

 玲が、あいかわらず目を輝かせて名乗り出た。


「……そうだな、どのみち住むところがないんだったら、うん、そうしてもらうといいかもしれない。しばらくはそれが君の仕事だ。正式に雇うかどうかは、その働きぶりを見て決めるよ」


「はいっ、ありがとうございますだっ!」

 玲、ますます目を輝かせて大喜び。


「あの……私たちもここに住まわせてもらう事って、できるのですか?」

 遠慮がちに質問してきたのは、母子家庭の母親であるお鈴さんだ。


「もちろん、そのつもりでいたよ。二人は天ぷらで協力してもらっているから、内職の必要はない。ただ、ここの食事の準備とかを担当してもらえるとありがたいけど」


「そんないい条件でしたら、もちろんお受けします。長屋の家賃もばかになりませんからね」

 お鈴さんも満面の笑みだ。


「では拓也さん、商談成立ということでよろしいですね?」

 こちらも満面の笑みの啓助さん。うーん、うまく乗せられてしまった。

 ……まさか、玲とグルだったなんて事、ないよな?


「ええ、お願いします。それと内職の件も、お願いしますよ」

「もちろん。それは黒田屋さんにもう話をつけていますから」

 相変わらずの手際の良さだ。


 とりあえず、みんなうまく収まったみたいで一安心。

 前田邸の五人も、これ以上嫁が増えることはないと分かってほっとしているようだし。


「じゃあ、わたすは早速掃除の準備を……」

「いや、待った! 君はまず、自分の体を綺麗にすることが先だよ」


「……へっ? わたす、ですか?」

「そう。何日も風呂に入っていないんじゃないのか?」


「……えっと、風呂になんか入ったことは生まれて一度もないですが……」

「……ええっ!」

 全員、驚愕。


「あ、でも、タライに水を入れて行水したり、川で体洗ったりはしたことありますっ! 最近、水が冷たくてあんまり出来てないですが……」

 どうやら体を洗ったことはあるようで、一同、ちょっとほっとする。


「拓也さん、どうします? 前田邸のお風呂に入れてあげます?」

 あいかわらず優しい優が提案してくる。


「うーん……ここから歩いて戻るのはちょっと遠いし、風呂を沸かす準備にも時間がかかる。現代の俺の家に連れて行けばすぐ入れるけど……」

「駄目ですよ。そんな理由では、私は人を仙界へ連れて行けません」

「だよなあ……」


 優は未だにアキが時空間移動に巻き込まれた事故を引きずっていて、よっぽどの理由がない限り、他人を連れての時空間移動に消極的なのだ。


「じゃあ、湯屋に連れて行くしかないなあ……」

 この時代、湯屋、つまり銭湯は朝から開いている。


「そうですね……でも、お玲ちゃん、湯屋の仕組みなんて知らないんじゃないですか?」

「ああ、そうだな。じゃあ優、一緒に行ってあげていいか?」

「はい、でも……私たちだけだと……」

 優のちょっと恥ずかしがる様子を玲が不思議がった。


 そして湯屋が『混浴』であることを説明すると、真っ赤になっていた。


「……じゃあ、護衛として源ノ助さんを……」

「いえ、わたすは……裸で居るところを男の人に、間近に居られるのは、ちょっと……」


「そうか……慣れてないんじゃ、抵抗があるよな」

「でも……前田様なら、平気です……」

 頬を赤らめてそんなことを口に出す。


 ちょっと俺もどきっとして、かわいいな、と思っていると……なにやら背後から殺気を感じて、背筋がぞっとした。

 恐る恐る振り返ると……前田邸の、優以外の四人が引きつった笑顔になっているではないか!


「……いや、拓也一人では心許ない。私も一緒に行って、手を出そうとする不埒な輩は成敗を……」

「ナツ、お前は店があるだろうがっ!」

「うぐっ……」

 ちょっと悔しそうな表情を浮かべるナツ。


「……まあ、よろしいんじゃないですか? 私たちみたいに、一人ずつ混浴するわけじゃないですし……」

 なんか、凜さんの余裕とも自慢ともとれる言葉で、一応収まった。


 こうして、俺と優、玲の三人で湯屋に行ったわけだが……。


 薄暗い湯屋の中、俺は極力二人の裸を見ないように努めた。

 この時間帯、客は少なく……といっても、数人はいてチラ見してくるわけだが、必死に俺が壁となって見られまいとガードした。


 そんな苦労も知らず、二人のガールズトークは弾んでいて……まあ、仲が良くなって何よりだ。


 そして数十分後。


 俺に遅れて服を着終わった優が、

「もうこちらを見て大丈夫ですよ」

 と言うので、安心して振り返ると……そこには、二人の美少女が立っていた。


 一人は、相変わらず綺麗な優。

 そしてもう一人……一瞬、目を疑った。


 ぼさぼさで寝癖のついた髪は、しっとりと濡れて綺麗に伸びたツヤのある黒髪に。


 黒ずんでいたと思っていた肌は、汚れがすっかり取れ、張りがありみずみずしく、思ったよりずっと色白に。


 小さな鼻と唇、均整の取れた輪郭。

 そして何より、ぱっちりとした、それでいて相変わらずキラキラと輝く瞳。

 優から着物を借りていることもあって、ずっと垢抜けてみえる正当派美少女。


 思わず見とれ、その様子に優が苦笑する。


 これが本当の玲――。


 彼女の母親は、『あんたなら絶対に気に入られるから、頑張るんだよ』と言ったらしいが……その意味を、理解したような気がした。

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