第15話

「な、なんでも食べるって言っても――」

 アレンはおとなしく胸に抱かれている黒猫リリーとクレアノンとをかわるがわるに見ながら言った。

「ね、猫ちゃんには、何をあげるのがいいんでしょうねえ?」

「その子達、ほんとになんでも食べるんだけど、そうねえ――本物の猫なら、やっぱり肉とか魚かしらねえ。あとは――ミルクとか?」

「な、なるほど」

「ま、本物の猫なら、人間の食べてるものをあげると、体に毒だったりするんだけど、その子達はそんなことはないわ。安心して、いろんなものを食べさせてあげて」

「え、あ、はい――」

「あ、じゃあ、アレンさん」

 ライサンダーがにっこりとアレンに微笑みかけた。

「ほら、ここに、パンとチーズがあるから、とりあえずこれ、あげてみたら?」

「あ――ありがとうございます」

 アレンはおそるおそる、チーズのかけらをリリーの口元に持って行った。すぐさまリリーが、ンニャンニャいいながらチーズにかぶりつく。

「うわ! た、食べました!」

「よかったわね。その子達、なんにも食べさせなくても死ぬってことはないんだけど、でも、食べさせてあげれば喜ぶからね。いろいろ食べさせてあげて」

「は、はい!」

「うわあ」

 不意に、エルメラートが感心したような声をあげた。

「ほんとだ。ねえねえハルさんライさん、この子ほんとに、何でも食べるんですね」

「え――ゲッ!?」

 ライサンダーは飛び上がった。エルメラートがクレアノンからもらった黒貂、黒蜜にかじらせているのは、テーブルの上に出しっぱなしにしてあった陶器の皿だったのだ。

「ちょ、ちょっとエーメ君!?」

「あ、ご、ごめんなさいライさん、お皿勝手に食べさせちゃったりして。今度ぼく、新しいの買って来ますから」

「そ、そういう問題じゃなくて! ご、ごめんなさいクレアノンさん、あ、あの、エーメ君にはその、わ、悪気はないんです! ただ、その、エ、エーメ君てばほんとに好奇心旺盛で!」

「いいのよ、ライサンダーさん」

 クレアノンはおかしそうに笑った。

「なるほど、そうきましたか。そうね、確かに『なんでも』食べるなんて言われたら、どのくらい『なんでも』食べるのか、ちょっと試してみたくなるわよね」

「おいしいのかなー、このお皿?」

「あなたがくれるものだからおいしいのよ、エルメラートさん」

「そうなんだ」

 エルメラートはうれしそうに、そっと黒蜜の頭をなでた。

「たくさん食べて、大きくなるんだよー」

「ちょ、ちょい待ち! ク、クレアノンさん、こ、この子、お、大きくなるんですか!?」

「そうねえ、育てかたにもよるわねえ」

「ど、どのくらい大きくなるんですか!?」

「育てかたによるわねえ」

「ちょ、ちょっとエーメ君、あんまり大きくしちゃだめだよ! お、俺達んちに入りきんない大きさになったらどうするんだよ!?」

「え、この子、そんなに大きくなるんですか?」

「そこまで大きくなることは、まあめったにないわねえ」

 クレアノンはおかしそうに笑った。

「安心して、ライサンダーさん。手に負えない大きさになったりしたら、私がなんとかしてあげるから。安心して育てて。エルメラートさん、変な手加減したりしないで、思う存分おやんなさい。とっても楽しみよ、黒蜜がどんなふうに育つのか」

「ク、クレアノンさんは、エーメ君の本気を知らないからそんなことがいえるんですよ」

 ライサンダーはため息をついた。

「知りませんよー、どでかくなった黒蜜見てひっくり返っても」

「あらあら、それは、ほんとに楽しみ」

 クレアノンは楽しげに笑った。

「でも、わかったでしょアレンさん、この子達、あなた達が上げるものなら何でも喜んで食べるの」

「そうなんですか――」

 アレンは愛しげに、リリーの頭をなでた。

「さて――ジェルド半島までは、やっぱり空を飛んでいくのが一番早くて楽かしらねえ?」

 クレアノンがつぶやく。

「瞬間移動とかは出来ないんですか?」

 興味しんしん、と言った顔で、エルメラートがたずねる。

「え――出来なくはないと思うけど」

 クレアノンは眉をひそめた。

「でも、危険だからお勧めはしないわ」

「どういうふうに危険なんですか?」

「そうねえ――」

 クレアノンは小首を傾げた。

「あのね、私達、竜や悪魔は、あなた達が言う、その、瞬間移動をする時に、特別な空間に入るんだけど」

「はい」

「どう説明しようかしらね――」

 クレアノンの目がふと、テーブルの上に落ちる。

「――そうだ。例えばね、ここに、陶器のお皿があるわね?」

「はい」

「このお皿を水の中に入れて、もう一回引き上げても、それはやっぱり、陶器のお皿よね?」

「え? あ――はい。水には濡れると思いますけど、お皿は、お皿でしょう?」

「形が変わったり、壊れちゃったりはしないわね」

「えと――そうだと思います」

「じゃあ、たとえばここに、泥団子があるとしてね」

「泥団子が?」

「そう、泥団子。その泥団子を水の中に入れたら、どうなる?」

「え――」

 エルメラートは真剣な顔で考え込んだ。

「すぐに水から出せば大丈夫かもしれないけど――ずっと入れておいたら――溶けてボロボロになる?」

「そのとおり。――でね」

 クレアノンは、大きく息をついた。

「竜や悪魔が陶器のお皿で、あなた達、亜人や人間は、泥団子みたいなものだと考えてみて」

「え――それってつまり――ぼく達が、瞬間移動用の特別な空間に入ったら――と、溶けてなくなっちゃう!?」

「まあ、そんなところね。ああ、もちろん、私達が殻をつくって守ってあげれば少しはもつんだけど、それにしたって、ちょっと危なっかしいじゃない? 他に手段がないっていうんならともかく、ディルス島からジェルド半島までなら、風さえよければ半日で行けるのよ? そんな無駄な危険を冒す必要はないと思うの、私」

「俺もそう思います」

 エルメラートよりも先に、ライサンダーがガクガクとうなずく。

「あたしもそう思うわあ」

 ハルが、のんびりした声で同意した。

「なるほどねえ、そういう仕組みなのね。どうりで瞬間移動の魔術の術式が、やたらとややっこしくて時間がかかるわけね。自分達の手で、竜や悪魔の代わりになるものをつくろうとしてるんだもんねえ」

「ま、そういうこと。まあ、悪魔がよくやる距離の圧縮なんかは、かなり安全にあなた達を連れ歩ける方法なんだけどね。それって意味ないじゃない。だって、私は背中にあなた達全員をのせて飛べるんだから」

「そうよねえ」

 ハルがのんびりとうなずく。

「うーん、ぼくとしては、ちょっとくらいその特別な空間っていうのを見てみたくはあるんですけど」

 エルメラートが肩をすくめた。

「でも、ハルさんを危険な目にあわせちゃいけませんね。大事な体なんですから」

「大丈夫。細心の注意を払って運ばせてもらうわ」

「――に、しても」

 ライサンダーが首を傾げた。

「いきなり竜が飛んできたりしたら、ジェルドの連中、腰抜かすんじゃないかな?」

「あらやだ。ちゃんと目くらましを使うわよ、私」

「あ、あー、それはそうですね。ごめんなさい」

「じゃあ――いつごろ出発すればいいかしら?」

 クレアノンは首を傾げた。

「私には準備なんて必要ないから、あなた達の都合にあわせるんだけど」

「明日でいいんじゃないですか?」

「ちょっと待ってよエーメ君。さすがに明日ってのはきついよ。明後日にしようよ」

「えー?」

「あたしはいつでもいいわよお」

 ハルがゆったりとおなかをさする。

「つわりも、もうおさまってるし、体調もいいし」

「それじゃあ――クレアノンさん、明後日でいいですか?」

「もう少しゆっくりでもいいのよ、私は」

「いえ、俺らも、大した支度するわけじゃないんで」

「そう。――それじゃあ、明後日にしましょうか」

 こうして、出発の日が決まった。

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