第290話 彼女の名前は多分……のようです

 北川家で生活していたアリア達の朝は早い。鶏ですら寝ている頃に目を覚まして活動するが、そのアリア達ですら寝ている時間に叫び声が響き渡る。


「あっ――! ミュウのパンがないっ!!」


 その叫び声でアリア達が飛び起き、「パンがない?」と眠そうな顔をしながら皆が台所にやってくるとパンを入れてた籠を持って涙目のミュウが立っていた。


 アリア達の顔を見つめながら籠の中身を見せてくるミュウ。


「パンない」

「あら、本当?」

「ああ、それだったら僕が原因だから」


 一斉に皆の視線が向く、若干、ミュウの視線が親の仇を見るような目な気がするのは気のせいどうかは不明である。


「どういう事なの?」

「うん、夜に目を覚ましたらあの女の人が起きてたんだ。それでお腹が減ってたらしいからパンを出したら全部食べてしまって、そのまま寝ちゃった」


 寝た少女をダンテがお姫様抱っこして運んだそうだ。


 アリア達は、なんだ、とばかりに嘆息する。


「1度、目を覚ましたら心配ない。しかもそれだけ食欲旺盛なら特に」

「でも、ミュウのパン食べた!」


 アリアが少し安心したように息を吐く半面呆れてるようだが、ミュウはパンを全部食べられた事がご立腹のようだ。


 そして、みんながまだ早いから戻ろうとした瞬間、ある疑問が皆の頭をもたげる。


 振り返った皆がミュウを見つめる。


「なぁ、ミュウ。なんでこんな時間に台所にいたんだ?」


 レイアにそう言われたミュウは、んっ? という顔をした後、目をパチパチさせる。


 ミュウは両手を合わせて印を組むようにする。


「とんずら」


 ミュウが足下に小さな玉みたいなのを叩きつけると辺りが白くなる。


 白い煙を吸って咳き込むアリア達。


「こ、これ小麦粉だ! ミュウを追いかけるよ!」


 そして、ミュウを掴まえるというアリア達の早朝訓練が急遽始まった。





 いつもより濃い早朝訓練になったアリア達は見事にミュウを掴まえる事に成功した。


 その当のミュウは今、地面で正座させられてミカンの木箱を机に朝食をワクワクと待っていた。


 首から紐で引っ掛けられたカードには『盗み食い未遂しました。ごめんなさい』とミュウの直筆で書かれたモノを付けていた。

 おそらく反省してる事はないであろう。


 そのミュウが何か音を拾ったようで玄関に目を向ける。


 ミュウが目を向けた直後ぐらいにドアが開きパンを抱えたレイアが帰ってくる。


「丁度、焼き立てでラッキーだったぜ!」


 熱そうに持つレイアの紙袋からは湯気が立っており、それを見つめるミュウの口許からも涎が垂れていた。


 そのタイミングを見ていたかのようにダンテとヒースが目玉焼きとサラダがワンプレートになった物を運んでくる。


 配膳も済んで、さて、食事を始めようかという時、奥の部屋のドアが開く。


 そこから出てきたのは修道服を着ている薄い水色の髪の少女がほとんど開いてない目で前を見つめながらふらついて歩いてくる。


「ああ、良い匂いです~」


 まだ寝惚けてるのが傍目でも分かり、空いてる席に断りもなしに座ると隣にいるヒースに言う。


「アタシのご飯はどこでしょうか?」

「あ、もう1つ作ってくるので、これを食べておいてください」


 そう言うと手を付けてないヒースの目玉焼きが載った皿を差し出すと立ち上がる。


 寝ぼけ眼で嬉しそうにする少女は口許を緩めると自然な動きでパンをガシッと掴んで熱かったみたいでお手玉して皿に置くと隣にいるダンテに唇を尖らせて見つめる。


「熱いなら熱いって教えてください」

「えっと、ごめんなさい?」


 なんか違うとばかりに首を傾げるダンテがとりあえず謝ると柔らかい笑みを浮かべる少女がダンテの頭を撫でる。


 満足するまで撫でた少女が熱そうにパンを両手で持って割り、目の前にあったバターを塗ると溶けて湯気があがるのを目を見開いて眺める顔は嬉しげであった。


 あ―ん、と幸せそうにパンを齧ろうとするのをスゥが止める。


「待つの、食べる前に色々聞きたい事が……」


 口に入れる寸前に止められた少女のパンに載ってたバターが垂れてスカートの上に落ちる。


 落ちたバターを見つめる少女が顔を上げると目端に涙を浮かべて泣きそうになってるのを見たスゥが眉間を揉む。


「分かったの。食べてからでいいの」


 ダンテから渡された布巾でスカートに落ちたバターを取ると再びバターを塗り、今度こそ口に入れると幸せそうにモグモグと咀嚼を始める。


 それを見つめるスゥは溜息を吐く。


「シホーヌとアクアを相手にしてる気分になってくるの……」


 スゥの言葉にアリア達も激しく同意だと溜息で示した。




 食事が終えて、牛乳を飲みながらスゥは改めて先程の話を切り出す事にした。


「お腹が膨れて眠くても我慢して話に付き合って欲しいの」


 そう言われた少女が欠伸を噛み殺すと眠くありませんよ! と目力を強くするあたりも駄目な2人と被って見えるスゥは沈痛な思いでコメカミを揉む。


 気を取り直して少女に話しかける。


「まずはお名前は?」

「名前?」


 そう言うと顎の下に指を当てて明後日に視線を向ける仕草を見せると俯いていき「むむむ!」と言い出すのを見て不安になるスゥ達。


「ポロネだったような気がします」

「どうして気がする?」


 自分の名前が分からないであれば記憶喪失であるが、ような気がするではグレーゾーンである。


「さぁ? そう思えるだけで何故か分かりません」

「じゃ、最近の事で覚えてる事を何でもいいから言って欲しいの」


 うん、と力強く頷く仕草に期待するスゥ達。


「さっきのパンが美味しかった」


 仲良く頭を机に打ち付けるスゥ達のパーティとしての呼吸もバッチリであった。


「姉ちゃん、最近過ぎるよ! アタシ等と会う前の話で!」


 レイアが机をバンと叩いて言うからポロネがビクついて涙目になる。


 悪い事した気分になったレイアが謝ると話し始める。


「夜に、この子、名前なんていうの?」

「あっ、ダンテです」


 ダンテが名前を紹介した皮切りに皆の名前も紹介していく。


 分かったとばかりに頷いて再開する。


「夜にダンテに会う前の事は何も……あっ、1つだけ、寝てるところを何か強い力に引きずられたような気がする」

「なんか聞いてると物騒だよね?」

「いや、単純に盗み食いが止まらないので折檻で縛られて引きずられたかもしれない」


 雄一が留守の時に盗み食いしたシホーヌとアクアが縛られてディータに引きずられたと力説するが、特にダンテが「姉さんみたいなのが2人いたら怖いよ」と本人がいないから言えるセリフを放つ。


 なんとなくあの2人に似た感じがするせいか、悪人には思えないスゥ達であったが、どう扱ったらいいか悩みどころであった。


 スゥはダンテを呼んで耳を寄せさせると伝える。


「悪人じゃないとは思うの。でも事件に巻き込まれてる可能性はあるけど、どうする、リーダ―?」


 スゥが判断付かないから丸投げをする気だと分かったダンテが苦笑いする。


「とりあえず、しばらく預かってテツさん達と合流してから考えよう。何か先にする用事があるとか言ってたから、それまでは僕達で面倒を見ようよ」

「分かったの。とりあえず今日、私が街で2人で出かけてみるの。何か思い出せば良し、関係者が現れたら事情が聞けるの」


 皆に伝えようと思い、見渡すとどうやら聞こえてたようで頷かれる。


 話が早いとダンテも頷くとポロネに向き合う。


「何か思い出すキッカケになるかもしれないからスゥと今日は街を散歩してきてくれるかな?」

「はーい!」


 嬉しそうにするポロネを見て、本当に違う意味で不安に駆られるダンテ達であったが、スゥとポロネを残して冒険者ギルドへと仕事に受けにダンテとアリアは向かい、レイアとミュウとヒースは昨日の現場へと出かけて行った。

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