第109話 お披露目

 俺と優、玲の三人は、湯屋を後にしてそのまま凜さんが店長を務める『前田妙薬店』へ向かった。


 暖簾のれんをくぐって顔を見せると、凜さんは

「あら、優、拓也さん、いらっしゃ……」

 と、そこで言葉を詰まらせ、呆然とした表情になる。

 凜さんも驚いたのだ……玲の変わりように。


「え……お玲ちゃん……よね……」

「はい、そうです。お風呂に生まれて初めて入りますた。えらく気持ちよかったですっ!」

 上機嫌な玲。


「そ、そう、それは良かった。あんまり変わったんで、ちょっとびっくりしちゃったわ」

 凜さんは戸惑いを隠せない。


「え、そんなに変わったんですか? 新しい着物、貸して頂きますたんで……」

「いえ、それだけじゃなくて……ちょうどいいわ、この鏡で自分の顔、見てごらんなさい」

 凜さんはそう話しながら、少し大きめの手鏡を玲に渡した。

 もちろん、それは俺が現代から持ち込んだものだ。


「……うわあ、すっごく綺麗な鏡ですね。わたす、こんなはっきり映る鏡、初めて見……」

 そこで彼女は言葉を止めて、食い入るように自分の顔を見つめていた。


 そのうちに、頬を触ったり、口を大きく開けたり、激しく瞬きしたり、前髪をいじったり……。

 しばらくそうしていた後、一言、


「……わたすって、こんなにめんこかったんだ……」

 とつぶやいた。


 それを聞いた優と凜さんは、一瞬顔を見合わせ、そして笑った。

「めんこい」は地方の方言で「可愛い」の意味だ。

 俺達は普段は使わないが、お客さんの中にたまにそういう方言を使う人がいるので、知識としては持っていた。


「そっか、お玲ちゃん、自分の顔をちゃんと見たことなかったのね。でも、こうするともっと可愛くなるわよ」

 凜さんが、試用するための口紅を持ってきて玲の唇に小さく塗ってあげる。


 そしてもう一度鏡を見て、

「……うわぁ、めんこい……」

 と、笑顔になった。


 それにつられて、凜さんも優も笑顔になる。

 こうなると、凜さんのスイッチが入ってしまった。


 『前田妙薬店』では、現代からいくつか化粧品も持ち込んでいた。

 この時代の人にはなかなか受け入れてもらえないでいたが……それを玲に使ってあげる、というのだ。


 なんか、凜さんも玲の事、気に入ったみたいで……和気藹々と化粧が進んでいった。

 そして半時後。


 俺と優、化粧を終えた玲の三人は、今度は

 『前田美海店』

 を訪れた。


 暖簾を潜ると、そこに居たのは開店準備をしていたユキ、ハルの双子。

「いらっしゃ……あ、拓也さ……」

 そこで固まるハル。


「どうしたの?」

 その様子を不思議に思ったユキが、改めて俺達の方を見て、そして口をぽかんと開けた。


「……ユキ、ハル、もうお客さんが来たの……」

 奥から出てきたナツは、俺達三人、いや、一番端の玲を見て、手に持っていた盆を床に落としてしまった。


「あ、あの、こんにちは。生まれて初めてお化粧、してもらいますた……はずかしいです」

 頬を赤らめる玲。


 凜さんにより、控えめながら化粧を施された玲のそれは、阿東藩どころか、恐らく江戸でもそうそうお目にかかればいほどの美少女に変化していたのだ。


 正気を取り戻し、なぜか集まってひそひそ話をする三姉妹。

 しかしすぐに解散し、ユキ、ハルは冷静を装って開店準備を続ける。

 ナツだけはこっちを見て、咳払いの後、


「……いや、すまない、ちょっとあんまり変わっていたので、戸惑ってしまった。その化粧、凜さんにしてもらったのか?」

「あ、はい、そうです。鏡見て、まるで自分じゃないように思ってしまいますた」


「はは、まあ、そうだろうな、凜さんの化粧の腕前はすごいからな。私はしてもらったことないが……私もしてもらおうかな……」

「へっ?」


「い、いや、なんでもない。ところで……ちゃんと飯は食べているのか?」

「いえ、今日はまだ何にも……」

 それを聞いて、俺も優も「えっ?」となってしまった。

 俺達はちゃんと朝飯を食べてきたが……彼女はまだだったのだ。


「そうなのか? だったらちょうどいい、今、飯が炊けたところだ。新しく店で出す料理も試してもらいたいし、食べてもらえるか?」

「えっ……ごはん、食べさせてもらえるんですか?」

 玲の瞳が、ますます煌めいた。


 料理の内容は、白飯、味噌汁、漬け物と、アジの干物、そして新作メニュー『ブリのしゃぶしゃぶ』だった。


 特にしゃぶしゃぶは現代からレシピを持ち込んだ物で、さっと熱い昆布だしに通したブリをポン酢と大根下ろし、ネギを加えて頂く贅沢料理だ。

 この料理、玲は最初は遠慮がちに箸をつけていたが……。


「こんなおいしい料理、初めて食べますた!」

「そ、そうか? なら良かった」

 本当にうまそうに、がつがつと食べるその様子に、ナツの表情もほころんだ。


「……そうだ、もう一つ考えている料理があるんだ。それも試してもらえるか?」

「はい、ナツさんの料理、もっと食べてみたいです!」

 ……なんか、ナツの方が乗ってきてしまった。

 ユキもハルも、いつの間にか笑顔でその様子を見ていた。


 さて、これだけもてなしたのだから、玲にもそろそろ働いてもらわないといけない。

 『三国屋』の旧館に向かうと、既に桐とお梅さんの二人が掃除に取りかかっていた。


 二人とも、玲のあまりの変貌ぶりに驚いていたが、彼女が作業着に着替えて豪快に掃除を始めると、笑いながら

「私たちも負けていられない」

 と、また作業に取りかかった。


 俺と優にも別の仕事があった。

 ある大きな荷物を、『三国屋』の旧館に運び込む必要があったのだ。


 約一時間後。

 『三国屋旧館』の一室に無事転送できたその荷物の動作確認を、二人で行っていた。


「あれ、拓也さん、優さん。いつの間に帰ってきていたんですか? それに……そんなもの、ありましたっけ?」

 桐が作業をしていた俺達に気づいて、声をかけてきた。


 玲とお梅さんも、すぐ後にやってきた。

「ああ、ごめん、言ってなかったな。えーと……ちょっと『仙術』使ったんだよ」

「ああ、なるほど、そうなんですね」

 と、すぐ納得してくれる桐。


「えっ……仙術? ……拓也様、ほ、本当に使えるんですか?」

 玲はちょっと驚いているが、その様子にまた桐とお梅さんが苦笑する。


「お玲ちゃん、この方はこう見えて本物の仙人なのよ。このぐらいのことで驚いてちゃ、この先やっていけないわ」

 お梅さんが若干オーバーに解説してくれる。


「いや、そんな大したことじゃないんだけどね……それより、ちょうど良かった。今準備が出来たところだよ。今から動かすから見ていてほしいんだ」

 そう言って、俺は慣れない手つきで、その道具を動かした。


 二枚の布を重ね合わせ、セットする。

 椅子に座り、左足でテンポ良くペダルを踏む。

 するとその装置はカタカタと音を立てて動き出し、重ねた布が移動していく。

 端まで動いたところで足を止め、その布を取り出した。


 ついさっきまでただ重ねただけの二枚の布だったものが、規則正しい縫い目で真っ直ぐに縫い合わされ、一枚の繋がった布となっているのが確認できた。

 これには、玲だけでなく桐もお梅さんも感嘆の声を上げた。


「足踏み式ミシン……手作業よりずっと早く縫製ができる道具だよ」


 玲はその布を手渡されると、相変わらず目をキラキラと輝かせて、飽きることなくずっとその綺麗な縫い目を眺め続けていた。

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