太陽の下
杉村衣水
第1話
都合の良い人間であれば、必要とされるのだ。
俺はずっと誰かの一番大切な人になりたいと夢見ていたけれど、そんなのは難しい話だった。
だったらもう、全部でなくても良い。
欠片で良い。
俺がいる意味さえあれば、それで良い。
谷岡に呼び出されるのは久し振りだった。
彼の仕事が休みの土曜、指定されたホテルに足を運ぶ俺を自分の半身が嗤っている。
「こんばんは、谷岡さん」
「こんばんは。補導されなかった?」
「馬鹿じゃないの」
ベッドに腰掛ける男に近付き、荒れた口唇にキスを落とした。
彼は含むように笑い、俺の顎を取る。
舌が熱い。息の仕方を忘れたように喘ぐと、谷岡はくすくすと笑った。
今日の彼はなんだか楽しそうだ。いつもはもっと落ち着いた雰囲気なのに。
何か良い事でもあったのだろうか。
「シャワー浴びる?」
「浴びた方が良い?」
「どっちでも良いよ」
「じゃあこのままで」
メールでは詳しい事は話してくれなかった。
いや、“では”じゃない。
俺に何か大事な話をしてくれる奴なんているのだろうか。
初めて好きになった奴は、俺の片思いで終わった。
告白なんて出来なかった。女が好きだと解っていたからだ。
ノンケに恋をしても意味は無いのかも知れないと思い、次に好きになれたのはそういう場所で出会った男だった。
上手くいくだろうかと考えながら過ごす日々。1年付き合ったが、彼はポッと出の女性と結婚してしまった。
結婚するんだと言われた。
お前も本気じゃなかっただろうと。
愛想が無かったもんな、と言われた。
そう、だったのだろうか。別れに怯えていたから、深入りしないように態度に出てしまったのだろうか。
彼の、眉間にシワの寄る笑い方が好きだったのに。
もっと、好きだと伝えていれば良かった。
愛されるとはなんだろうか。
そんなのは解らない。
俺は誰かの一番になりたかった。
でもそれを探すのは、もう怖くなってしまった。
だったらもう、割り切ってしまえと思ったのだ。
人肌は恋しい。
けれど傷付きたくは無い。
そう思うのに、呼ばれると嬉しい。
特にこの男からは。
なぜだろう。無理な事をしないからだろうか。
一晩だけでも、大切に扱ってくれるからだろうか。
「時雨くん」
「なに」
かすれた声が喉から息のように漏れる。
「どうかしたの」
「え、何が」
「今日は少し暗いね」
「……そうかな。ごめん、ヤリづらかった?」
谷岡が横に首を振った。
「何かあったの?」
「何も」
何も無いから、きっと落ち込みそうになっている。
携帯にいくつか入っている番号に、俺から連絡を入れた事は無い。
登録された名前も、本当の名前なのかどうか。
身体を重ねた時に呼んでいる名前は、誰の名前なのだろう。
「時雨くん、オレ、昇格したんだよ」
「……は?」
脈絡の無い話題に一瞬呆けた顔をしてしまった。
にこにこ笑った彼は俺の頬に口付けると、「お祝いしてよ」と言った。
「おいわい……」
「そう、デートでもしようよ」
「俺、男だけど」
「ははは、セックスしてる人に何言ってんの」
そらそうだ。
それは、解っているんだけど。
でもそうじゃなくて。
「なんで俺なの。彼女とか、いないの」
「彼女いたら君と寝ないよ。そもそもオレ、女ダメなんだけど。……あー、時雨くんはそうじゃなかった感じ?」
谷岡は頭をがりがりと掻いて、溜め息をついた。
「そろそろいいかと思ったんだけど、そういう問題じゃなかったかな」
苦笑いされて、勢いよく彼の腕を掴んだ。
谷岡はびっくりした顔で俺を見つめる。
「……ちょっと、よく解んないです」
「し、時雨くん? どうした?」
「あんたの言ってる事、よく解んねえよ」
「ああ、そう、ごめん。携帯の番号、消して欲しいって言ってるの」
「番号……」
「オレのは残しといてね」
慌てて鞄から携帯を取り出して彼に放り投げた。
「それ、分類分けしてるから、3番消して良い」
「ねえ、オレの番号、3番に振り分けられて無いんだけど、なんで?」
「え? あ、知らない」
「そう」
谷岡は鼻歌を歌いながら、アドレスを消していく。
浮かれ始めた俺に向かって、心の端がまた嗤い出した。
学習しない奴だな、と。
そう言われて焦る。
ああ、そうだ、俺は一番にならなくて良いんだった。
「谷岡さん、待って」
携帯を弄る彼の手を掴む。
谷岡は少しムッとした顔で、「消されたくない人でもいた?」と言った。
「そうじゃ無いんだけど、俺、どうしたら良いか。だって俺、都合が良ければそれで良いんだよ」
「……本命がいる?」
探るように彼が俺を見上げる。
首を振って否定すると、彼は微笑んだ。
「君は気付かなかったかも知れないけど、時々街中で君を見掛けたよ。無意識なのか、すれ違うカップルを目で追う事が多かったね」
「知らない」
「そうか。あとは、立ち止まって遠くを見ていた。オレはそういう時、よくメールを送ったよ。会いたいって。君が嬉しそうな顔をするのを遠くから見てた」
そうだ、俺が理由も解らず寂しいと思った時、連絡をくれるのはいつも彼だった。
見ていたのか。
話し掛けてくれれば良いのに。
「時々君は痣だらけであらわれて、理由を訊くと転んだ、ぶつけたって笑うから何も言えなくなった。赤い顔をしてふらふらで来た事もあったね。オレの嫌いな香水の匂いをさせてた事もあった」
「……うん」
「そういう日は、とてもとても腹が立って、でもオレが腹を立てる理由は無くて、いつも以上に丁寧に抱いていた」
段々恥ずかしくなってきた。
俺は何を言われているのだろう。
「時雨くんは何に怯えているの」
「何……なんだろう。終わりに。終わりが怖い」
谷岡が困ったように笑った。
笑って、俺の髪を撫でた。
「そうか。そうなんだね。じゃあ、終わらない努力をしよう」
それってなんだろう。
具体的に言われなくちゃ解らない。
「もし、オレが君以外に目移りしたら、ひっぱたけば良いよ。何してるんだって、喚けばオレは君に向き直るだろうよ」
「みっともない」
「それが良い。みっともないくらい取り乱して、オレを好きだと言って欲しい」
「谷岡さん」
「なに?」
「デートしよう」
ほろりと涙がこぼれた。
「うん」
「どこが良いかな」
「どこでも。ただ二人で歩くだけだって良いんだ。いつもここだから、陽の光の下の君と一緒に居たい」
「谷岡さん、いつもそんな事考えてたの?」
「うん、考えてた」
「ロマンチストだね」
「夢見た事が現実になるなんて、素晴らしいじゃない」
「……うん」
谷岡が指先で、俺の涙を拭った。
触れるだけのキスを口唇に落として、「好きだよ」と呟いた。
太陽の下 杉村衣水 @sugi_mura
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