第13話

「やっぱりね、現地に行ってみようと思うのよ、私」

 と、クレアノンは言った。

「現地、ですか?」

「現地――」

 アレンとユミルの顔に緊張が走る。

「でも、ごめんなさい」

 と、クレアノンは続けた。

「アレンさんとユミルさんには、今回留守番をしてもらいたいの」

「え――」

「どうしてですか?」

 と、ユミルが問いかける。

「だって」

 クレアノンは小首を傾げた。

「アレンさんは、その、ずうっと、他の人からは隔離された生活を送ってきたわけでしょ? それじゃ、私の参考にはならないの」

「参考?」

「ええ。私はね、今は人間みたいな形を取っているけど、その本質は、竜なの。だから、人間や亜人の考えかたや感じかたを、完全に理解することは、無理なのよ。推測もできるし、こういう場合にはこういう反応が返ってくるっていう学習もできるけど、それでもやっぱり、欠けているところは多いと思う。だからね、今回いっしょにくる人達には、そこを補ってもらいたいのよ」

「あ――そういうことなら、私はお役には立てませんね。申し訳ありません」

 可憐な少女の姿になったアレンが、申し訳なさそうに言う。ちなみに、当然というかなんというか、クレアノンは、貧相な中年男から可憐な少女になったアレンを見ても、「あらまあ、かわいいわね」のひとことですませてしまった。

「いいのよアレンさん。今回は、本当に、ざっくりした第一次調査のつもりだから、大まかに全体の傾向をつかみたいの。あなたには後で、もっと微妙な局面になった時に役に立ってもらうつもりだから」

「は、はい、ご期待に添えるよう頑張ります」

「アレンでは、だめなんでしょうか?」

 ユミルがいささか不満そうな顔でいう。

「だめ、っていうか――アレンさんの今までの人生は、竜の私から見ても『普通』じゃないってことぐらいすぐわかってしまうような人生よ。私は今回『普通』の人達がどんな反応をするかを知りたいの。アレンさんがだめっていうんじゃないのよ。ただ、今回私が求めている資質をたまたま持っていないっていうだけ」

「――なるほど」

「だから、今回はユミルさんにも残ってもらうわ」

 クレアノンはサラリと言った。

「アレンさんを一人きりにするわけにはいかないでしょうから」

「はい――ありがとうございます」

「今言ったのと同じ理由で、リヴィーとミラも、今回は留守番ね」

「ん? ここにいればいいのか?」

「そうよ」

「そっか。んじゃ、ここにいる」

「ミラ、ここにいればいい?」

「そうよ」

「じゃ、そうする」

「ありがと」

「――ってことは」

 ライサンダーが、ヒョイと眼鏡の位置をなおした。

「今回ごいっしょするのは、俺とハルさんとエーメ君ですか?」

「と、パーシヴァルね」

 クレアノンが何をしたというわけではない。

 ただ、パーシヴァルがフッと虚空から出現した。

「よろしくお願いします」

 パーシヴァルが、深々とお願いする。

「エリックには、よそで他の調査を頼んであるから。ま、呼べば来るでしょうけど、今のところ、まだその必要はないわ」

「俺とエーメ君はいいんですけど」

 ライサンダーは眉をひそめた。

「ハルさんは身重ですよ。旅行なんかして大丈夫でしょうか?」

「あら、そこらの船や何かより、ずっと安全で快適に海を渡らせてあげる自信はあるんだけど。でも、そうね、ライサンダーさんが心配するのもわかるわ。それじゃ、みんなにお守りをあげましょうか?」

「お守り?」

「私の力を、少しずつみんなに分けてあげる。そうよね、私のために働いてもらうんだから、それくらいのことはしなくちゃね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「ねえ、アクセサリーと動物と、どっちが好き?」

「え?」

「あたしは断然、アクセサリーよお」

 ハルディアナが目を輝かせて真っ先に言った。

「じゃあ――こんなのはどう?」

「あらあ!」

 ハルディアナの目の輝きが強まった。

 クレアノンが虚空からつかみだしたのは、銀の鎖に黒曜石のような石で作られた蝶がちりばめられた、きららかな首飾りだった。ちょうど胸の谷間に落ちていく位置に、ひときわ大きな蝶が舞い、その蝶だけ、ハルディアナの髪や目によく似た色の青い石で、羽に模様がつけてある。

「わあ、じゃあ、ぼくは動物がいいです!」

 エルメラートが目を輝かせて言う。

「じゃあ――こんな子はどう?」

 クレアノンの髪からすべりおちるようにして現れたのは、見事な毛並みを持った黒貂だった。流れるように床をかけ、エルメラートの足を登り、肩に乗る。

「うわ! この子、男の子ですか、女の子ですか?」

「あら――考えてなかったわ。ごめんなさい」

「あはは、それじゃあ、ぼくのペットにちょうどいいですね」

「気にいってくれた? それじゃあ名前をつけてあげてくれないかしら? アクセサリーとかならかなり安定させられるんだけど、動くものはやっぱり、名前をつけてあげないとどうしても不安定になるのよ」

「え? ええと、それじゃあ――黒蜜!」

「あら、いい名前ね」

 クレアノンは楽しげに笑い、ライサンダーのほうへと向きなおった。

「ライサンダーさんは?」

「え? 俺は、ええと――俺にアクセサリーってのも、ちょっと柄じゃないし――」

「じゃあ――これでどうかしら?」

「あっ!」

 クレアノンの手のひらの中に現れた小刀を見て、ライサンダーは目を見張った。

「ま、まさか、それって竜鱗刀!?」

「ま、自前を使っただけなんだけど」

「い、いいんですか、そんないいものもらっちゃって?」

「こんなものでそんなに喜んでもらえるんならうれしいわ」

「う、うわあ……」

 父方、ドワーフの血のせいだろうか。ライサンダーは頬をほてらせて、クレアノンのうろこを刃の部分に使った竜鱗刀を受け取った。

「さて」

 クレアノンは今度は、アレンとユミルを見やった。

「あなた達は、どんなものが欲しい?」

「え――」

「あの――」

「あら」

 もじもじするアレンを見て、クレアノンはクスリと笑った。

「アレンさんは、何か欲しいものがありそうね」

「え、あの、でも、あの、ええと――」

「遠慮しなくていいのよ。言ってごらんなさい」

「あ、あの――い、一度だけ、ま、迷い込んできた猫と遊んだことがあって、あの、あの、そ、それが、すごくあの、楽しくて――」

「――はい」

「わ、わああ……」

クレアノンの両の掌の中に現れた黒い子猫を、アレンは目をうるませて受け取った。

「名前をつけてあげて」

「え――あ、それじゃ――リ、リリー――」

「――」

 ユミルの瞳が揺れた。

 ユミルは、ユミルだけは、アレンの母、人間であるアレンの父とは正式に結ばれることのなかった淫魔の母の名が、リリーシアであるという事を知っていたから。

「あら、じゃあ、女の子にしておきましょうか?」

「そ、そんなこと、で、出来るんですか?」

「そうねえ、私もまだまだ未熟だから、子供を生む、っていうところまではいかないけど、見かけと性格だけならなんとかなるわよ」

「え、あ、そ、そうなんですか。あ、あの、クレアノンさん」

「なあに?」

「この子、何を食べるんですか?」

「え? そうねえ、あなたがかわいがってあげるのが、一番この子の栄養になるんだけど。まあ、あなたがあげるものなら何でも食べるわよ。――っていうか、この子は基本的に、あなたの手からしかものを食べないはずよ。あ、これは、エルメラートさんの黒蜜ちゃんもそうなんだけど」

「わ、わかりました」

「あ、そうなんですか」

 アレンとエルメラートがそれぞれうなずく。

「かわいがってあげれば、少しずつ成長するかもね」

 クレアノンはクスクスと笑った。

「で、ユミルさんは?」

「私は――ライサンダーさんと同じ物がいただけるとありがたいのですが」

「竜鱗刀? いいわよ、はい」

 手渡しながらクレアノンは小首を傾げた。

「ユミルさんが得意なのは――炎系統の魔法?」

「は、はい」

「あら、残念。私が得意なのは水系統と土系統なの。だからその竜鱗刀も、その二系統の魔法を補助する力なら多少はあるんだけど」

「いえ、十分です。ありがとうございます」

「で」

 クレアノンはパーシヴァルを見た。

「パーシヴァルは?」

「わ、私は、あの、その、エリックが何もいただいていないのに――」

「エリックには、後で何かあげておくわ」

「そ、そうですねえ、ええと――その、私は何でもいいです。おまかせします」

「あら、そういうのが一番困るんだけど」

 クレアノンは苦笑した。

「それじゃあ――こんなのは?」

「う、うわ!」

 パーシヴァルは、いきなり目の前に現れたひれの長い、黒い小魚を見て飛び上がった。

「く、空中を泳いでる!?」

「今のあなたがその子に食べさせてあげるのは、けっこう大変かもしれないから、お弁当をつけておくわ。その子がそれを食べきる前に、あなたが自分でその子を食べさせてあげるようになってくれていればいいんだけど」

「な――なっていなかったら?」

「そうしたら、その子、勝手に私のところに帰ってくるわよ」

「そ、そうですか。こ、これは――その、使い魔のようなものなんですか?」

「まあ、そう言ってもいいかもね。今は切り離したばかりだから私の一部っていう面が強いんだけど、あなたになじんでいけばそのうちそうなるわよ」

「わ、私自身、まだ使い魔にすぎないんですが――」

「それじゃあペットとでも思っていてちょうだい」

「は、はあ――ええと、名前をつけるんですよね?」

「ええ」

「それじゃあ――ジャニ」

「ジャニ?」

「あ、その、私の世界にある、黒くて苦い、眠気覚ましの飲み物です」

「なるほど」

 クレアノンはにこりと笑った。

「リヴィー、ミラ、いらっしゃい」

「なに?」

「ミラ、来た」

「あなた達には、これがいいでしょうね」

 クレアノンは両手を伸ばして、リヴィーとミラの手を握った。手を話すと二人の手のひらには、黒々とした竜の形のあざが残った。

「お守りよ」

「……なんか模様がついた」

「これ、クレアノン」

「そうよ」

 クレアノンは部屋に集まっている面々を見渡した。

「今私がみんなに渡したのは、私の一部をほんの少しずつ切り離したものなの。竜や悪魔が見ればすぐ、私がみんなのことを自分の保護下においてるってわかるわ。他の種族に対しても、それはきっと効果があるはず。どんな効果が出るのかは、その時が来ないと私にもわからないんだけど。それはみんな、お守りとしてこの世に生みだしたわ。きっとみんなの身を守ってくれるはずよ。でも――そうね」

 クレアノンはふと遠い目をした。

「もしもみんながそれを大事にしてくれて、長い間身近に置いてかわいがってくれたら、そのお守り達はきっと――『ツクモガミ』になれると思うわ。そうなったら――素敵なんだけど」

「だ、大事にします!」

 頬をほてらせ、黒猫リリーをしっかりと胸に抱いて、アレンが叫んだ。

 ついで、口々に礼を述べる皆を、クレアノンは喜びと、一抹の寂しさを胸に抱いて見つめた。

 その寂しさは、もしかしたら。

 対等な力、対等な立場を持つ存在に出会う事が極端に少ない、竜の孤独であったのかも知れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る