Sound ♯ Amadeus

漆茶碗

prelude

part0-0 「その『少女』は」


――飲み込まれた。


 そう『彼女』が感じた時には、もう全てが手遅れだった。

 身体は既に、『音の歪み』とも呼べる何かに飲み込まれ始めている。


 唐突とうとつだった。

 暴飲ぼういんされるかの如く、身体に歪んだ音がまとわりつく。


 気持ち悪い。その筈なのに――奇妙な安堵感がココロの中に広がっていく。


 狂った『音』の中へと沈んで行く感覚。異常な現象であるのに、何故こんなにも『優しさ』を覚えると言うのか。


――私は、どうなってしまうの。


 考える。

 答えは、どこからも提示される事は無い。


 何も、考えられない。

 否。考える『必要』など、既にない。


 『音』が響く。

 

 身体が『音』に浸っていく。


 雑で、歪で、複雑怪奇で、煩雑はんざつな『音』。


 砂を頭に流し込まれているかの様に、粒子がぶつかり身体を下っていく。


 身体に響く鼓動、声、吐息、その全てを、たった一つのノイズが上書きしていく。


 まるで、意志の流動。

 自分が自分で無くなる様な、変異の前兆。

 

 歪み。

 歪んで。

 歪んで、歪に狂う。


 流転るてんする。

 生まれては死に、死んでは生まれ、その度に変質する。

 

 その繰り返し。

 そうして『音』は、全てを変質させていく。


 今や彼女自身も、そんな『音』の一部となりつつあった。


――このまま、何もかもが侵食され、消え失せてしまうのだろうか。


 未知への絶望が、少女の全てを飲み込んでいった。

 泥の様な濁流だくりゅうの中へ、己の身体が溶け込んでいく。


 最早、音と自身の境界なんてありはしない。


 きっとこのまま、全てが溶けて混じりあう。

 世界の根源に至るかの如く、純粋で、原始的な歪みの中に。


 少女は、抗う事を止めた。 

 意識を閉じる為、閉眼へいがんし、この世との決別を理解する。


 そこで、唐突に『世界』が反転した。


――……。


 覚醒かくせいする。

 目覚める。

 虚無きょむ混沌こんとんの渦中から。


 気が付くと少女は、『無音』の暗闇の中に一人佇んでいた。


 先程までの光景が、嘘の様に消え失せている。


『狂った音』など、何処にも存在していない。

 今や辺りを支配するのは、黄昏たそがれ色が拡がる、夕暮れの空だけであった。

 黒鳥こくちょうの鳴き声が、木霊こだまする。


 少女は、倒れ伏した地面の上で、呆然ぼうぜんと空を見上げていた。

 今のは夢か、それとも現実か。

 曖昧あいまいな感覚が、思考を支配する。

 

 結局少女は、先ほどの非現実アンリアルを『夢』の一言で片付ける。

 

 彼女は、何事も無く帰路につく。

 その先に待つのは『日常』か、それとも『夢』の続きか。


 間違いなく言える事は、ただ一つ。


 この時から、全てが始まり、狂い始めたのだ。


 全ての基点。楽曲の始点。 


 プレリュード。


 少女が『無音』と感じた空間の中。


 辺りには、『ノイズ』だけが、残響ざんきょうしていた。



 Prelude「Ground Zero」END

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