第38話 初夜
『
東海道の宿場町としては、大きくはない。
それでも、俺がいつも商売している阿東藩の城下町より遙かに人通りが多く、賑やかだった。
もう暗くなり始めていたが、
だが、もっと遅い時間になると、治安維持のため『木戸』と呼ばれる門で町全体が封鎖される。こうなると、さすがに人通りが少なくなってくる。
その前にこの宿場町を目指していたので、間に合ったことに俺も優もほっとしていた。
宿としては『
俺達は普通の
本当の事をいうと、俺も優も、『ラプター』を用いて三百年後の世界に行き、俺の実家で寝泊まりすることができる。この宿場町をポイント登録しておけば、帰ってくるのも一瞬だ。
しかし、優は『ラプター』の使用を極度に恐れている。
無理もない。そもそも今回旅に出た目的も、ラプターの時空間移動に巻き込まれ、行方不明となった妹のアキを捜すためなのだ。
不用意に使用して、また事故が起きる可能性だって、否定できない。
ただし、俺は使わない訳にはいかない。
そもそも、この江戸時代に連続で四十八時間以上滞在することはできないし、定期的に帰って家族に現状の報告もしなければならない。
俺と優は、案内された部屋で少し休憩を取った。
その後で、彼女に「すぐに帰って来るから」と告げて、俺だけ現代に帰った。
実家の自分の部屋に出現し、一階に下りていくと、帝都大学准教授である俺の叔父が慣れない手つきで料理を作っていた。
叔父は、母の弟だ。
最近、母はアキが行方不明になったことで体調を崩し、寝込んでいる。
父はまた仕事の都合で海外に戻った。
そんなとき、ちょうど大学が冬休みに入っていることもあり、独身の叔父がこの家に住み込んで母の面倒を見てくれているのだ。
そして叔父は俺がアキの捜索を行っていることを知っている。
また、母にその事を説明してくれてもいる。
母はまだ半信半疑だが、江戸にアキと思われる少女がいるらしい、という知らせは、二人をかなり安心させていた。
俺は叔父に、無事『二川宿』にたどり着いたことを報告した。また、順調に行けば十日以内に江戸にたどり着くことも。
叔父は、『慣れない旅になると思うが、よろしく頼む』と励ましてくれた。
そして俺が新しく荷物を背負い、江戸時代に戻ろうとしているのを見て、「なぜこの家に泊まらないのか」と不思議そうに声をかけてきた。
そこで向こうでの旅は優が一緒であることを告げると、一瞬あっけに取られていた。
ただ、その方が俺としても気が紛れるし、彼女も責任を感じてしまっているから、と話すと、理解してくれた。
ラプターで旅籠の部屋に戻ると、優が二人の中年の男となにやら話し込んでいた。
相当困惑した表情だったが、俺の姿を見てほっとした様子で
「拓也さん、お帰りなさい」と声をかけてきた。
二人の男は俺がここにいる事にぎょっとした様子だったが、
「あ、旦那さん、帰ってきたんだね。じゃあ、また」
とだけ言い残し、そそくさと部屋を出て行った。
「あの人達は?」
「えっと……なんか、よく分からないけど、部屋が隣になったのも何かの縁だとかいうことで、挨拶しに来られたんです。私が『江戸に向かうのは初めて』と言うと、これから先の宿場のこととか、いろいろ教えてくれたんですけど……」
この時代の旅籠は、部屋と言っても
それどころか、宿泊客が多いときは一つの部屋で複数の客のグループがザコ寝することもあるという。男女おかまいないしに、だ。
といっても、そもそも女性の旅人は極端に少ないのだが。
「役に立つことも教えてもらっていたのですが……かなり、お酒を飲んでいらっしゃるようで……」
なるほど、それでしつこくて困っていたのか。
こんなかわいい女の子がたった一人で部屋にいるのは、確かにめずらしいし、声をかけたい気持ちも分からないではない。けど、俺としては心配だし、ちょっと嫌だ。
ラプターがツインシステムとなったことで一往復ならば使用時間制限もなくなったので、明日からはもっと早く用事を済ませて帰って来よう、と心に決めた。
食事を終えると、もう外は真っ暗になっていた。
ただ、この宿場町でどうしてもやっておかなければならないことがある。
旅で体が汚れていたこともあり、俺と優は湯屋、つまり銭湯に行くことにした。
ちなみに、大抵の旅籠では風呂はないか、あってもごく小さなものだ。
多くは宿場町ごとに存在する湯屋で体を洗うことになっていた。
そしてその湯屋にたどり着いた俺達は、そこの番頭にある交渉をした。
それは、「尋ね人」の張り紙をさせてもらうことだ。
この時代、湯屋には多くの人が集まり、そして現代で言うところの「ポスター」が壁に貼られている一角があった。
そこでは店や商品の宣伝など、広告媒体として張り紙がしてある。そこに、俺が現代から持ち込んだ「尋ね人」のポスターを貼ってもらおう、というわけだ。
もちろん、そこに載っているのはアキの写真だ。
アキが江戸にいる、というのは確定情報ではない。あらゆる可能性を考慮する必要がある。
今回の旅、江戸を目指すだけではなく、少しでも情報収集に役立つことをしていかなければならない。
湯屋の番頭はフルカラー、写真画質のポスターに目を見張り、さらに内容である「この娘を保護し、阿東藩の阿讃屋まで知らせた者には金百両の礼をする」に驚きの声を上げていた。
ちなみに、文面を書いたのは達筆の源之助さんだ。
それなりの広告費を払い、そのポスターは早速脱衣所の壁に貼ってもらえた。
そしてそれから、入浴。
ここの湯屋の構造もいつも利用している施設と大して替わりはなく、やはり混浴だ。
しかも、女性はほとんど……というか、優しかいない。
既に二十人ぐらいの視線を浴びながら、彼女は着物を脱いでいく。
俺は彼女をその視線から守るように立ちふさがり、自分も裸になった。
そして優は大きめのバスタオルで体をかくし、俺は手ぬぐいを持って、空いた手を繋いで一緒に洗い場へ。やっぱり集中して見られる。
ところが、急にその視線の半分が、脱衣所の方へと向いた。
俺もつられてそちらを見てみると……二十代前半ぐらいの、綺麗なお姉さんが着物を脱ぎ終わり、裸になっているところだった。
完全に大人の女性の体であり、まだ少し子供っぽさを残す優の裸より、色気という意味では印象が強い。また、その容姿も「端麗」というか、「妖美」というか、とにかく美人、スタイル抜群だ。
全く隠そうとしないその姿に俺もつい見入ってしまい、優に軽くつねられた。
するとその女性は、なぜかこちらに歩いてきて、優のすぐ隣に座った。
「突然ごめんなさいね、女の人、あなたしかいなくて……ちょっと心細いから、ここにいていいかしら」
「あ、はい。私も隣に女性がいる方がいいです」
……いや、美少女と美人が並んで座っていたら、まとめて見られてしまうから。
「お隣の方、あなたの旦那さん?」
「はい、そうです」
「へえ……ずいぶんとお若いみたいだけど……いつ結婚したのかしら」
「ええと……今日……」
「今日!?」
顔を赤らめ、下を向きながら少し嬉しそうに、少し恥ずかしそうに小声で答えた優に対して、そのお姉さんは驚きの声を上げた。
「そうなの……それはそれは、おめでとう。それで二人で旅行に来たのね」
「……まあ、そんな感じです。あの、私、優といいますけど……」
「ああ、まだ私、名前言ってなかったわね。『ミツ』よ。花の蜜の意味」
なるほど、だからなんとなく甘い感じがするのか。
「蜜さんは、お一人なんですか?」
「いいえ、私にも連れがいるわ。ほら、あそこ。名前は『サブ』よ」
指さされる方向を振り返ってみてみると……五メートルほど離れて、鋭い視線の青年が座っている。
スリムなのに筋肉質、美形だが……あちこちに傷跡があり、それが凄みを増している。
座っているのでよく分からないが、決して小柄ではない。
うーん、これはケンカしたら一瞬でやられそうだな……まあ、こんな人が見張っていてくれたら、優にも蜜さんにも、変なことをしようとする輩は現れないだろう。
けど、美人、美少女が裸ですぐ側にいる俺は……なんか、いろいろ我慢するのが大変だ。
「お二人は、やっぱり、ご夫婦なんですか?」
今度は優が質問する番だった。
「うーん、まあ、そんなところね。少なくとも、通行手形ではそうなっているわ」
……なんか、俺達と似ている気がする。
「蜜さん、私たちと一緒に阿東藩から来たんですよね」
「……やっぱり、あなたたちだったのね。あのサルの群れを追い払ったとき、ビックリしたわ。火薬か何か使ったのかしら?」
「えっと……」
あの仕組みがよく分かっていない優は、俺に助けを求める。
「はい、でも、そんな怖い物じゃなくて、花火の一種です。……あのとき、後にいた二人が、あなた達だったんですね」
「そうよ。おかげで私たちもサルにイタズラされなくて済んだわ。ありがとう」
にっこりと微笑んで礼を言う蜜さん。綺麗だし、裸だし、ちょっとドキドキしてしまう。
「いえ、思いもかけずお役に立ったのなら嬉しいです」
「うふふ、赤くなって……かわいい旦那さんね。うらやましい」
からかわれてしまった……優もやっぱり、頬を桜色に染めていた。
その後、
俺はなるべく二人の裸を見ないように気を使うので必死だった。
女性二人を見つめる周りの視線は、ここでピークに達していたが、もう彼女たちは慣れたのか、あまり気にしていないようだった。
ところが、その脱衣所で見たもう一つの衝撃的な光景は……俺が貼ってもらった、アキのポスターを見つめる人だかりだった。
「こんな綺麗な張り紙、見たことない」とか、「百両って……どんな身分のお方なんだ?」とか、「○○村のおチヨに似ている」とか……話題騒然だ。
蜜さんは、俺達の様子を見て何かに気づいた。
「私たちもあの貼り紙、見たけど……ひょっとしてあれって、あなた達が?」
「ええ、そうです……あれに載っているのは……探しているのは、俺の妹なんです」
「あなたの、妹さん? ……へえ、あなた達、お金持ちなのね……」
蜜さんの表情は、少し寂しそうだった。
「いえ、そんなことはないです。ただ、どうしても見つけなきゃならないから……ちょっと無理をして、あれを作ったんです。俺達が旅を始めたのも、妹を捜すためです」
「そうなの……妹さんですものね。……私たち、こう見えて顔が広いのよ。なにか手伝えること、ないかしら?」
優しい彼女のその言葉に、予備として持って来ていたもう一枚のポスターを渡した。
「……本当、近くで見るとこの絵、すごいわね。生きたそのまま貼り付けたみたいに綺麗……こんなにはっきり描かれているし、あんなに注目されているんだから、大丈夫、すぐ見つかるわ」
俺も優も、蜜さんの笑顔に、本当にすぐに見つかりそうな気がした。
そして湯屋を出て、二組に分かれ、それぞれの旅籠に戻っていく。
だが、俺はどうしても気になっていた。
あの二人、以前にどこかで会っていたような気がしていたのだ。
旅籠の、自分達の部屋に戻ったが、大声で談笑する者や、うろうろと廊下を歩く者、わざとかどうか分からないが、俺達の部屋の襖を開けて、「間違えた」と謝って帰って行く者がいて、なかなか寝付けない。
優も同じだったが、彼女は俺が渡した耳栓をはめると、疲れもあったのか、意外とあっさり寝入ってしまった。
一つの布団で、身を寄せ合い、手を繋いで寝ている俺と優。
相変わらず彼女の寝顔は、天使のようにかわいい。
考えてみれば、もう俺達は夫婦なんだ。
しかも、今日の早朝に「人別帳」に書き入れてもらった訳で……そういう意味では、いわゆる『新婚初夜』だった。
しかし、周りの雑音が多いし、密室であるわけでもないし、憧れていた状況とは全く異なり、そういう気分になれるはずもない。
今こうしている間、妹が酷い目に遭っていないか……そんな心配もしてしまう。
新婚とはいえ、幸福の絶頂とは程遠いが……それでも、体をくっつけて、安心したようにすやすやと寝息を立てる優の寝顔を見ると、本当に結婚したんだな、と感慨にふけってしまう。
そんなささやかな幸せを感じながら、俺もいつしか深い眠りについていた。
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