第19話 おふろ
「おい。ろと。ふろ、はいれー」
かちこちかちこち。
こたつでマウスを握りしめて、一人で単純作業を延々とやっている、ろとに――俺は言った。
風呂が溜まって、しばらく経つ。
冷めてしまうから、ろとにそう言った。
「うーん……」
あー、これは聞いてねえなー。
返ってきた生返事に、俺はそう判断した。
俺はそのままテレビを観ていた。ミカンをちょうど一個食べおわったあたりで、マウスのカチコチ音が一段落した|(たぶん刈った羊毛を倉庫にしまいに行った)ところで、もういっぺん、声をかける。
「おーい。ろとー。ふろはいれー」
「うーん……、とれぼー、いっしょに、はいろー」
「おお」
こんどはちゃんと返事が返ってきた。
俺は安心して、テレビに――。
「――って!? おい!? なんだその〝いっしょにはいる〟って選択肢は!」
「選択肢、って、なぁに?」
ろとは、きょとんと首を傾げている。ヘッドフォンをずらして、こちらを見やる。
ああ。さっきの生返事は、ヘッドフォンしてたからか。
こちらも顔を向けずに話していたから、気づかなかった。
「いや選択肢などない。断じてない。ないったらない。風呂ぐらい一人ではいれ。これまでだって一人ではいれていただろう?」
ろとは、ほっとくとすぐに風呂をサボろうとする。俺が毎日、きちんと監視して、きちんと言ってやらなければならない。
「一人ではいるとー、洗うのが大変なのー」
「大変かもしれないが。そこは頑張ってくれ」
「とれぼーは、……ぼくのこと、洗いたくない?」
「いや洗いたいか洗いたくないかは、この場合の問題の本質ではなく、洗うか洗わないかという選択肢の問題でもなく。とにかくだめだ。そこまでは介護できん。自分で洗ってくれ」
「とれぼーのー、けちぃ」
「いやケチとかそういうのとは話が違うだろ。おまえ、なんだか重要な論点、すっぽりと落っことしてるみたいだが、俺にはそこが肝心かつ重要なの」
ろとと一緒に風呂にはいるって……。つまりハダカを見るってことだぞ?
ちゃんと! そこ! わかって言ってんのッ!?
「じゃあ、はいるのやめるー」
「おい。話、ちゃんと聞いてんのか? 風呂、はいれ」
「やだー」
「はいれったら、はいれ!」
「やだったら、やだー」
「はいらないと! 風呂抜きにするぞ!」
「いいよー」
「ちがった。それじゃご褒美だな」
「とれぼーが洗ってくれたら、ぼく、はいるよー」
「洗わん」
「手の一本だけでいいよー」
「足の一本だって洗わん」
「じゃあ。左側ぼく自分で洗うから、右側、とれぼーがやってー。はんぶんこー」
「はんぶんこしない」
「じゃあ。上洗うから、下洗ってー。はんぶんこー」
「そういうはんぶんこは、もっとヤバイ」
「じゃあ……。髪洗って。髪。そこがいちばん大変なのー」
「髪……か?」
ろとの髪を、じっと見やる。たしかに洗うのは男に比べて大変そうだ。乾かすのも大変かもしれない。
ドライヤーなんて〝オサレ〟なものが、ろとの部屋にあるはずはない。
俺も気にかけてなかったから、当然、買ってない。こんど買うかな? あれは必要なものかな?
「髪だけ! 髪だけ! 髪だけ洗って!」
そこを突破口だと思ったのか、ろとは、手をぎゅっと握りしめて、おねだりとだだを繰り返す。
「そしたらぼく、我慢してお風呂はいるからー」
「我慢なのか」
「いやー。しかしなー。一緒にはいる、っていうのはなー。やはりなー」
どうしよう。この選択肢。
ろとと一緒にお風呂に入りますか? [はい/いいえ]
「とれぼー、はずかしいなら、服着てていいから」
おいちょっと待て。俺
が恥ずかしいことになってんのか。
てゆうか。おまえ。恥ずかしくないんか。
「とれぼー、ダダこねちゃだめー。ワガママきんしー」
だからちょっと待て。
俺がだだをこねて、わがまま言ってることになってるのか。
しかし、どうやって一緒に風呂にはいれば……。
「あー。そっか」
俺は、ぽんと手のひらを打ち合わせた。
簡単なことだった。
人間は危機に際して、普段眠らせている能力を解放するという。俺の灰色の脳細胞も、この〝危機〟に際して、フル回転したようだ。
名案が浮かんだ。
◇
「あー、そこです。そこー。そこー。キモチイイのー。カユイところなのー」
「ここか? ここか?
わっしゃわっしゃ。シャンプーを泡立てる。
俺はろとの頭を洗ってやっていた。
解決策は――こうだった。
ろとのやつは、一人で風呂に入らせた。
そして頭を洗う段になったら、俺が服を着たまま乱入。腕まくりした状態で、わっしゃわっしゃと頭を洗ってやるのだ。
ろとは、ほっとくと〝はだかんぼ〟で湯船から出てきてしまうから、タオルくらいを巻かさせた。
つるん、ぺたん、すってんと、幼児体型のろとなので、それで充分、危険度は下がった。もしこれがワードナーあたりであれば、タオルを巻いたくらいで危険度が下がるどころか、むしろチラリズムの原理によって爆上げしているところだった。あぶないあぶない。
「ねー。こんどのときもー、洗ってくれるー?」
目を閉じた、ろとは、上機嫌でハミングなんかをしている。
俺もそのハミングに合わせながら、返事を返す。
「あー。いいぞー」
「やったー♪」
ワンコを洗ってやるときに、飼い主は、なにも素っ裸になる必要はないのだ。
俺って……。あったまいー。
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