第12話 ファーストキス
俺と啓助さん、さらには
その日、夕方近くに「前田邸」へ帰ると、優と凜さん、そしてナツ、ユキまでもが血相を変えていた。
訳を聞いてみると、確かに嫌な予感のする話だった。
「ハルが、どこにもいない……」
その言葉を聞いた時点では、母屋の押し入れの中かどこかで寝ているんだろうぐらいにしか考えていなかった。
しかし、それはこの共同生活始まって以来の大ピンチだった。
ハルは「前田邸」の敷地内から出てしまっていたのだ。
詳しい経緯を聞いてみると、昼過ぎにハルとユキは暇をもてあまし、敷地内で「かくれんぼ」をして遊んでいたという。
ところが、ある時点から急にハルの姿が見えなくなった。
ユキがいくら探しても、「もう出てきてよっ」と呼びかけても、返事が返ってこない。
他の三人も、家事や内職を中断してまで探したが、どうしても見つからないのだという。
源ノ助さんには、「かくれんぼ」をしているぐらいにしか話していない。
もし、敷地内から出て行ってしまったなどということになれば、それだけで万屋との契約違反となり、最悪の場合、ハルは「連れて行かれる」。
もちろん、この家に帰ってくることはできず、きつい仕置きをされた後、「身売りされた娘」ということで男達の慰みものにされてしまうだろう。
まだ十三歳の女の子がそんな目に遭うなんて、想像したくない。
俺は「ひょっとして」という思いで、敷地の外を探すことにした。
もちろん、源ノ助さんに悟られてはいけない。
敷地内の女性達とは、現代から持ち込んでいた「トランシーバ」で連絡を取ることが可能だ。
その捜索は面倒なものだった。
彼女の名前を大声で呼ぶわけにはいかない。源ノ助さんに気づかれてしまう。
「前田邸」は小さな山の中腹にある。したがって、庭から続く坂を下りないと敷地からは出られない。
庭の反対側、つまり母屋と納屋の裏は、山のさらに上に続く崖となっており、到底登ることはできない。
問題は、離れの裏。
一応柵はあるものの、それを越えると下に続く崖になっている。
もし誤って転落していたのならば……。
その場所は自然木や雑草が茂る、小さな林になっている。
ここで倒れていたりすることがないよう、祈るような気持ちで探すが、幸か不幸か彼女の姿を見かけることはなかった。
トランシーバで優たちに連絡を取るが、敷地内ではやはり見つかっていないという。
(まさか、人さらい……?)
焦る気持ちはどんどん強くなっていく。
もう日は落ち、あたりは薄暗くなってきている。
このままだと、源ノ助さんが玄関に鍵を掛ける時間となってしまう。
その際、女の子がきちんと揃っているか、確認される。
俺が「前田邸」に帰っていれば、多少は鍵を掛ける時間を遅くしてもらえるが、そうすると屋外でハルを探すことができなくなる。
もう、タイムリミットが迫っている。源ノ助さんに正直に事情を話し、捜索に加わってもらうべきか……。
俺はもう一度だけ、崖下の林を探してみた。
(ふえええぇん……)
……一瞬、女の子の泣き声が聞こえた気がした。
「ハルッ……ハルなのかっ!」
この時だけは、俺は少し大きな声を出した。
「……ご主人様?」
……聞こえたっ! こんな言葉を発するのは、ハルに間違いない。
「ハル、どこだっ! ハルッ!」
「ご主人様あぁー!」
それはさっきの林の奥、しかも地面の下から聞こえてくるではないか!
あたりは大分暗くなっていたが、俺はLED製の小型懐中電灯を持っている。ヘッドライトにもなる防災グッズだ。
声がした場所の地面には、一メートル四方ほどの格子状の金属が埋まっており、表面の半分以上が土と雑草で覆われていた。
俺はそれを払いのけ、ライトの光を当てる。
「ご主人様っ! ごめんなさいぃー」
そこは縦穴になっており、すぐ真下で泣きじゃくるハルがいた。とりあえず、大きなケガとかはしていないようだ。
俺は彼女に一旦蓋の下から離れるように指示し、そして渾身の力でその金属を持ち上げた。
意外とあっけなく蓋が外れたので、すぐにその高さ1.5メートルほどの縦穴の中に入った。
「ご主人様っ!」
ハルは俺に抱きついてきた。
「ふえええぇん、怖かったですーー」
「もう大丈夫だよ。でも、どうしてこんな所に……」
「かくれんぼしてて、建物の裏に変な横穴見つけて……そこに入ったら、なんか滑り落ちて……登れないし、真っ暗だから怖くって、適当に歩いたらまた滑り落ちて……」
言っている意味がいまいちよく分からないが、どうもこの出口にたどり着くまでに、かなり時間がかかったようだ。俺が最初にここを探したとき、ハルはまだここまで来ていなかったのだ。
「ご主人様ぁー、きっと助けに来てくれると信じてましたっ、そしたら本当に来てくれて……大好きですうっ!」
チュッ。
……えっ……。
……。
えええっ!
キスされたっ!
ハルに、唇にキスされたっ!
俺、まだ誰ともキスしたことなかったのにっ!
優でもなく。
凜さんにでもなく。
まさかまさか、伏兵のハルにファーストキスを奪われるとはっ!
……けど、まあ、悪い気分ではない。
無事、ハルを助けられたし。
俺、ハルに好かれているみたいだし。
実はハル、結構な美少女だし。
……だめだ、こんな考え持ってちゃ、優にばれたら嫌われてしまいそうだ。
とにかく、このままハルを連れて帰るとややこしくなりそうなので、まずトランシーバで優たちに「ハル無事発見」の一報を入れる。
ハルの声を聞いた彼女たちは、涙声で喜び、そしてトランシーバ越しに彼女を叱っていた。
あと、源ノ助さんにトランシーバを渡すように指示。下手にごまかすより、彼にはここまで来てもらい、現場を見てもらうことにしたのだ。
源ノ助さんは、この『前田邸』まで続く抜け穴を見て驚いていた。
一揆の襲撃などを恐れ、庄屋が抜け穴を作ることはたまにあるらしく、これもそういう類のものなのだろう、と話してくれた。
「それで、源ノ助さん、これって、敷地から出たことになっちゃうんですか?」
「いやいや、確かにここは敷地外だが、緊急の場合は拙者が立ち会っていれば、そういうことにはならんです。たとえば、大けがして診療所に連れて行くときとか、火事になって逃げないといけないときとか。今の状況、十分緊急の場合と言えるし、拙者が立ち会っているんだ、何も問題ありません」
源ノ助さんは、笑って済ませてくれた。
ハルは比較的元気だったので、自分で歩いて前田邸まで戻った。
総出で出迎え。ハルはずっと泣きながら謝っていた。
抜け穴の入り口は、母屋の裏、崖を二メートル弱登った所にあった。
雑草に覆われ、高い位置にあることもあり、ぱっと見ただけでは穴があるように見えない。
すぐ脇に自然に生えた木があり、枝を伝えばたしかにその中に入れる。
よくこんな穴を見つけたものだと思ったが、「木を登ったときに、偶然」見つけて、自分だけの秘密にしていたようだ。
もちろん、彼女がさらに叱られたのは言うまでもない。
俺はしょげている彼女に、二人だけになったときにそっと耳打ちした。
「さっきの、二人だけの秘密にしような」
「えっ……さっきのって……」
「ほら、その……キスしてくれたこと」
「きす……?」
「ああ、こっちの言葉だと……口づけ?」
……自分で言って、ちょっと恥ずかしくなった。
ハルも真っ赤になった。
「あっ、ごめんなさいっ、嬉しくって、つい……」
「いや、俺も正直、嬉しかったから……でも、みんなには内緒だよ」
「はい、ご主人様と私だけの秘密ですぅ!」
良かった、ちょっと元気になったようだ。
ものすごくドタバタしたけど、なんか俺はこれでまた女の子たちから信頼されるようになったらしい。ナツに至っては、今まで「タクヤ」と呼び捨てだったのが、「タクヤ殿」と呼んでくれるようになった。まあ、ちょっと照れくさい。
それから七日後、旧暦の九月一日。
ついに、「起死回生の一手」の結果を、啓助さんが持ってきてくれた。
そして俺は、莫大な借金を背負うことを迫られた。
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