第61話 あまちゃん
現在から六百年前、つまり西暦1415年は『室町時代』だ。
もう少し詳しくいうならば、南北朝が『明徳の和約』により1392年に統一されてから二十年ほど過ぎた頃で、足利義満が死没したのが1408年。そのあたりの時代だ。
歴史の教科書ではあまり大きな事件は語られておらず、何があったか正直俺もよく知らない。
金閣寺と銀閣寺が建つ間、ぐらいの認識しかないが、実際には様々な文献が残っているらしく、研究対象としては十分らしい。
ラプターの性能的には、室町時代へは時空間を『二層』飛び越えるため負荷が多く、一度使うと再使用には六時間の待機時間が生じてしまうという。
これは江戸時代へのタイムトラベルで俺が使用しているラプターの倍の待機時間だ。
ただし、『ツインラプター』としているため、一往復に限り連続使用可能だ。
三個、四個身に付ければ一往復半、二往復すぐにできるのではないかとも考えたが、何個付けても『片道』には六時間(江戸時代では三時間)空けないといけないため、無駄ということだ。
また、重量制限は従来と同じ八十キロ。
叔父は七十五キロまで体重を絞っていたのだが、それでも五キロの荷物しか持てない。
だが叔父は
「そこそこの性能のカメラ、録音機材さえ持ち込めればそれでいい」
と満足しているようだった。
叔父は俺と違って、金儲けにそれほど固執していない。
今回のシラスウナギも、単に俺の『江戸時代で関わった人を助けたい』という、独りよがりな行動に協力してくれているだけだ。
とりあえず、これで
「江戸時代で仕入れたシラスウナギを現代の養殖業者に買い取ってもらう。その利益の一部で、大きく育ったウナギを買って江戸時代に持ち込み、『前田屋』で売る。余った資金も使い、現代で鏡や真珠を買い、江戸時代で売る』という循環が整った。
ただ、問題がある。
シラスウナギが、冬から春にかけてでしか捕れないと言うことだ。
おそらく、もう二ヶ月もすれば、ミヨの父親は職を失う。
一応、ウナギやアユなどの他の魚を捕らせてもらえるよう地元の漁師にはお願いしているが、シラスウナギほどの収入は期待できない。
その話を知ってか、ミヨも
「自分も働きに出たい」
と俺に申し出ていた。
もともと『身を売る』覚悟をしていた彼女。今後のことを真剣に考えていたようだ。
そこで、沿岸部の海女さん達に彼女のことを紹介した。
この海女さんたち、例の『沈没船の財宝探し』時に実際に海に潜った人たちで、俺は三郎さんに同行してもらい、当時の様子を彼女たちに詳しく聞いていた。
つまり、面識があったのだ。
そのとき、それなりの情報料を渡していたこと、また、彼女たちの耳にも『前田拓也』の名前は入っていたようで、かなり好印象を持たれていた。
そのため、ミヨを連れて行ったときも、二つ返事で暖かく仲間として受け入れてくれるということだったのだが……。
漁村に行ったが、集落で探しても彼女たちの姿が見つからない。
外で網の整備をしていたおじさんに聞いてみたところ、
「もう海に出て潜っている」
と言うではないか。
まだ春先、風は少し肌寒い。
こんな日にまで海に潜るなんて……。
おじさんに言われるがまま、彼女たちが海に出ているという海岸に行ってみた。
波は比較的穏やかだが、潮の香りがきつく漂ってくる。
二百メートルほどの砂利の海岸、小舟が三艘上がっている。
ただ、見える範囲には誰もおらず……その代わりに、古そうなほったて小屋からわずかに煙があがっている。
たぶんあそこで休憩しているんだな、と思ってちょっと近づいていくと……上半身裸の女の人が出てきた。
まだ百メートルほど離れており、顔がはっきりと分かるほどではなかったが……たぶん四十歳ぐらいのおばちゃんだ。
俺は一瞬固まり、そして引き返そうと後を向いたが、
「拓也さんでねーか。ちょっと寄っていきなようっ」
と声をかけられてしまった。
……昔の人が目がいいのを忘れていた……。
小屋の中に案内されると、そこには十人もの女性が集まっていた。
上半身裸の人もいれば、作業着を肩に掛けているだけの者もいた。
どちらにせよ、ほとんど胸がはだけてしまっている。下半身も、小さな腰布で隠しているだけだ。そしてその格好を気にしていない。
おばちゃんならまだしも、十代と思われる女の子が半数を占めており……目のやり場に困ってしまう。
この時代では当たり前、この時代では当たり前……。
俺は必死に『別に何とも思っていない』表情を作り続けた。
しかしおばちゃんにはバレてしまったみたいで、
「拓也さん、おなごばかりだからって、そんなに照れんでもええから」
とからかわれてしまった。
他のおばちゃんや女の子から笑いが漏れる。
小屋の真ん中には小さな囲炉裏に鍋が掛けられている。
部屋全体がちょっと暑いぐらいの温度に保たれており、冷えた体を温めるにはちょうどよさそうだった。
鍋の中にはワカメや下魚のぶつ切りが入っており、雑炊もあった。
これをごちそうになったのだが……鍋がうまい。
海草も魚も新鮮なだけあって、現代以上においしく感じた。
ただ、雑炊は薄く、あんまりおいしくなかったが、それでもこの時代の人にとっては贅沢品だったかもしれない。
その証拠に、部屋の片隅にいたミヨが
「この村は食べ物がすごくおいしい」
と笑顔を見せていたから。
ちなみに、ミヨだけは普通の、つまり前の村にいたときと同じ、古びた着物を着ている。
彼女は『海女の見学』と『お手伝い』しかしていない。
実は昨日、彼女の希望で潜らせてみたのだが、頑張りすぎて溺れかけてしまい、それで今日はまた見学に戻っているらしかった。
もちろん、今までの収穫はゼロ。
海岸部で生まれ育った女の子なら、遊びで素潜りとかしていただろうけど、農村育ちの彼女はせいぜい川遊びをしたことがあるぐらい。いきなり海女は無理だったのだ。
海女さん達は、
「まあ、ゆっくり覚えていけばいい」
と笑顔だったが……それではミヨは、いつまで経っても『収入』が得られない。
海女さんの収入は個人が取った量が全て。つまり、彼女たちにとってミヨが貝や海草を採らなくても、自分達の収入にはあんまり影響しないのだ。
まだ春先から漁を始めるのも、自分達が収入を得たいがため。
そんないわばプロの集団の中で、ミヨがいきなり活躍できるわけがない。
それでも……彼女は笑顔だった。
俺がミヨの側に行き、大丈夫、すぐに慣れるから、と声をかけてあげると、涙目になりながら頷いて、
「私、がんばります。拓也さんのご恩に報いますから」
と、けなげなことを言ってくれた。いや、俺はそんなつもりじゃないんだけど……。
するとそれを見たおばちゃんが、
「拓也さん、その子、嫁にしてあげなよ」
とからかってくる。しかしミヨが、
「いえ、拓也さん、もうすごく綺麗なお嫁さんがいますから……」
とバラしてしまった。
すると一同からちょっと驚きの声が上がる。
「さすが男前なだけあって、若いのにもう身を固めていたか」
「いや、私は聞いたことある。なんでも、
「さすが大商人。だったら、私も妾にしてくれんかね?」
……なんか話が変な方向に流れてしまった。
俺はきちんと、嫁は一人だけで妾はおらず、単に『前田屋』の従業員として働いてもらっているだけだと説明した。
しかし、逆に
「じゃあ、妾が欲しくなったら是非私を……」
と、俺と同い年ぐらいの女の子達がえらく積極的に迫ってくる。
なんか漁師の娘って、開放的って言うか……。
健康的に日焼けした膚、しかも腰布をまとっただけの若い彼女たちに迫られると、ちょっと冷静なままでいるのが大変だった。
まあ、彼女たちと打ち解けて仲良くなったのは良かったが、これはこれでまた、気になる女性達が一気に増えたわけで……ちょっと自重しなければ。
休憩時間が終わり、彼女たちは小舟に乗って貝や海草を採り始める。
さすが本職、この冷たい海をものともせず、次々と収穫していく。
それをミヨは、ただ見ているだけ。
それでもその目は真剣で、
「どうして海の中で、あんなに簡単に貝が見つけられるのかな……」
とつぶやいていた。
翌週、俺は彼女たちのために水中眼鏡の一種である『磯メガネ』を十個持ち込み、試してもらった。
その成果は、
「これほど水の中がはっきり見えるなんて、たまげた!」
と驚愕をもって歓迎され、さらには
「拓也さんは本当に仙人様だったんだ!」
と拝まれる始末だった。
ただ、一緒に持ち込んだウエットスーツと足ひれ(フィン)は、「かえって動きにくい」と使ってくれなかったのは残念だったが。
そしてこの日、『磯メガネ』を付けたミヨは、初めてトコブシを採ることに成功した。
海女の中でも最年少の彼女。
他の女性達と同じ腰布だけの格好でも恥ずかしがらず、寒くても弱音を吐かない。
病気がちで海女にはなれない母親のためにも頑張るという彼女、本当にけなげだ。
一つ成果を上げて自信を付けたミヨ、このあとの成長は誰よりも早かった。
そして『磯メガネ』を着用した彼女たちは、『財宝探し』においても重要な戦力になるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます