第105話 時空の神
今のところ、『ラプター』で江戸時代から新しく移動できるようになれるのは、あと一人のみ。しかも、『早い者勝ち』の状況だ。
まだその事を、お蜜さんもその上役も、正確には把握していないはずだ。
「……じゃあ、こうしましょう……まずは常磐の『ラプター』が正常に働くかどうか、試験する必要があります。天候がいつ崩れるかわからないから、早いほうが……そうですね、明日の早朝にでも試してみましょう。そのための準備はこちらで整えますが……一部、宮司様にも協力してもらいます」
急なお願いであったが、卜部宮司は二つ返事で了解してくれた。
「あと、その場にはお蜜さんにも立ち会ってもらいます。そして、空間移動の試験も一緒に行ってもらいます」
お蜜さんはしばらくきょとんとした後、
「それって、どういう意味ですか?」
と、困惑した表情で尋ねてきた。
「お蜜さん、あなたにも試してもらいたいのです。『空間移動』ができるかどうかを」
「……私がですか?」
その驚きを含む質問に、深く頷く。
「……分かりました。そのような重要な事を私で試すということは、何か深い考えがあるということですね。それならば、協力させていただきます」
先程とはうって変わって、満面の笑みで応じてくれた。
こうして、『五人目』の時空間移動能力者誕生に向けて、俺と優は徹夜で準備を進めていく事になった。
――翌朝。
よく晴れており、朝焼けが綺麗だと感じた。
この日、彼女たちが住む建物の前に集まったのは、宮司様、常磐、瑠璃、俺とお蜜さんの五人。
優は前田邸で待機しており、他の神官や巫女にはこの場所に近づかないように指示している。
建物には、屋根に向かって、俺が現代から持ち込んだアルミ製の丈夫な梯子がかけられている。
また、事前に建物の裏側からロープを引っ張ってきて、屋根の頂上である『棟』を超えて軒先まで伸ばしている。
その直ぐ脇に、空気を入れて膨らませた体操用エアマットを準備。
宮司様に用意してもらった布団で挟み込む念入り仕様だ。
常磐には、これも現代から持ち込んだ紺色の『ジャージ』に着替えて貰っている。
妹のアキが使っているものだが、サイズ的にはちょっと大きいぐらいだ。
もちろん、常磐を動きやすくするための準備ではあるが、これだけでは不十分。
「安全のためだから」と説明し、肘と膝にプロテクターを付けてあげる。
しかし、これが……ちょっと照れてしまう。
まず、今まで重厚な巫女の衣装を着た彼女しか見たことが無かった。それがこういう軽装になったものだから……より一層、華奢な彼女の体つきが分かってしまう。
満年齢で約十六歳、小動物の様に可愛らしい顔つきで、体のラインが細い割に、そこそこ胸がある。
長い黒髪は、邪魔にならないよう後でポニーテールのようにまとめられていた(これは元々だが)。
巫女として何年も修行を積み、かわいらしさの中にも神々しさを備える常磐。
その『常磐』という名前は、元々の名ではない。
『瑠璃』も『紅緋』も……代々、『人身御供』とされる女性には、色の名前が新たにつけられていた。
特に『常磐』は、卜部宮司が彼女の話を明炎大社の常磐井宮司にしたときに、彼女を哀れみ、自分の名がちょうど色を含んでいるから、と拝領した二文字が由来だという。
そんなまさに神聖なはずの常磐なのだが、ジャージを着ると……普通の可愛らしい女子高生に見えてしまう。
それに、先程まで着物を着ていたということは……ジャージの下は、おそらく裸だ。
そんな彼女に、思いっきり近づいて肘や膝にプロテクターを着けてあげている……うーん、優がいたら嫉妬されていたかもしれない。
両手には既にラプターが装着されている。
ようやく準備が整い、彼女が恐る恐る梯子を登り始める。
なお、足下は靴ではなく、足袋……それも足の裏にゴムの滑り止めがついた、安全タイプのものだ。
梯子を支えるのは俺の役目。いざというとき、彼女を受け止める役割も兼ねる。
しかし、そうすると登っている彼女を下から見上げる体勢になるわけで……ちょっとドキドキしてしまう。
やがて両手が屋根にたどり着いた常磐、あらかじめ用意されたロープを掴んで、無事に屋根の上に上がれた。
少しだけ体を動かして、マットの上の位置に移動する。
安全のため、梯子は取り除いた。
これで全ての準備は整った。
常磐は二、三回深呼吸をして、覚悟を決めたように表情を引き締め、
「えいっ!」
と元気な掛け声と共に、マットに向かって飛び降りた。
足が下に着く寸前……一瞬の警報音、そして片方のラプターが激しい光を発して、そして彼女は忽然と姿を消した。
「おおっ!」
驚きに目を見開く宮司様。
とりあえず、『落下による強制時空間移動』機能は働いた。
しかし、まだ確実に『前田邸』に移動できたかどうかは定かではない。
緊迫した時間が流れる。
しかし数分後、優と常磐が一緒に姿を現したとき、宮司様はもう一度驚きの声を上げた。
これをもって、常磐の『危機回避試験』は成功となった。
卜部宮司様は感心しきりで、
「生きているうちにこのような奇跡を何度も目の当たりにするとは思っておらなんだ」
と、頷いていた。
「……じゃあ、お蜜さん。約束通り、貴方にも試してもらいます」
そう言って、常磐から『ラプター』のセットを預かり、お蜜さんにつけ直す。
「ただ、先に言っておくのですが……貴方では空間移動することができない」
「……ええ、なんとなくそんなふうな予感はしています。でも、試してみないことには上役は納得してくれないでしょうからね」
意外にも彼女は、失敗するであろう事に気づいていた。
俺が梯子をもう一度セットしようとすると、なんと彼女は、まず軒下に飛びついて、そしてあっというまに屋根の上に上がってしまった。
服装は着物と、いわゆる『忍装束』の中間のような形状で、動きやすそうだなとは思っていたが……やっぱり彼女は本物の『忍しのび』なんだな、と感心してしまった。
そして一切の躊躇なく、マットに向かって飛び降りた。
――彼女は、普通にマットの上に舞い降りた。
ラプターが働くことはなく……ほんのちょっとだけ、お蜜さんは残念そうな表情を浮かべた。
次に、瑠璃のラプターをお蜜さんに着けて試したが、結果は同じだった。
「お蜜さん……もう気づいていたとは思いますが、その両腕に付けた『ラプター』は、使用する人に合わせて作られています。だから、あらかじめ決められた本人以外は使いこなすことができない。俺達も同じで、俺が優や常磐、瑠璃のものを使用しても、移動することができないんです。しかも、新しいものが作成されることがない……常磐と瑠璃の分が、この時代で準備できる最後だったんです」
「……なるほど、そういうことですのね……と言うことは、私たちが望んでも、新しい『らぷたー』を手に入れる方法はない、ということですね……」
「はい……残念ながら……」
ここで、俺は一つ嘘をついた。
『ラプター』は、使用する人に合わせて作られているわけではない。
正確に言うと、『最初に使用した人に適合してしまう』のだ。
だから、もしお蜜さんが常磐より先に『ラプター』を使用していれば、お蜜さんがその真の所有者になっていた。
「……わかりました。上役にも、そのように報告しておきますわ」
お蜜さんは吹っ切れたのか、笑顔でそんなふうに語ってくれた。
こうして、常磐と瑠璃の二人が新たな『時空間移動能力者』となったことを確認して、この日の試験は終了したのだった。
この出来事を、俺の部屋を訪ねてきていた叔父に報告すると、彼は真剣な表情でぼそっと一言つぶやいた。
「……やはり『時空の神』は存在するのか……」
それを聞いて、俺は「へっ?」と、奇妙な声を出してしまった。
「いや……彼女たちが実際に時空間移動能力を手に入れるのは『人身御供に捧げられたとき』の筈だったから、数年はかかるのではないかと考えていた。それが、こんなにあっさりと、わずか数日で二人共が成し遂げるとは……」
「いや、でもそれは紆余曲折があったから……」
「その紆余曲折も含めて、だ。開発者の俺でさえ数ヶ月もかかった。なのにお前や優君は一発で、巫女の二人も数日で能力を手に入れた。そしてアキや、その『お蜜』という女性は、恐らく望んでも一生時空間移動能力者になれない……」
叔父は、『時空の神』や『与えられた使命』といった、およそ物理学者に似合わない単語を交え、最近考えている『ラプター』の存在意義について語り始めた。
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