世界をつくる物語

琴里和水

第1話

 黒竜のクレアノンは、自分が病気ならいいと半ば本気で思っていた。

 病気で息も絶え絶えの竜、のほうが、暇を持て余して憂鬱になっている竜、よりも、まだしも外聞がよさそうだ。

 といって、竜と言う種族はそもそも、外聞などを気にするようなたまではない。悪魔の方がまだ外聞を気にするだろう。種の細分化、同種内の力量の極端な格差、種の構成員全てが持つ異能の力など、竜と悪魔に共通点は多々あれど、ひとことで言って、竜は孤独を好み、悪魔は他者との交流を好む。

 クレアノンも、孤独は別に苦にならなかった。竜と言う種族は大抵非常な長命を誇る。その割には個体数が少ない。それは、今クレアノンが滞在しているこの世界に限ったことではなく、無限に存在する並行世界のほとんどにおいてそうなのだ。勢い竜は、同種に出会うことが極端に少ない。

 ただ。

 クレアノンは退屈していた。

 それとも、やることが見つからなくて焦れていたというべきだろうか。竜は長命だ。強大な力を持ち、同種は少ない。ごく若いうちにやりたいことをやりつくしてしまう竜も多いのだ。だからだろうか。多くの竜は蒐集家だ。蒐集と言う行為の奥の深さと業の深さに取りつかれる人間は数多いが、寿命と力量が人間のそれをはるかに凌駕する竜が蒐集に取りつかれた場合、その奥深さと業深さとはまさに底が知れないものとなる。

 クレアノンも、あるものを蒐集していた。

 あるもの。それは。

 ――知識だ。

 知識。

 クレアノンの住居をもし見るものがいたとしたら、クレアノンは本を蒐集しているのだと誤解するかもしれない。クレアノンも竜の多くと同じく、とある洞窟をその住処としている。洞窟の壁を埋め尽くされた本棚と、ぎっしりと詰まった本を見るものがいるとするなら、なるほどそう誤解するのもうなずける。

 ただ、クレアノンは、本そのものには別に大して興味がなかった。初版本だろうと美本だろうと世界でたった5冊しかない本だろうと、そんな事は別にどうでもいい。クレアノンが蒐集したいのは、本の中に書き込まれている知識であり、本の内容を記憶してしまえば、あとに残った紙の束など別にどうでもよかった。どうでもよくはあるのだが、クレアノンもまた、形ある戦利品に囲まれて暮らしたいという竜の性にはあらがえず、捨てることもなくためこんでいた。といって、洞窟の広さも無限ではない。定期的に本の内容を記憶水晶におとしこみ、住居に入りきらなくなった本を人間体に身を変じてあちらこちらの古本屋にばらまいて歩くのが、クレアノンのちょっとした気晴らしのひとつだった。

 またそれをやろうか。クレアノンはぼんやりと思った。

 またあちこちの古本屋に珍品を持ちこみ、店主の呼吸を止めてやろうか。

 少し考え、ため息をつく。もっとも、竜か悪魔でなければ、それをため息だなどと思ってくれはしなかっただろうが。

 結局。

 蒐集対象に、あまりに底がないのが問題なのだ、とクレアノンは思う。あまりに対象になるものが少なすぎる蒐集はもちろん面白くないだろうが、あまりに蒐集対象が多すぎる蒐集と言うのも、いくら集めても到達点がまるで見当たらず、それはそれで問題なのだ。

 少なくとも、クレアノンにとっては。

 自分は最高の竜でも最低の竜でもない、とクレアノンは思う。竜神と呼ばれるほどの力量はないが、トカゲに毛が生えた程度と言うほど無力と言うわけでもない。竜としての本体は、黒曜石のような漆黒のうろこに長い尾、強靭な四肢、小さな翼と銀色の瞳とを持った黒竜で、大きさは、そう、人間の城と同程度とまでは行かないが、馬をおいしい午後のおやつにできる程度には大きい。口から吐く炎は、白い光線となるほどの温度はなく、夕陽の色に赤く輝く。小さな翼は長くは飛べず、かといって全く飛べないというほどでもない。もともと黒竜と言う種族には、地上や地下を好むものが多いのだ。

 繁殖でも考えてみるべきなのだろうか。クレアノンはチラリと思う。竜の多くと同じく、クレアノンも雌雄両性体だ。その気になれば一頭でも子を生むことが出来る。ただクレアノンは、人間体になる時には、女性の姿を好んで取っていた。漆黒の髪に浅黒い肌、銀の瞳を持つ、美人でも不美人でもない、若いようにも年寄りにも見えない、どっしりと腰の落ち着いた、竜が人間に身を変じたにしてはずいぶんと見栄えのしない、目立つことのない姿になるのを好んでいた。人間にはない銀の瞳も、その気になればいくらだって隠す事も色を変える事もできた。クレアノンは、竜である時と同程度の人間に身を変じるのを好んでいたのだ。美しくも醜くもない、目立たぬ存在に。もちろん竜は竜であるというだけで、他から頭抜けた存在だ。ただ、同種の中ではやはり、傑物と凡庸なるものとの格差は存在する。自分はある種凡庸な竜なのだ、とクレアノンは苦笑した。竜が歯をむいて身を震わせるのを、苦笑と見るものはまあまず滅多には居るまいが。

 相手がいない、とクレアノンは思い、自分が相手を欲していたということに少し驚いた。考えてみれば、その気になれば単独での繁殖が可能なのに、それを考えてみる事もしなかった、というのは、やはりどこかで相手を求めていたのだろう。

 といって。

 では、繁殖相手を見つけに行こうか、と一瞬思い、クレアノンはまたため息をつく。

 そういうことがしたいわけではないのだ。したいことがなんなのかはよくわからないくせに、したくないことははっきりとわかるのが少し苛立たしい。

 他の種族のものたちから見れば、ひどく贅沢な悩みなのだろう、とクレアノンは思う。そもそも退屈する暇すらなく死んでいく種族の者達も多くいるのだ。退屈というのは、ただそれだけで一種の贅沢なのだろう。といって、そう思ってみたところで、やはり退屈は疎ましい。

 結局。

 何かしたいのに、何をすればいいのかわからないのが問題なのだ。

 何かしたいのに、それをする能力がない、というのは竜の、もしくは竜種の悩みではない。何かしたいと思ったら、ただちにそれをすればいい。それが竜の生き方だ。それを阻むことが出来る生き物など滅多にいない。そう、それこそ、伝説の勇者でもなければ無理だろう。

 ただ。

 何をすればいいのかわからない、という悩みに対しては、いかに竜といえども全くの無力だ。わざわざ竜のところまでやってきてそんな悩みを解決してくれるものなどそれこそ皆無だろうし、では人間体になって何者かに相談してみるとしても、人間や亜人、それとも竜からすればまことにか弱き怪物どものひまつぶしなどで竜が満足できるはずもない。

 宝石や黄金を収集するのが好きな竜なら、互いの財宝を奪い合ったり人間や亜人などを襲って略奪してきたりする楽しみもあるようなのだが、と、クレアノンは周囲に住む人間や亜人が知ったら卒倒しかねないことを少し考えた。少し考え、かぶりをふる。どうも自分の趣味ではないようだ。

 知識と言う蒐集品は、集めている時は楽しいが、それを見せびらかして楽しむというにはどうも向かないようだとクレアノンは思った。人間や亜人相手では、見せびらかそうにも下手をすれば全く理解してもらえない危険性がある。クレアノンは本当は、深遠にして活気あふれる並行世界の話などをしてみたいのだが、そんな話、エルフの賢者達だって理解してくれるかどうか怪しいものだ。といって竜達は、自分の興味のないことにはまるで関心を払わないし、悪魔達は並行世界について語らうよりも、下層次元にちょっかいをだしてもてあそぶことのほうがはるかに好きなのだ。

 結局私は、同好の士が欲しいのか。クレアノンは、はたと気づく。いや、もっと正直に言おう。結局、自分の蒐集品を誰かに見せびらかしたいのだ。宝物を独占したがるのは竜の性だが、同時にその宝物が他者のそれより勝っていて欲しい、つまり、宝物を存分に見せびらかしたいというのもまた、止むにやまれぬ竜の性なのだ。

 といって。

 クレアノンの蒐集物は知識なのだ。これをいったいどう見せびらかせばいいというのか。

 本でも書くか。クレアノンは、半ば本気でそう思う。そう思ったが、再びかぶりをふる。だめだ。いくら本を書いてみたって、それを理解してくれるものがいないのではなんにもならない。

 でも、それはそれで一つの方法だ。

 自分の知識を、なにか目に見えるものにするというのは。

 目に見える形の知識。

 たとえば本。

 本を書くことは出来る。ただ、クレアノンが自分の書きたいように書いてしまっては、それを理解することのできるものがいなくなってしまう。

 どうしたものか。

 思考の方向性は悪くない。形のないものに形を与えれば、ぐっと見せびらかしやすくなること請け合いだ。

 しかし、その形が問題だ。

 いったい何をつくればいいのか。

 いったい何を。

 何――。

 ――世界。

 並行世界。

 ああ、そうだ、クレアノンが、一番興味を持っているもの。

 それは、並行世界。

 もちろんクレアノンに、新たな世界を丸ごと創り出すほどの力はない。

 でも。

 すでにある世界の上に、小さな分岐をつくるのは――?

 クレアノンは微笑した。

 少なくとも、この問題を考えている間は、退屈せずにすみそうだ。

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