第12話 夜風

◆◇◆◇


 違和感に目を覚ました。

 長い時間寝たはずなのに、身体は重く、風邪を引いた時のように、頭がぼんやりと落ち着かない。

 寝過ぎたのだろうかと目覚まし時計を見る。長針も短針も、大体12時と1時の間辺りに存在していた。


「1時…過ぎ…」


 休みの日だからと言って、長く眠りすぎた。

 グラグラと揺れる頭を押さえながらも、ベッドから足をおろし、上体を起こす。

 一瞬視界が回りかけたが、瞼を降ろして何とか持ちこたえる。

 ふらつく足取りで扉へと向かい、部屋を出ていく。

 壁伝いに歩き階段を下りていくと、リビングからテレビの音がする。母も今日はお休みらしく、ソファで横になってテレビを眺めていた。

 起きてきた美弦に気付いた母は、首だけ向けておはようと口にする。

 息子がどのくらい長く休みの日に寝ていようが、学校に遅刻をしない限りは、叱られることはない。。


「なんか風邪っぽい」

「えー。夏風邪?」


 横にしていた身体を起こし、リビングに隣接してある和室のほうに足を運び、棚の上段に置かれている救急箱を持ち上げ、こちらへと運んできた。

 リビングのテーブルに置くと、ガチャンと乱暴な音を鳴らして開き、ごそごそと中から白い細長い物を取り出す。


「とりあえず熱測って見なさい。ご飯は?」

「食べる」


 取り出していたのは体温計で、それを受け取ると、救急箱を閉めることなく台所のほうへと歩いて行く。

 つけていたテレビは、何気ないニュースやバラエティの再放送などで、特に面白いものはやってい。

 脇からはほんのり温まった体温計から電子音が鳴り、取り出してみると熱は平熱。特に変わりはなかった。

 ケースにそれをしまうと同時に、母がお米を盛った茶碗に、お味噌汁、昨日の夜の残り物を温めた物を運んできた。二人分。

 普段ご飯は、ダイニングテーブルのほうで食べるのだが、お休みと言うのもあって、ダラダラと食べたかったのだろう。もう一人分は、母の分だったらしく、セッティングをしては、隣に座り手を合わせていただきますと口にしていた。

 同じように手を合わせてご飯を口にする。


「熱は?」

「無かった」

「そう。一応ご飯食べたら、何か薬飲んでおきなさい」


 わかったと首を縦に振るが、怠いということ以外変わった症状がないせいで、何の薬を飲めばいいのか、箸を咥えたまま開いたままの救急箱に目を向ける。

 ご飯を食べながらも眺めた結果、どれがいいのかわからないということで、それっぽいものをテーブルに一袋ずつ置き、その上から隠すように手のひらを置き、目を閉じて混ぜ合わせる。

 手の平の感覚で一枚ずつバラバラにし、適当にこれだと思うものをつまみあげ、目を開ける。


「母さんこれ」


 食器を洗っている母に薬の袋を持っていく。コップに水を入れて渡された。


 薬を飲んだ後、用事もないので歯を磨いて部屋へと戻り、体調が良くなるまでと、一応冷房を切って布団にもぐり目を閉じた。



◆◇◆◇


 空気が変わった気がして不意に目が覚めた。

 半透明な白い布に覆われた視界。さすがにもう慣れた視界に、目をこすりながら上体を起こす。

 いつのまにか寝間着に着替えていた服を脱ぎ、近くに置いてある服を身に着ける。最初は戸惑ったものの、もう何度も着せられたことにより、流れ作業のように手早く済ますことができた。

 最後に何をしていたかと思いだし、眠かった瞼と頭が覚醒する。足を降ろして布を乱暴にどけ、靴を履いて周りを見渡すと、椅子に座ってテーブルに突っ伏しているバルトの姿があった。

 大きいから同じ寝台でもいいという会話をしたことを思い出す。

 一応この国としては来客者にあたる立ち位置だろうに、こんな体勢で寝かせておいていいのだろうかと、考え首をかしげる。

 優しく抱き上げ、変わり寝台に横にさせるにも、体格の違いによって無理があるのは、安易に想像できる。

 先ほどまで着ていた寝間着の上を、上から起こさないように優しくかける。

 辺りを見渡してみても、他に人がいる様子もなく。扉のところに近づき耳を当ててみても、誰かが話している様子もない。

 気配を読み取るような勘などないため、護衛がいるかどうかの確認もできない。ゆっくりとドアノブを握り、少しだけ扉を開ける。

 徐々に音を鳴らさないように開いていくと、すぐ隣には見慣れない護衛が立っており、美弦が顔を出したことに驚いている様子だった。

 口を開き、何かを話そうとする瞬間、自らの唇に人差し指をあて、静かにするように示す。すると、一度口を閉じ、もう一度ゆっくり口を開いて小さな声を耳に当ててくる。


「どちらへ」


 出ることに対しては問題なさそうだと、もう一度廊下を見渡し、もう一人扉の陰となるところにいることを確認し、人一人通れるような隙間を作って廊下に出、音をなるべく鳴らさないよう、ゆっくりと扉を閉める。


「いつもの護衛は?」

「夜の間は、我々が」


 昼間は美弦に付き合って歩き回り、夜はずっとおとなしく立っていてなど、考えてみればありえない事ではあった。

 素直に納得して首を縦に振り、理解したことを示す。

 今向かうべき先は、中庭にあると告げると、もう一人の護衛と目を合わせていた。


「そこに行きたいんだけど、中に一人いるから、もしついて来るなら一人ここに残っててほしいんだけど」


 そういうと、扉の陰になる位置に立っていた護衛が首を縦に振り、残っていることを示してくれた。

 護衛も、バルト一人を残していくことは、気がかりだったようだ。

 なるべく足音を立てないようにゆっくりと歩き、部屋から離れるとその気遣いもすぐになくして、早足で中庭へと向かう。

 体の怠さが治ったわけではないが、現実世界で起きた時のような具合の悪さは無くなっていた。

 昼間の事がまるで嘘のように静まり返る廊下。全く人が歩かないわけではないが、昼間のような人数は消えていた。もう、すべて終わったのだろうかと、廊下の窓から見える月を視界の端にとらえる。

 いつも夜の時間には、現実世界での活動を行っているため、初めての夜となる。

 普段であれば、新たな冒険として歩き回っていたかもしれないが、今は事情が異なり、そういうわけにもいかない。

 廊下はランタンや松明など置かないため、月夜が入らずに陰になってしまう部分は、見えてはいけない何かが出てくるんじゃないかと思うくらい、闇が構えていた。

 想像すれば想像するほど、歩く足のスピードが遅くなる。そんなことをしている場合ではないのだが。

 あまりこういうところで後ろを振り向いてはいけない。幼いころに、あまりにも夜を怖がっていた時、田舎にいる祖母がそう言っていたのを思い出す。しかし、今助けを求めることができるのは、今さっき初めて会った護衛の人。昼間の護衛同様に、前に出ることなく、少し後ろで美弦を追いかけてくれている。

 一度足を止め、少し後ろにいる護衛の腹部辺りの服を、二度ほどノックする。


「どうなさいました?」

「あ、あの。さ。隣に立ってみてもらえるかな?」

「は、はぁ…?」


 疑う様な返事のまま、一歩足を延ばして隣に立つ。

 これであれば振り向くわけではないから大丈夫。首を少しだけ横に向け、何が起きても驚かないように、ゆっくりと首を上に向ける。首筋から顎、頬から目。そこまで来てようやくほっとする。

 胸をなでおろすようにため息を一つこぼし、護衛の腕を掴んで一歩足をのばす。


「いい? 隣よりも後ろに下がらないでね。出るなら一歩前に出てくれる勢いでいいからね。よし。中庭に向かうよ?」

「は、はぁ…」


 こちらでは暗闇に対する恐怖などはないのか、何に美弦が驚いているのかすら、わかっていない様子だった。


(って、そうか。あの暗闇の中、ずっと扉の前に立ってるんだもんな。今更それに対して怖いとかはないか)


 部屋の前は、微かに月の明かりが入るのと、部屋の中から漏れる灯りだけしか与えられていない。想像するだけで背筋が冷える。

 遠く感じる中庭にようやく着くころには、廊下に松明がところどころに備え付けられていた。

 中庭は、疲れ果てるころに感じていた冷え具合よりもさらに増し、何か上着を羽織りたいくらいに冷え込んでしまっていた。

 昼間並べられていた負傷者は数をかなり減らし、足元を注意して歩かなくてもいい位の隙間ができていた。それでも、救護班の忙しさは変わら無いようで、あちらこちらに手を伸ばし、治癒に励んでいた。

 護衛はそこから先には行けないのか、中庭に入っていく美弦の後ろを追うことはなかった。

 中庭の中央部分に来て、ようやくヴェイの姿が視界に入った。首筋額から流れる汗はとてもひどいものだった。

 急いで近づき、驚かせないように、腕に触れる前に視界に顔を少しちらつかせた。


「リベラル様。まだ夜中です。もう少し眠られたらどうですか」

「大丈夫じゃないのは、ここにいる人たちだろう」


 そう言って、袖を伸ばして掴み、そっと額に零れる汗を拭う。


「汚れます」

「後でちゃんと洗うよ。それよりも、汗を冷やして風邪ひかないといいけど」


 そう言いながらも、風邪どころではない負傷者に目を戻し、昼間に行っていたようにヴェイの腕に触れる。

 患者に向けていたヴェイの視線が美弦に移り、どうしたのかと視線を合わせると、少しだけ眉間に皺を寄せて、何か言いたげな表情を見せる。


「察してとか言わないで、何を言いたいのか言ってほしいんだけど」

「……本当は、リベラル様にこんなことはさせたくなかったんです」

「じゃあ、俺は呑気においしいご飯を頬張って、自由に城を探索するだけが仕事なのかよ」

「言いたいことはわかっているんです。それでも、自らヘルガを使うように言わせてしまう、自分の未熟さが…」


 疲れで精神もやられてきているのだろう。

 普段であれば、こんな弱音も吐かないだろうし、昼間なんてそんなことを言いたげな表情すらもしていなかった。

 途中離脱してしまった時に、何かを考えさせてしまったのかもしれないと反省はするものの、あの時は約束の事もあったし、あそこで倒れてヴェイの仕事を増やしたくなかった。

 どうするのが正解なのだろうかと、美弦まで眉間に皺を寄せて考えてしまう。


「すみません。こんなことを言ってしまう時点で私はまだまだ未熟です」

「昼間からすごい人数相手にしてるんだ。未熟とか、そういうの、魔法使えないからよくわからないけど、正直こんな夜中になってもまだ治癒を続けていたことに驚いてるよ。だから俺は、ヴェイに力を渡す。俺にできることを必死に考えた結果がこれなんだ。やらせて?」


 ありがとうございます。と、聞こえるか聞こえないかくらいの声が耳に入ったと思えば、ヴェイはもうすでに患者のほうへと目を移していた。その眉間には、先ほど見せた皺は消え去っていた。

 心を少しでも軽くしたいと思ったが、逆に美弦のほうが軽くなった気がした。


 もうここにいる人が全員なのか、かなりの時間が経過した頃、中庭には軽症の人たちばかりが横になり、治療を待つというよりも、純粋に寝るために横になっているようだった。

 ヴェイの下につく、治療に専念していた人たちの人数も減り、徐々に後始末を始めていた。

 指示を出しつつ、自らの疲労を隠しながら動くヴェイの足取りも、なんだか怪しくフラフラしていた。

 いざ倒れた時に手を伸ばせるよう、すぐ隣を歩く。

 中庭の隣に位置する部屋がヴェイたちの仕事場なのか、その中に入っていくと医療に使うだろう薬などがたくさん並べられ、きれいな布や何か治療に使う道具なども置かれていた。

 治療にあたっていた人の大半が、休憩に入るようにヴェイから命令されていたため、他の作業はヴェイ自身が行うつもりらしい。

 奥のほうへと入っていくと、一人分の身体にかけるのが精いっぱいの毛布が、たくさん並べられている。

 それでも、数枚は使っているのか、ところどころ隙間がある。その毛布を、数個抱えるように腕を伸ばし、グイッと持ち上げるヴェイ。

 ただでさえ安定しない足取りだというのに、それを持って歩かれたらハラハラして集中できない。


「待ってヴェイ。それ、俺持つよ。俺まだ体力あるし」


 そう言って、ヴェイが抱えていた毛布を無理やり抱き込む。


「リベラル様。そこまでさせてしまうわけには」

「いいから。これ、どこに持っていけばいい? 治療してた人たちのところ? さっきの中庭?」

「…中庭の、横になっている者達へ…」


 驚いていたのか、毛布でヴェイの表情は見えないが、本当はさせたくはないが、今は致し方がないと、葛藤しているような口調だった。

 わかったと首を縦に振り、元来た道を歩き出す。

 廊下で待っていた護衛は、その姿に驚き、すべてとは言わないが、数個ヴェイから奪った時のように奪われ、中庭のほうへと一緒に歩き出し、さすがに護衛も中庭のほうへと足を延ばしてきた。

 一度なるべくきれいなところへ毛布を置き、一つ広げては一人にかけ、毛布がなくなればすぐにヴェイの元へ行き、毛布を取り出して中庭へと戻る。ヴェイはほかにもやることがあるらしく、その部屋で、並んでいた薬品の瓶を、違うものに移し替え、更に何かを調合しているように量を測っているのを視界に入れた。

 中庭にいる負傷者全員に毛布を掛け終わりヴェイの元に戻ると、机に身を任せるように突っ伏し、間を閉じて定期的な寝息が聞こえる。

 終わったことを伝えに来たつもりだったが、起こすわけにもいかないと思い、毛布があった奥へと足を運ぶと、毛布が残り一枚だけ残されており、それを広げて優しくヴェイの方へとかける。結局はこの程度の事しかできない。

 扉を閉め、待機していた護衛に声をかけて、自室に戻る旨を伝える。

 夜風はとても冷たい。

 中庭から離れ、廊下を歩いて直接夜風が当たらないにしても、十分に体を冷やしてしまう。直接夜風が当たる中庭に、ただでさえ疲労している負傷者を寝かせておいていいのだろうか。

 足を止め、照らしてくる月を窓越しに見上げる。

 昼間と夜中に、レイサとウェイスの姿は見なかった。目が覚めてレイサかウェイスに会えなかったのは初めてで。今まで縁のなかった争いや戦争。

 怖くて治療の時には負傷者から目を外していたが、争いの原因はリベラルである美弦の存在。もし、リベラルである自分がリヘンサではなく、違う国に引き取られていれば良かったのか。しかし、それでもリベラルの扱いが変わるだけの事。戦争の糧として使われてしまえば、自らの手で人を傷つけているのと同じことになる。

 風が強くなってきたのか、外の木々が少し大げさに左右に揺れる。


「なぁ、怪我してるのに中庭に寝かせたままでいいのかな」

「あの場所は、確かに風に当たってしまいますが、周りの建物で覆ているので、強い風は入ってこないので」

「…ただでさえ風冷たかったのに」

「あの者達は軽症の者達です。重症患者は別のところに移しておりますので、もうすでにあそこしか場所はないのです」

「…俺の部屋とか…」

「いけません」


 確かに、部屋は広いにしても、入れるのは限られてくる。とてもではないが、中庭に横になっていた人たちが、無理のない体勢で全員寝るのにはふさわしくはない。

 布団をかける際に、お礼を言われることはあっても、文句を口にする者がいなかった。これが普通だからだろうか。

 護衛から月に視線を戻す。


「体が冷えます。お戻りください」


 戻る様子がないことに気付いたのか、後ろから静かな声が耳に入る。首を縦に振り、ゆっくりと月から目線を外す。

 部屋に戻ると、まだバルトは起きていなかった。

 かけた寝間着をとって着替えるのも気が引け。かといって、外をうろついた服で寝台に入るのも気が引けた。寝間着だと寒いが、着替えた服であれば中庭よりも暖かい部屋で、寒いとは感じられなかった。

 バルトを真似する様に、椅子に座ってテーブルに腕を乗せて、顔を伏せる。

 昼間よりも疲労はない。起きても体調は戻っているだろう。

 バルトの寝息だけが聞こえる部屋、ソッと目を閉じると、眠くなくても消えていくように意識が飛んだ。

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