サプリメント08 夏
ふと気が付くと、結構な時間が経過しているということがある。
日常の仕事や家事に追われれば尚更だ。
「私も気が付けば夜の3時で、休憩を忘れて仕事をしていたなんてことがよくある」
アインズ様は、試作品のそうめんと日本酒八海山 純米吟醸を楽しまれながら、わたしの何気ない一言に言葉を返される。そういえば先日ユリ様が、アインズ様がお仕事されているのに下々のものが休むなど言語道断というようなことを言っていた。上司が帰らねば部下が帰りづらいと考える心理はよく分かる。さらに言えば私も含めてNPCは、プレイヤーに奉仕することを是とする存在。
「ホワイト企業を目指すものとして、自分が率先して行動すべきなのは理解するが、精神や肉体の疲労がないからついな」
「特にナザリックは地下ですから、陽の光というわかりやすい目安もありませんので時間を意識するのは難しいかと」
「そうだな」
そういうと、アインズ様は壁にかけられたアンティークといって差し支えのない、大きな柱時計を見ると、時間は夜の2時を指していた。
「食事をはじめる少し前まで仕事をしていたことを考えると、実践できているとは言いがたいな」
「認識することこそ、成功への第一歩かと」
「NPCたちもお前のように失敗を成長の糧と認識してくれるとたすかるのだが」
そういうと、アインズ様は二枚目のそうめんに手を付けられる。
しかし一口入れると若干考えるような素振りを見せる。
「やはり上手くはいかないか」
「はい。図書館の書物などを調べたのですが、この地域の小麦はパンなどに適した強力粉に分類されるもののようです。先日のデュラム小麦以外も見つかりましたが、分類で言えばほぼ強力粉の分類のようです」
今回、アインズ様が試食されていたのはこの地の小麦粉をつかったそうめん。比較用として大釜を使った私の認識する21世紀日本の小麦で作ったそうめん。製法の関係上、厳密にはモドキになるのだが、それでも実際に作ってみてわかったこともある。
つまりこの地の小麦の特性というものだ。
「そのためパンやパスタには向きますが、うどんやそうめんなどには向かない品種ということかと」
「そうか。先日再現したパスタの乾麺だが、おもいのほか好調でな」
「食文化や生活習慣を聞く限り、茹でる水の問題が発生するため、一部地域や貴族や豪商などに流通すると想定しておりました。しかし、茹で汁をスープにするアイディアで一緒に広がるとはおもいませんでした」
「ああ、外の料理人達も侮れないと考えさせられたよ」
デミウルゴス様の依頼で、以前この地の小麦の活用方法を検討したことがある。結果パスタが生まれたのだが、保存を考え乾麺がメインとなったのだが問題点は水だった。この世界の、特に人間が生きる地域は、水が豊富とはいえない。生活に不自由するほどではないが、日本のように使えるかというとそんなことはない。
しかし、それの対策を生み出したのは、魔導国に所属する料理人達だった。パスタの茹で汁に一手間加えて、スープにしてしまったのだ。よくよく思い返せばそんな料理も存在しているのだが、この地に生きる料理人達は、創意工夫で至ったのである。
「とはいえ、そうめんは今一歩でしたね。けして悪くはないかとおもいますが」
「ああ、美味いものを知っていると外にだすのは憚られるな」
「器具の図面は担当のインプに。レシピはツアレさんにまとめてもらいましたので、もし利用される場合は、どうぞ」
「ああ、もしかしたら外で良い案が浮かぶかもしれないからな」
アインズ様は、そういうと日本酒を煽られる。
最後の一口を飲み干されたのだろう。私は、気分を変えるために、背の高いシャンパングラスをだす。そしてシュバルツという黒ビールとシャンパンを1対1で注ぐ。比重の差もあり魅惑的な琥珀色のグラデーションがグラスの中で広がる。
「ブラック・ベルベットにございます」
「ビールもカクテルとして飲むとやはり味わいが変わるな」
「はい。本来はゴブレットなりに注ぐのがポピュラーですが、このグラデーションも美しいので、シャンパングラスを利用させていただきました」
「ああ、ここで酒を飲むと外の酒を飲む気にならんよ」
「なにかありましたか?」
「ビールにしろ、ワインにしろ、外は常温が普通なのだ!」
そういうとアインズ様はグラスを置き、物思いにふけられる。もし骸骨のお顔でなければ、眉間に皺を寄せ不満をこぼす表情を見て取ることができるだろう。
「アインズ様の時代でもやはりビールは冷やして飲むのが普通でしたか?」
「ああ、そうだな。付き合いの食事で飲むぐらいだったが、ビールといえば冷えたものが出てきたな」
「なるほど。実は私も同じ認識だったのですが、世界ではそうではなかったのですよ」
「ほほう」
アインズ様は興味をそそられたのだろう。目の輝きが変わられる。
為政者としての多様な文化への興味というより、食道楽になられた方の目だが……。
「ここに同じ一本の甘口のワインがあります。これを常温のままと、よく冷やしたもの。この二つの香りと味の違いをご確認ください」
「わかった」
アインズ様はよく冷えたワインの香り確認しクイッと飲み干す。その後に常温のワインを同じようにする。
「たしかに同じ味なのだが、常温のほうは甘いだが、いかにも赤ワインという香りが強い」
「はい。その認識で概ね間違いございません。そもそもこのワインはある程度冷やして飲むことを前提としたもの。香りや甘みもその温度で最善となるように調整されております。逆に常温で飲むと香りや甘みが強く出すぎてしまうのです」
「この例を出したということは、常温のビールというのは」
「はい。常温ビールは常温で香りや甘さ、ほろ苦さを少しずつ楽しむためのもの。アインズ様や私の認識するビールは、冷やして飲むことを前提としたビール。その違いにございます」
「冷蔵技術が未熟だからこその知恵、ということ側面のあるのか」
常温で飲む酒というのは多い。日本酒も常温を推奨する種類も多い。その辺を間違って冷や燗にしてしまうと、香りや味がもったいないことになる。つまりそういうことなのだ。
「その辺の知識がありながら、なぜ酒の作り方がわからない?」
そう。
何度目かの質問だが、私の頭には、料理のレシピがしっかりと入っており、さらに忘れる気配もない。しかし酒の作り方はさっぱりだったのだ。
「21世紀日本では酒をつくるのは違法でしたので」
「概略でも分かれば、よかったのだがな」
実際わかるのは、樽で管理する酒の場合、樽の元となった素材によって香りが変わることや、保管する温度や年数で違いでるという程度。実用方法がわからない。それこそ歴史書などで読んだていどの知識が断片的に残っている程度なのだ。その程度のことであれば、この地の職人たちが等に体系化している。
むしろ、能力で生み出した各原酒をお手本に、職人が試行錯誤するほうが有意義なのだ。
「さて、何かつくりましょうか? あまり量を食べられては、朝食を楽しみにされているアルベド様が残念がってしまいますよ」
「最近、朝食を運んで一緒に食べようとするのは、お前の差金か?」
とはいえ、長くこの話をしても結論は変わらないため、今回は早めに別の話題につなげる。
「別に差金ということはございません。家族が朝食を共にするのは当たり前のことと、お話しただけです」
「まあ、その分昼食や夕飯を、コミュニケーションがてら他のものととっても、何も言わなくなったがな」
「女心とは難しいものですが、居場所が定まれば余裕も生まれるというもの。では軽いスープとさせていただきましょうか」
そう言うと寝かせてあるミネストローネを取り出し、鍋にかけ温める。
じっくり時間を掛けて6種類の豆にトマト、白菜、カブなど大量の野菜に、カットしたベーコンなど野菜を煮込んだスープを、一度常温になるまでゆっくり冷ます。この工程を経ることで、出汁を十分に具が吸い込み、味わい深いミネストローネが完成する。
アインズ様はそれに黒胡椒を加えて食べる。
「こんな体だ。食べ物で健康が変わるとも思えないが、このような料理もよいな」
時間的には少々の酒と主食が入った後に、スープが体を温める。健康的かといえば、健康的といえるだろう。
「うちは食堂ではありませんので量をつくることはありませんが、やはり要望される方もいらっしゃいますので」
「え?」
なにげないやり取りの途中、アインズ様が、まるで予想外の攻撃でも受けたように食事がとまる。よほど予想外だったのだろう。手に持ったスプーンが机の上に落ち、金属質の音をひびかせる。
「いかがなさいましたか? アインズ様」
「いや、ここ食堂だろう?」
「ここはBARにございますが?」
扉の外には、BARの看板がしっかりと掛かっている。毎日、店前の掃除もしているから間違いない。
「いやいや。BARのバーテンダーが、料理人顔負け料理をつくれるわけないだろう」
「最初から申し上げている通り、料理は趣味の粋を出ませんが?」
アインズ様は、何か納得しきれぬ気配を撒き散らす。同じように夜食を取っていた何名かが、静かに退席する。
そんな中、奥のテーブル席で優雅にビールを飲みながら、報告書らしきものを作成しているヴァンパイアとワーウルフがいる。こいつらはどこまでもマイペースなので、無視することにしよう。
「よし! ここは明日から食堂にしよう」
「至高の方々がお作りになられたルールを変えるのは少々……」
「お前こんな時だけNPCの振りをするとはずるいぞ。そして俺がプレイヤーの一人と分かって言っているだろ」
「食堂に変わってしまったらビール一種類しか出ないので、デミウルゴス様やコキュートス様など、ここでお酒を飲まれる方々に申し訳ない気持ちで一杯になってしまいます」
「さり気なく回りに影響が多いことをアピールしおって」
「そろそろ8月ですので、ここに氷結日本酒 飛良泉の山廃仕込みがございます。そのまま、じっくり氷が溶ける食感を楽しみつつ飲まれるには良い時期になりましたね」
私はよく冷えた飛良泉を、冷凍庫でうっすら凍らせたグラスに注ぐ。酒がグラスに注がれた瞬間、酒はシャーベット状になる。その複雑な造形は、さながら雪景色の中人がる天然の氷細工のようであった。
「う」
「さらに、ここには-0℃まで冷やしたビールがございます」
「わかった。BARということを理解した」
「相互理解は重要なことにございます。明日の夜は、氷結日本酒とサーモンのカルパッチョあたりからはじめるというのはいかがでしょうか?」
相互理解は大事ですね。
認識にズレがあると、せっかくのお酒も違うものとなってしまう。高級店の最初の一杯のつもりで準備したビールが、お客様の認識では下町居酒屋の駆けつけ一杯目ビールでは別のものとなってしまいます。もちろんどちらも美味しいのですが。
「ああ、アルベドも連れてくるか。あいつも最近仕事詰めだし」
「かしこまりました。おまちしております」
そういうとアインズ様は帰られる。
そこで後片付けをはじめる。しかし気が付けば常連二人がカウンターに移動し、どこから取り出したのか不明だがマイ箸まで準備して待機しているではないか。
「ああ、氷結日本酒にサーモンのカルパッチョですね。今回のそうめんのように、試作と分かって出すならまだしも、おもてなしとして出す料理。中途半端があってはいけません。作るので、すこし待っていてくれますか」
明日の夜は、美味しくすばらしい夜となるだろうことと感じながら、私は奥に一度入り準備をはじめるのだった。
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