第8章:絶望の始まり
8-1
あの時の喪失感と恐怖は、できれば二度と味わいたくない。
セレンがいなくなった。
エーデルハイトから帰って来た、翌日の事。いつまで経っても朝食に起きて来ないので、部屋を見に行ったら、もぬけの殻だった。
ベッドを使った形跡が無いから、昨夜のうちにだったらしい。
昨夜、
「じゃあ、また明日。元気、出せよな」
と笑って別れたあいつの顔を思い出す。あんなに穏やかに笑んでいたその裏で、一体何を考えていたんだろう。途方に暮れかけたら。
「もしかしたら、手がかりになるかもしれないな」
事情を聞いたレジェントに連れられて、図書館へ向かう事になった。そうだ、あいつは魔法封じを解呪するために調べものをしていた。何を読んでいたか知れば、とっつきどころが見つかるかも。
図書館の司書の老人は、自国の王様がこんなところへ来た事にかなりびっくりしていたけれど、レジェントが用向きを告げると、一応国立図書館だけど訪れる人はそんなに多くないので、セレンの人物的特徴と読んでいた本を、しっかりと覚えていてくれた。
「魔道書はともかく、こんなものを読んでバウンサーさんのお役に立つのかと首傾げながら、書棚に戻したんですがね」
司書が持って来たのは、三冊の本だった。うち二冊は魔道書。第三階層までを説明した基礎魔道書と、第五階層の
「古代文明の、伝説?」
随分古びた表紙から、すりきれた題名をかろうじて読み取る事ができた。
「物語の棚にあるんですから、おとぎ話だと思うんですがね」
司書の言葉は半分しか耳に入ってこないまま、あたしはその本を手に取り、開いた。レジェントも脇から首を伸ばす。一緒に読んでいくうちに、あたしたちの目は、吸い込まれるように書かれた文字を追っていた。
その本には、古代の魔道文明を築いた種族について、記されていた。
かつて、世界を魔道で繁栄させた一族がいた。
利便性を追求し、なんでも魔道で自動的に生活できるよう技術を発展させ、自らの生命力を強化し、魔力や、偏在する精霊、世界の資源を、惜しみなく消費した。
後から生まれた人類よりも高い魔力と進んだ文明を誇ったその一族は、圧倒的に数の多い人間たちさえ格下とみなし、奴隷のように扱っていた。
だけど、行き過ぎた進化は破滅をもたらす。
一族は、生命の創造という、神の領域にまで手を出した。結果、絶大な魔力を持った生命『アポカリプス』を生み出した。
だけど、一族はそれを制御する事ができなかった。アポカリプスは独自の意志をもって暴走し、魔物を凶暴化させ、自身の眷属、
全ての希望が絶たれたと思われた時、奇跡が起きる。
一族と人間、両方の血を引く緑の髪の若者が決起し、アポカリプスに立ち向かったのだ。
勇者とたたえられた彼は、純血の一族でなくともアポカリプスを斬る事のできる神剣を手に、アポカリプスを倒した。そして、一族から与えられた、火、水、風、地、光、闇の属性を司る六つの石をもって、世界の狭間にアポカリプスを封印したのである。
彼は世界の王族の祖となり、六つの石を世界中に散らばせて、アポカリプスの封印が簡単に解けないようにした。アポカリプスの封印となり、また、それを解く鍵となる石。それらを称して、二面性を持つ石、『デュアルストーン』と呼んだ。
ぷはっ、と。
自分が息を吐き出す音で、あたしは息をつめて本を読みふけっていた事に気づいた。かたわらのレジェントも、瞠目して一字一句に見入っている。
ページを繰り、指を、視線を滑らせ、先を続けて、あたしたちは更なる驚きに襲われる事になった。
破壊者を生み出した一族は、蜂起した人間たちに追い詰められて、この世界に存在する事を許されなくなった。
彼らは世界をこちら側と向こう側、ふたつに分断し、向こう側へ逃げるように去った。
世界に存在する属性をひとつ強く身に帯び、それを象徴する髪と瞳の色を持ち、詠唱無く魔法を用い、己の魔力を武器に変換して戦い、精霊や他人の魂を宿す事ができた一族。
世界から追放されし者『エクサイラ』と後の世に呼ばれた彼らの真名は、『アストラル』というのだと。
本を持つあたしの手はぶるぶる震えていた。重さじゃない。別の理由からだ。
「何故」
レジェントが珍しく声を荒げて、司書に詰め寄る。
「何故、こんな重要なものが創作の棚にある!?」
司書は困った顔をして戸惑うばかり。確かに、彼にとってこれは突拍子もない創世神話で、そんなふうに責任を追及されても知った事じゃない。ただの理不尽だ。
だけどあたしたちは知っている。これが作り話じゃない可能性を。その生き証人を。
詠唱無しで誰も知らない魔法を使う。
魔力で生成された武器を振るう。
強い生命力を持つ。
火の属性の加護を受けている。
火のように赤い瞳を時折見せる。
自分以外の存在をその身に宿す。
『アストラル』と口にした事がある。
過去の記憶が無い。
彼を。
これを読んだ時、あいつはどういう反応を見せたんだろう。どんな表情を顔に浮かべたんだろう。どんな気持ちを胸に抱いたんだろう。
何を思ってあたしたちに全てを黙っていて、そうして、どこへ消えたんだろう。
図書館で何を見たのか、問い詰めればよかった。クルーテッダスで、気にかけてあげればよかった。昨夜、もっと話をしていればよかった。自分の事でいっぱいいっぱいになっている場合じゃなかった。様々な悔恨がぐるぐる渦巻いて、あたしはその場にへたりこみそうになる。
「とにかく、皆にもこれを伝えなくては」
脱力した腕を支えてくれたのは、レジェントだった。彼自身も多少青ざめながら。
「それから、やはりガゼルに行くべきだね。もしこの本の全てとまではいかずとも、ほぼ大半が真実ならば、事が大きくなりすぎだ。カバラの支援も仰がなくてはいけない」
あたしたちは、本来持ち出し禁止の本を三冊とも、国王権限で図書館から持ち帰ると、兄さん、エイリーン、リサ、クロウを集め、読んだ内容を説明した。そして、サイゼルさんとナイアティットに頼んでグリフォンを出してもらい、ガゼルへ飛ぶ事にする。
その出発際に、何故かアリミアに会いたくなり、彼女を訪ねた。今度は窓からじゃなくて、ちゃんと衛兵に頼んで、部屋の扉を通してもらって。
「そうですか、お兄様たちと共に、ガゼルへ……」
先日よりだいぶ体調がよくなったというアリミアは、あたしの話を聞くと、せっかく血色が戻っていた顔に沈鬱な表情を浮かべ、長いまつ毛を伏せがちにした。
「あ、大丈夫だよ。今回は戦いに行く訳じゃなし。フェルバーンさんに話つけたら、またヴァリアラに戻って来るだろうし」
「そう……ですね」
両手を振って弁明してみるけれど、やっぱり妹としてレジェントが心配なんだろう、アリミアは儚げに微笑むばかり。その笑みを、どうにかもっと心強いものにできないかと思って、あたしは努めて陽気な声をあげる。
「そうだ、帰って来たら、アリミアにも今までの旅の話をするね。レジェントにはして、アリミアにはしないなんて、不公平だもんね」
アリミアはきょとんと目をみはって、それから、さっきよりは明るい表情を見せてくれた。
「ええ、是非。楽しみにしております」
「じゃあ、また」
そうして、部屋を出ようと扉に手をかけた時。
「カラン」
アリミアが呼びかけたので、振り返る。彼女は可愛らしく小首を傾けて。
「セレンさんが、早く見つかるといいですね」
まさかアリミアにまで気づかわれるなんて。あたしはちょっとの間びっくりしてから、「ありがとう」と返す。
「帰って来たら、また、歌を聴かせてね」
「はい、必ず」
やっとアリミアが、しっかりした笑顔を見せてくれたのに安心して、あたしは部屋を後にした。
それが、彼女とあたしの最後の会話になるなんて、考えもせずに。
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