第31話
いささか時をさかのぼる。
「すみません、足の高い椅子ってありますか?」
ライサンダーがたずねる。小柄なライサンダーは、他の面々と同じ高さの椅子では、テーブルに背が届かないのだ。
「ああ、ごめんなさい。すぐに用意させるわ」
間髪いれず、メリサンドラが答える。
「すみません、お手数おかけして」
「どういたしまして」
にこやかに会釈を交しあう二人。ハルディアナはのんびりと、エルメラートは物珍しげにあたりを見まわしながらその両脇に腰かける。エルメラートの襟元には、クレアノンが創りだした黒貂の黒蜜が巻きついている。
「初めまして――で、いいのかしら?」
ライサンダー用のいすが運ばれてきたのを確認し、クレアノンが優雅に小首を傾げて口を開く。パーシヴァルは椅子にはつかず、無言で壁際に立ち部屋全体を見渡している。
「こんにちは。私は黒竜のクレアノン」
「というと――ディルス島の、ドワーフ鉱山の周辺を縄張りにしているわけですね?」
緊張で幾分青ざめた顔のミーシェンが口を開く。
「そうよ」
クレアノンは悠然と答えた。
「よくご存じね」
「あ、ちなみにそのドワーフ鉱山って、俺の生まれ故郷です」
ライサンダーが愛想よく口をはさむ。
「なるほど――」
ミーシェンが軽く唇を噛む。
「稀覯書蒐集家としての御名声は、かねがねうかがっております」
「あら」
クレアノンはおかしそうに笑った。
「私、本を売りに行く時にわざわざ名乗ったりしなかったのに。いつの間にかそんなことで有名になってたのね」
「あ、はい」
クレアノンの笑顔に安心したのか、ミーシェンが少し緊張の解けた顔でうなずく。
「だって、その、クレアノンさん――と、お呼びしてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん」
「ありがとうございます。ええと、あの、クレアノンさんは、確かに名乗りはしなかったでしょうが、積極的に隠しもしなかったでしょう?」
「そうね、そんなめんどくさいこと、やらないわ、私」
「だったらすぐに素性は知れわたりますよ。お目当てのものを探す蒐集家の執念ときたら、それはもうすごいですから」
「あら――そうね、確かに」
何かを思い出したクレアノンは、クスクスと笑った。
「どうしても欲しい本があるから、って、私のところまでわざわざやってきた人も、いたっけ、昔」
「蒐集家とはそういうものです」
しかつめらしい顔でミーシェンがうなずく。
「あなたはミーシェンさんね。ソールディンの五兄弟の末っ子、でしょう?」
「――そ、そうです」
クレアノンの言葉に、ミーシェンの頬がパッと染まる。
「その僧衣を見たところ――」
クレアノンはにっこりと、ミーシェンが身にまとう、目が覚めるように青いハイネル教の僧衣を見つめた。
「あなたは、ええと――ねえ、ハイネル教の場合、僧侶でいいの? それとも、神官?」
「あ、ええと、昔は『神官』だったんですが、今は一般に『僧侶』ですね、はい」
「ありがとう。あなたはなかなか優秀な僧侶みたいね。私の知識が間違っていなければ、ハイネル教の僧衣は、最下位がほとんど黒に近い紺色で、最高位が純白。大雑把に言って、紺から白に近づけば近づくほど位が上がるんでしょう? あなたの年で、そんなに鮮やかな青の僧衣をまとうことが許されているなんてたいしたもの――なのよね? 私、人間や亜人の社会的地位って、ほとんど書物の知識しかないからこれであってるかどうかちょっと不安なんだけど」
「それであっている」
リロイが重々しく宣言する。
「ミーシェンは非常に優秀な僧侶だ。曙王、リルヴィア陛下の側近の一人だ」
「そ、それは言いすぎです」
ミーシェンが真っ赤になる。
「ボ、ボクはその、ま、まだ、見習いのようなもので、そんな側近なんて――」
「いーからだまってほめられとけよ、ミー公」
カルディンがケラケラと笑う。
「兄貴が、どうがんばったってお世辞なんて言えないたちだってこと、知らねーわけじゃねーだろーがよ」
「――お世辞が、言えない?」
クレアノンの目がチカリと光る。
「そう――やっぱり、リロイさんは――」
「私がどうかしたか?」
リロイがクレアノンを見つめる。
「間違っていたらごめんなさい。どうもあなたのいろんな評判を総合するに――」
クレアノンの銀の瞳がリロイを見つめる。
「あなたは、アスペルガー症候群的傾向が、だいぶ強いみたいね」
「…………私はそんな言葉は知らん」
「ああ、ごめんなさい。この世界には、まだない言葉と概念だったわね」
クレアノンが肩をすくめる。
「ねえリロイさん、あなた、自分で決めた予定が狂うのが、ものすごく嫌いでしょう? たとえば――一度朝ごはんのパンには蜂蜜をつけて食べる、って決めちゃったら、その日からもう、朝ごはんのときにパンにつける蜂蜜がないと我慢できないでしょう?」
「――つけるのは、蜂蜜ではないが」
リロイは少し驚いたように言った。
「思い当たる節はある」
「やっぱりね」
「クレアノンさん」
ナスターシャが口をはさむ。
「まさか――リロイにぃのそれも、私みたいに病気の一種なのか? 薬で治るのか?」
「あら――本気でなおしたいの?」
クレアノンは眉をひそめた。
「え?」
「リロイさんのそれは、病気といえば確かに病気よ。普通の人が苦手なことがとても得意になるかわりに、普通の人が得意なことがとても苦手になる病気、って言えばわかりやすいかしら。まあ、もちろん、この説明は完全に正確とは到底言い難いんだけど」
「病気は――病気なのか?」
「そうね、そうとも言えるわね。でも、よく考えてみて。リロイさんをなおす事は、出来なくはない――と、思うわ。ナスターシャさんをなおすより、だいぶ難しくはなるでしょうけど。でもね」
クレアノンの銀の瞳が光る。
「リロイさんが『なおって』しまったら、今リロイさんが得意としているいろんなことが、出来なくなってしまうかもしれないのよ?」
「え――」
ナスターシャは絶句した。
「――私はその必要は感じていない」
リロイが静かに言った。
「子供のころは、つらいこともあったがな。今は、もう、兄弟達も家族のみんなも、私の厄介な性格のことを理解して、つきあいにくい私とうまくつきあってくれている。ただ、そうだな――もしおまえ達が、私のこの厄介な性格をなおして欲しい、というなら、私も考えるが」
「いや、その必要はねーよ。今の兄貴とちがう兄貴なんて、兄貴らしくねえよ。俺ら、生まれた時から兄貴とつきあってんだぜ? いまさら変わられたらかえって混乱すらあ」
カルディンの言葉に、弟妹たちが大きくうなずく。
「――だそうだ」
「わかったわ」
クレアノンもまた、大きくうなずく。
「でも――ナスターシャさんのナルコレプシー――ああ、ええと、眠り病は、なおしたいわけよね」
「なおるものだったら、なおしたい」
ナスターシャはきっぱりと言った。
「ただ――その代償が――」
「ええ。私が求める代償は、あなた達――というか、『ソールディン家』の協力よ」
クレアノンもまた、きっぱりと言う。
「あなた達にとっても、それなりに利益のある話――を、持ちかけたつもりなんだけど」
「――失礼なことを言うつもりはないんだけど」
メリサンドラが大きくため息をつく。
「クレアノンさん、あなたのおっしゃる『利益のある話』とやらは、わたし達の耳には夢物語にしか聞こえないんだけど」
「あら」
クレアノンはちょっと口をすぼめた。
「ひょっとして、私がほんとに竜なのかどうか疑ってるのかしら?」
「それは疑っていません」
ミーシェンの顔が、また少し青ざめる。
「クレアノンさん――今あなた、かろうじて人間の形だけはとっているけど、自分が竜であることを全然隠そうとしていないでしょう?」
「そうよ。――わかるのね、あなたには」
クレアノンはニヤリと笑った。
「なかなかたいしたものじゃない」
「――それは、どうも」
ミーシェンは、大きく息をついた。
「あなたが竜であることを疑ってはいませんが――」
「――が?」
「――あなたは、あの暴虐の白竜よりも強いんですか?」
「弱いわね」
クレアノンはあっさりとそう答えた。
「でもね」
クレアノンは不敵に微笑んだ。
「ガーラートよりよっぽどたくさんの、搦め手を知ってると思うわよ、私」
「――」
一瞬の空白に響いたのは。
ミーシェンがテーブルに置いた水晶玉から流れ出す、子供の――ミオとヒューバートの声だった。
そして、場面は。
エリックの登場へとなだれこんでいくのだ。
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