『おっさん太陽説』

ミーシャ

TRANS TRAUM CIRCULATION 回想

回想Ⅰ

 私は女子だ。殆どの朝は夜明け前に始まる。


無口な母が選んだカーテン。その黴びた裾を持ち上げると、日ごとに明るさを変える陽光が、泣き明けで痛いマイ・アイズに、過激な挨拶をくれる。


「ハードな世界へまたようこそ。」私は殊更に、自分の身体を感じる。


そうだ。女の子なのは私で、宇宙の彼方へ行ってしまったのは「おっさん」だったと。


ぼろぼろに擦り切れた夢は、自分の経験と他人に関する記憶との区別も、付けられなくなる。


枕元の旧式電話。家電には知り合いからの連絡がない。何しろ大事なイベントは終わっちゃって、誰もかれも自分のことに忙しい。


世の中も忙しいからっていう月並みの表現じゃなく、これは私が敢えて漬物にされているということ。


こういう人間らしい配慮が、いま肘でたくれているシャツのように、私にとってはダルイ代物。自立した妹が達者なのを知っている姉、という身分は、こんなにも気侭なものかな。


埃にもつれた髪を解かす。


それも鏡なんかを見ないでよ。こういう「汚さ」は、几帳面だった私には試練、そして逃避。

悲しいね、これくらいしか世の中に反抗するすべがないなんて。


おっさんこと「森下公男」さん、あなたが懐かしい。


当時五十一歳のあなたは、地を這うのを辞めて空に飛んで行った。地球の陰謀に反発してパーっと、一匹の風船よりも早く、私の視界から消えていった。


三年前のことでもまだ身にこたえてる。安いカップラーメンをすするよりも、あなたの現在を思う方がしけてるって。ねぇ…、そんなこと思った。



回想Ⅱ


私は上の回想Ⅰのお姉さんの妹です。

姉は大学にきちんと行っているのでしょうか?


無口だったお姉さん。

今では、姉に呼びかけるのも怖かった日々が、もしかしたら存在しなかったのではないかと思うくらいです。


それに姉のストイックさといったら、まるで干したアジでした。それがいまじゃ水で戻したスルメ。


姉の人格は前よりになったのでしょうか?


そればかりが心配、というわけじゃありませんが、姉は、何より日々とそのすべて、つまり自分の「生」が「進歩」ということとイコールでなければならない人でした。いっしょにいるのはとても疲れたわ。


そう…疲れさせた。でも、人を針のむしろにしてしまうような、お姉さんの物云いが、私にとっての「人生の芯」だった。それだけは請け負うの。


あれから何か変わって?

私が一番変わったって、お姉さんは言うわ。それも笑いながらよ。かわいそうなお姉さん。つくづくお姉さんが可哀想だって思うわ。


昔は畏敬の対象で、お姉さんが夜、どうして「箱」に入って眠らないのかだけ不思議だったっていうのに。(別に、お姉さんが吸血鬼だ、っていう意味じゃないのよ。ただ何か夜になると魔法が解ける、機械仕掛けの「完全人間」かな、ってそれだけ)


話はかわるけれど私はいま、ローマよ。


「時間ってなにかしら?」


あの体験で、私が得た問いはそれ。


遺跡なんて、風化して形を失くしたものを見ていると、心が和らぐの。お友達も一緒よ。

ここでは太陽が宝石のよう。お姉さんは太陽の光にだけ、鋭い興味を示すわ。だからお姉さんもいつか、このローマに連れて来たい。飛行機を信用しないお姉さんを連れてくるのは骨が折れるけど、やってみないとね。


未来に希望を持つって大事なことよ。つまり、楽しい計画を立てるってこと。


お姉さんは大学を出たら就職をするんですって。オフィス・レディになったら、お姉さん、どんな格好をするのかしら?


回想Ⅲ


大学で明るい未来をつかまなくてはいけないミカくんが、辛い人生を送りそうな芽を大事に育てているようなのは、実に気掛かりだ。


あれほど、森下さんとそりがあわなかったミカくんが、彼が実質、地球から旅立ってから、三年も落ち込んでいる。


私はどんな言葉を掛けてあげるべきか。組の者たちも何度か彼女に会ったそうだが、すっかり"覇気”が無くなったという。トウコは、ミカくんが泣いたのを見た唯一の女性で、いまでは私の妻だ。


ミカくんの傷心は、男には分からないと彼女は言う。


それもそうだろう。トウコ、そして娘を得たことによって、私の「人間の種類に対する興味」はかなり失せてしまったようだ。しかし他にやることがいっぱいあるから、満足が減ったわけじゃない。


ただ、自分の人生が「こんこんと続いてきた人の歴史の中で、非常に意義ある一点」に接したという奇跡が、その後の人生にささやかな意味と幸せを、果たして残してくれるのかどうか、それが不安なだけだ。


人間とは、残念なことに、素晴らしいことを経験すると、また次も、同じかそれ以上のことが起こってくれるのでは、という当てのない期待に胸高鳴らせ、起こりそうにないとわかると、進んで自分の人生をつまらなくしてしまうものだ。

努力無しに、何事も得るべきでないことが、これでわかるというものだろう。


回想Ⅳ

 

私は、幸せの重みを感じ始めています。そろそろ転換期。森下さんが太陽になったときから三年。私はまだハシラとしての役割から逃れられていません。


けれど、話すこと、書くことに人並みの自由を、回想Ⅲの方に与えてもらいました。私はわたしであることにずっと否定的だったのです。生きた痕跡を残すことが、分不相応だと固く信じていました。


ミカさん。私はミカさんの美しい耳が好きなので、ミーさんと呼んでいますが、ミーさんと本当に仲良くなったのは、森下さんがいなくなってからなのです。


それまで彼女は、私を苛むさいなむような目でよく睨んだものでした。彼女の追い求めていたのは、とても大きなものでした。それはたぶん宇宙の真理。


彼女がどうしてそんなことを知りたいと思ったのか、その理由は私にもわかりません。生まれついて彼女が真理の探究者なら、私を苦しめた理由も理解できるものでしょう。

私からすれば、彼女こそ私のような立場であればと、そう思うほどなのです。でも今はとても不安定だから無理かしら。


 夫も心配していて、ミカさんが身投げでもしないかっていう話までしました。夫は、結婚してからもっと身近に感じられるようになって、良かったって思います。


まるで生まれた赤ん坊が壁に手をすり、床に膝をつけるように、私は生きていることの証拠をつかみ始めているのです。娘がきっと多くのことを私に教えてくれるでしょう。  


ミカさんのいい話相手になれるよう育てられればと思います。ミカさん、頑張って!


 

以上は主要な登場人物四人の回想である。


舞台は中流都市の中でも、学び舎を中心とした、文化的風景の多い居心地の良い街を選ぼう。


歓楽街は三つ駅の先にあるが、十分に静かなところだ。主人公は標準的な市民、すなわちミドルの男性にしよう。


彼はもちろん中学校の理科教師。それも優秀というわけでもなく最悪というわけでもない。消極的な意味での良い先生である。


先に言っておこう。これはサイエンス・フィクションではない。

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