第51話

 アレンは意を決し、コトコトと扉を叩いた。

「――いらっしゃい」

 クレアノンが、そっとアレンを生じ入れる。

「――」

 ザイーレンはアレンに目をやり、チラリと眉をあげた。

 そして、ユミルに向きなおり、

「いいかユミル、今私の言ったことが、おまえがハイネリアで聞ける、一番優しい意見だと思ったほうがいい。私は、自分で言うのも何だが、ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家の当主だ。そしてエリシアは、まぎれもないハイネリア人だ。それでも、私とエリシアの年の差やら、エリシアの母親との昔のいざこざやらを持ちだして口さがなくわめきたてる連中は多かったし、今に至るまでエリシアは、我が一族に受け入れられたとは言い難い境遇に置かれている。いいか、私は当主で、エリシアはハイネリアの娘なんだぞ。それでもこのざまだ。生半可な決意なら、今のうちにあきらめたほうがいい」

 と言いきった。

「あきらめませんよ」

 ユミルもまた、即座に言いきった。ユミルとザイーレンは、そっくり、と言うほど似ているわけではない。だが、二人がともに持ちあわせている、切れ長の瞳と鋭いまなざしや、薄い、皮肉っぽい笑みを浮かべがちな唇や、猫のような滑らかでしなやかな身のこなしなどが、確かにこの二人が同じ一族の血に連なるものであるということを示していた。

「私は――幸せなんです。私は、アレンといっしょにいる時が、今まで生きていた中で一番幸せなんです。だからあきらめません。私は、幸せな人生を送りたいですので」

「――」

 アレンの瞳がうるむ。

「――あなたが、アレンさん、なのかな?」

 ザイーレンの視線がアレンに流れる。

「は、はい、そうです!」

 アレンはあわてて、大きくうなずいた。

「あの、あの、ア、アレンと申します! よ、よろしくお願いします!」

「――さっき、紙芝居を用意していた人ですね」

「あ、ええ、はい」

「――なるほど」

 ザイーレンは小さくため息をついた。

「ユミルからだいたいの話は聞きましたが――本当にあなたは、ヴァレンティオン将軍のお子さんなんですか?」

「あ――は、はい――」

「――うわさは聞いていましたよ」

 ザイーレンはじっとアレンを見つめた。

「ヴァレンティオン将軍が若いころに、亜人に産ませた隠し子がいる、といううわさは。ああ、ユミルの世代では、もうそんなうわさも耳にしてはいないでしょう。なにしろその『隠し子』とやらは、一度も表舞台に立ったことがないですからね」

「――」

 アレンはひどく、返答に困ったような顔をした。

「――あなたはきっと、ヴァレンティオン将軍に対する人質になったりはしないんでしょうね」

 ザイーレンは、ごくあっさりと言った。

「はい、なりません」

 アレンもまた、あっさりと答えた。

「父の一番大切なものは、いつだって、祖国ファーティスです。私はせいぜい――四番目とか、五番目とかですよ、きっと」

「それでも、大切には思っているわけですね」

 ザイーレンの目が鋭くなる。

「それももう終わりでしょう」

 アレンは再び、あっさりと言った。

「私は、国を捨ててしまいました。父が一番大切にしているものを、思い切り踏みにじってしまいました。だからもう――父が私のことを大切に思うことはないでしょう」

「――それは、どうでしょうね」

 ザイーレンは小さくかぶりをふった。

「子供を持ってわかりましたが、親にとって、子供というものは、どんな時でも、どんな事をしても、どんな人間になっても、自分の子供、なんですよ。ええ、ヴァレンティオン将軍が、あなたに対して激怒しているであろうことは否定はしません。しかし――そんなに簡単に、自分のたった一人の子供のことを、思いきれるものでしょうかねえ?」

「――思いきりますよ」

 アレンはうつむき、だがきっぱりと言い切った。

「国が――ファーティスが、それを望めば」

「――なるほど」

 ザイーレンはため息をついた。

「では、その線は捨てましょう」

「ザ――ザイーレンさん」

 ユミルの声が、わずかに震えた。

「ア――アレンを、ヴァレンティオン将軍に対する人質に使う気だったんですか!?」

「――何を驚いている」

 ザイーレンは冷淡にユミルを見つめた。

「私の一番有名な二つ名を、おまえだって知っているはずだろう? ――『禍夢(まがゆめ)のザイーレン』。私はな――私の、イェントン家の、ハイネリアの敵どもに、たとえどんな手を使おうとも、悪夢よりはるかに性質の悪い運命をもたらすからこそ、その二つ名で呼ばれているんだからな!」

「――なんてことを――」

「――おまえは考えなかったのか?」

 ザイーレンは、憐れむようにユミルを見つめた。

「確かにクレアノンさんは、ハイネリアとファーティスとのあいだの争いを終結に導いて下さるつもりらしい。私だって、それが可能なら、ファーティスとの戦いを終わらせたい。娘の――レオノーラの人生が、そんな争いで塗りつぶされてしまうなど、まっぴらごめんだ。だがな――まだ何も始まってはいないんだ。まだ何も。――ヴァレンティオン将軍は、あの高齢にもかかわらず、まだ第一線で戦い続けているんだぞ。例えばの話、明日、いや、今日、たった今にでも、ヴァレンティオン将軍が、我がハイネリアに攻め入ってきたとしたら――」

 ザイーレンはじっとアレンを見つめた。

「私は、イェントン家当主として、ハイネリア四貴族筆頭として、我が手の内にあるヴァレンティオン将軍の一粒種の利用法を、考えざるを得ないだろう?」

「――どうぞ」

 アレンは。

 にっこりと笑った。

「私が役に立つのなら、どうぞ存分にお使い下さい。私は――私は国を捨てました。私は――あそこで幸せじゃなかった。幸せだったことなんて一度もなかった。幸せを知る前は――ユミルと出会うまでは、それをどうとも思いませんでした。私は幸せを知らなかった。だから――人生なんて、きっとこんなものなんだろう、と、あきらめているという自覚もなしに、あきらめていました。今までずっと。でも、私は――ユミルに出会って、幸せを知ってしまいました。私は、もう――幸せを、手放したく、ないんです――」

「――酷な事をうかがいますが」

 ザイーレンの視線に力がこもる。

「あなたに――祖国の人間と、ファーティスの人間と戦えと、そしてその命を奪えと、そう、私、いえ、そう、ハイネリアが命じたら――」

「ザイーレンさん!」

「おまえには聞いていないぞ、ユミル」

 ザイーレンは冷ややかに言いきった。

「アレンさん――あなたはいったい、どう、しますか――」

「――もう、殺しましたよ」

「え?」

「もう、殺しました」

 アレンは白い顔でそう言った。その黒曜石のような瞳の中には、ドロリと凝った、闇があった。

「私は今まで何回も、自分の魔法で、私のこの手で、あなたの国のかたがたを殺してきました。ファーティスの人間だって――臨界不測爆鳴気の爆発に巻き込んで、たくさんたくさん、殺して来たんです。だから――」

 アレンの唇に、凄絶な笑みが浮かんだ。

「その必要があるのなら――そうすれば、ユミルといっしょにいることを許してくれるというのなら――私は――殺しますよ、また――」

「――なるほど」

 ザイーレンは、ゆっくりと目をしばたたいた。

「――愚かな事をしたものですね」

「――私はあそこで、幸せではなかったんです」

「え? ああ、すみません。誤解させてしまいましたね」

 ザイーレンは、小さく苦笑した。

「私が言ったのは、ファーティスの連中のことですよ。まったく、愚かな事をしたものです。アレンさん、あなたのような優秀な魔術師を、国を捨てざるを得ないほど追いつめるような、そんな冷遇をしてのけるとはね。我がイェントンの一族に、天才はほとんど生まれません。そのかわり、幸か不幸か、相手の才能を見抜く――相手が、天才かどうかを見極める才能は、多くのものが持っている。アレンさん――あなたはどうやら、まぎれもない大天才、のように、私には見受けられますね」

「――」

 アレンは、困ったような顔でじっとザイーレンを見つめた。

「――ユミル」

 ザイーレンは、アレンを見つめたまま言った。

「おまえは今、クレアノンさんの保護下にあるんだったな?」

「ええ、アレンといっしょに」

 ユミルは挑戦的にザイーレンをにらみつけた。

「――そのままでいろ」

「え?」

「そのまま、クレアノンさんの保護下を離れるな」

 ザイーレンは、ユミルに目をやり、言った。

「なにしろ、クレアノンさんは、竜、だからな。機嫌を損ねたらどんな事が起こるか、誰ひとりとして想像がつかない。人間、想像がつかないことは、ひどく恐ろしいものだ。例えばの話、私のやることは、どんなにひどいことでも、同じ人間の想像の範疇に収まる。だが――クレアノンさんのやることはそうはいかん。なにしろ」

 ザイーレンは、クレアノンにニヤリと笑いかけた。

「クレアノンさんは、竜だからな。ちっぽけな人間の想像力が及ぶはずもない」

「なるほど」

 クレアノンはうなずいた。

「私に、抑止力になれって言ってるのね? ユミルさんとアレンさんに手を出したら、私が黙っていない、ということになったら、二人に対する風当たりは幾分かでも弱まる。――この解釈で、あってるかしら?」

「そのとおりです」

 ザイーレンは大きくうなずいた。

「――と、いうことは」

 ユミルの目が輝いた。

「ザイーレンさんは、私達のことを認めて下さるんですね!?」

「私は何も言わん」

 ザイーレンはすました顔で言った。

「ただ私は、こともあろうに竜の怒りを買うような、そんな愚行をおかすつもりは、ない」

「――ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます!」

 ユミルとアレンは、ザイーレンに向かって深々と頭を下げた。

「なに、礼などいらん」

 ザイーレンは肩をすくめた。

「ユミル、おまえのおかげで、口うるさいガミガミ連中もやっと、私とエリシア以外の非難の種を見つけてくれるだろうからな」

「う――」

 ユミルは目を白黒させた。

「――べ、別にかまいません」

 ユミルは、雄々しくもそう言いきった。

「私はアレンと、幸せになるんです!」

「――幸せになるがいいさ」

 ザイーレンは小さく笑った。

「私が――私達が、幸せになったように、な」

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