7-7

 引力のまま部屋の隅に転がっていきそうだったデュアルストーンを、とっさにつかみとめようとする。すると、向こう側からも手が伸びてきて、あたしとセレンは、デュアルストーンを互いの手で挟みこむ形になってしまった。

「……ご、ごめん」

「……いや」

 なんとなくお互いに謝って、手を離そうとするんだけど、二人ともが離せば石は落ちてしまう。しばらくお互いに譲り合ってもそもそした後、

「お前ら……何してるんだ」

 呆れ気味の兄さんに声をかけられて、結局、あいつがあたしの手にデュアルストーンを握り込ませ、自身の手を離す事で決着した。

 皆のもとに戻ったところで、そういえば、とあたしは思い出す。

「リサ、あたしに封印が解けるってどうしてわかってたの?」

 リサは、予感、ううん、それ以上の確信を持っていたようだった。多分リサが返すだろう答えも想像がつく。でも、根拠が、あたしの中には無い。

「カランさんとラテジアさんは、クルーテッダス王族の子孫だと思われます」

 そのより所を、リサはよこしてくれた。

「エイリーンさんから聞いたのですが、カランさんは、本来は緑の髪をお持ちだとか。勇者の直系であるクルーテッダス王家の者は、世界で唯一濃い緑色の髪を有していたと言われています」

 あたしが目をみはる一瞬の間を置き、リサは先を続ける。

「そして、カランさんの苗字です。『ミティア』はクルーテッダス王族だけが持つ名です。これらと、カランさんがデュアルストーンの封印を解かれた事から、私は確信いたしました」

 もっとも、その確信を得たのは今ですが、と彼女はつけ加えた。

 幼い頃の記憶を掘り返す。そうだ。お母さんは元々は村の人間じゃなくて、森の外からやって来た、という話を、お父さんから聞いた事がある。お母さんはとても美人で優しい、そばにいて一番安心する人だったけれど、一緒に過ごした十年間の中で、自分の過去について詳しく語る事を一切しない人だった。

 そしてさらに思い出す。たしかにお母さんは、長くて綺麗でつやつやした緑色の髪を持っていた事も。

 もしかしたら、あたしがもっと大きくなったら、全部話してくれるつもりだったのかもしれないけれど、結局それはかなう日が来なかった。

 兄さんは知っていたんだろうか。ちらと様子をうかがうけれど、やっぱり兄さんは無表情で腕を組んで立っているので、本心がわからない。あたしより四つも年上だし、自分たちがエーデルハイト出身だってわかっていたんだから、お母さんから聞いていたか、あるいは、旅に出てから自力で調べるくらいはしていたかもしれない。後で機会を見つけて、聞いてみよう。

 とにかく今は、デュアルストーンも確保したし、一度ヴァリアラに帰って今後の対策を考えるべきなんだろう。あたしたちは、クルーテッダス城を出る事にした。


 ところがあたしたちは、城を出たところで、こんな所で会うとは思っていなかった、意外すぎる人物に出迎えられた。

「お疲れさま~」

 ブーツを履いた足がすねのあたりまで雪に埋まりながら、へにゃっとした笑みをこちらに向けている眼鏡の女性は。

「し、シェリー!?」

「ひさしぶり~、カラン」

 ガゼルの本社にいるはずのカバラ社員、シェリスタ・ハイランドは、相変わらずほやんほやんした口調で呑気に右手を挙げてみせた。

「ど……っ、どうしてここに?」

「社長から言われたのよ」

 シェリーは頬に手をあてて小首を傾げてみせる。

「あなたたちがデュアルストーンを集めていると聞いてね、是非、カバラ社も協力しなきゃって。それで私が社長の名代で応援に来たの」

 そして、その頬にあてていた手をあたしに向けて差し伸べた。

「ね、カラン。デュアルストーンをカバラに預けてくれないかしら。ちゃんとした場所で管理すれば、シェイドにも取られないと思うのね」

 シェリーの言う事はもっともに聞こえた。まだ使い道がわからないといえど、一介のバウンサーがほいほい持ち歩いていいものじゃないのは、わかってる。ヴァリアラ王家に守ってもらってもいいんだろうけど、カバラ社の研究部門に預ければ、この石の秘密が少なからずわかるかもしれない。

 しまい込んでいた光のデュアルストーンをシェリーに託そうと、懐に手をやろうとする。と、その手が、中途な位置で、横から伸びてきた手にぱしりとつかみ止められた。

「シェリーさん」

 セレンだった。まるで魔物に相対する時のように、今にも赤に変わりかねない険しい瞳でシェリーを見すえている。

「ひとつ訊いていいか」

「なーに? カランとのおつきあいの許可を取りたいなら、私じゃなくてラテジアに言わなくちゃ駄目よ」

 シェリーはにこにこと笑みを絶やさない。発された冗談を無視して、あいつは続けた。

「エーデルハイトは魔物だらけだ。一般人が一人でここまでやって来られるような環境じゃない」

 あいつの瞳がすっと細められる。そこであたしもはっと息を呑んでシェリーを見やる。

「あんたは、どうやってここに来た」

 彼女はそれでもしばらく、嫣然としていた。が。

「……聡い子は嫌いだよ」

 いつも穏やかで茫洋としているシェリーのものとは思えない、低い、敵意に満ちた声が、彼女の口から洩れた。

「どうやって来たか、ですって? それはもちろん……」

 シェリーが眼鏡を外す。焦げ茶色の瞳を見開き、口の両端をにいっと持ち上げて、狂気すらはらんだ表情で、彼女は言った。

「こうやって、さァ!!」

 その途端。

 みしり、と、いやな音をたててシェリーの四肢が変化した。黒くて鋭い爪を有した、そう、まるで。

 影のように。

 はァ! とかけ声ひとつあげて、シェリーはあたしに襲いかかって来た。即座に剣を抜いて、爪を受け止める。

「この姿になってからさァ、渇いて渇いてしょうがないの。だから」

 のほほんとした笑いは、もう無い。気のふれたような哄笑が雪原に響く。

「血を、ちょうだァい!」

 いつもはジョークだった言葉が、背筋を寒くする効果を持ってぶつかってくる。常に高い位置でまとめていた髪が乱れて、たてがみのよう。その下から四本の角が生じた。三日月形にかたどられた口には、ぞろりと牙がのぞいている。

「なんであんたが、社長のお気に入りなのさ!」

 ぎりぎりとつばぜり合いの後、一旦は爪をはね返したけれど、その爪が容赦なく振り回される。

「許せない、許せない、許せない!!」

 向こうは本気でこっちを殺す気でいる。だけど相手はシェリーだ。斬る事なんてできやしない。何より、あのシェリーからこんなにも強い憎悪を叩きつけられて、あたしはなかば呆然としてしまっていた。

 爪を剣で受け流しながら一歩、二歩、あとずさったところで、雪に足を取られて、あたしは無様に転び、期せずして見事な人型を雪原に刻んだ。シェリーが喜々とした表情で爪をふりかざす。だけど、それがあたしを切り裂く事は無かった。それより早く、シェリーの首から上が文字通り吹っ飛んだのだ。

 かっと目を見開いたシェリーの頭が、雪の上に赤い軌跡を描きながら転がる。首を失った身体はゆっくりと前のめりに倒れ、雪に埋まり込んだ。

 斬ったのは兄さんだった。おもむろに剣を鞘に収め、あたしのもとへ歩み寄って来る。

「どうして……」

「殺らなければ、お前が殺られていた」

 わかってる。兄さんは兄として妹を助けてくれただけだ。だけどシェリーは、ザスにいた頃、兄さんの事をかっこいいかっこいいと言って、なにくれと面倒を見てくれた。そんな人を斬って、兄さんだって何も感じていないはずが無いのに。

 唇をかみしめながら差し出された手を取り、立ち上がる。その時。

「ひどいんじゃない?」

 シェリーの声が聞こえたので、あたしも兄さんも――今回ばかりはさすがに兄さんも――ぎょっとして振り返る。胴体から離れたはずのシェリーの顔が、ぎょろりとこちらを睨んで、言葉を発したからだ。

「あなたたち兄妹をあんなにかわいがってあげたのに、この仕打ち」

 殺気に、兄さんがあたしを突き飛ばしたので、あたしはまた雪原に新たなくぼみを作るはめになった。ほぼ同時、兄さんが舌打ちか苦悶か、判別のつきかねる声をあげる。

 咄嗟に身を起こす。首の無いシェリーの身体が動いて、兄さんの右腕を切り裂いていた。影のような姿になって、人間としての急所を突いても死なない身体。デミテルと同じだ。

 恐怖にとらわれたあたしたちに、シェリーの胴体は飛びかかってくる。だけど、その間に割って入った者がいた。

 セレンは、瞳を赤に燃やして、同じ色に光る魔道剣をシェリーの心臓目がけて突き刺した。途端、耳をつんざくような悲鳴をシェリーの頭が放つ。だけどそれは唐突に途切れ、頭も胴体も一瞬にして肌が黒色に変わり、干からびてひび割れたかと思うと、しゃりいいいんと硝子細工のように砕け、白い世界に黒のかけらを散らばした。

「大丈夫か」

 兄さんの傷はリサが治療にあたり、セレンが雪の上にへたりこんだあたしの隣に片膝ついて、肩に手を置いてくる。

 平気。

 そう返したかったのに、やっぱりいつだったかと同じで、身体は正直だった。言葉が出なくて、代わりに出てきたのは、嗚咽。

 ぽたぽたぽたと、涙が頬を伝って雪の上に落ち、ごくごく小さい範囲で雪を溶かす。

 シェリー。姉のように思っていた、シェリスタ・ハイランド。

 彼女がこんな事になるなんて。彼女があたしにあんな憎悪を抱いていたなんて。

 ショックが大きすぎて、あたしは雪の中にへたりこんだまま、動く事ができなかった。あいつはしばらく戸惑っていたようだったけど、不意にあたしの頭に手を回して抱き寄せる。

 無言の優しさにあたしの感情は溢れて、あいつの両肩を、爪が食い込むんじゃないかってくらい強くつかむと、あいつの胸に顔をうずめて思いっきり泣いた。

 それはほんの短時間だったんだろうけど、あたしには凄く長い時間に感じられて、その間、誰もが声をかけずに、あたしの泣くままに任せてくれたのがまた、ありがたい気持ちと、申し訳無い気持ちとが、複雑に入り混じった。

「……ごめん」

 泣くだけ泣いて、ようやく気持ちが落ち着いてきたところで、あたしはあいつから身を離す。

「少しはすっきりしたか?」

 あいつがいつに無く穏やかな声色で、こちらの顔をのぞき込んでくる。はれぼったくなった目を見られるのが気恥ずかしくて、顔をそらしながら「うん」とうなずいた。

「ヴァリアラへ戻ろう」

 レジェントが言った。

「一度、ガゼルのフェルバーン社長にも連絡を取るべきだ」

 そうだ。カバラ社にまで、人をこのような姿に変えてしまう敵が入り込んでいるとしたら、世界規模の脅威になる。フェルバーンさんと相談して、実体の見えない敵に本格的に対抗する術を考えないと。

 その考えと、シェリーの事で頭がいっぱいで、あたしはやっぱり失念していた。

 どうしてセレンが、倒しても倒しきれない相手を一撃で葬る事ができたのかを。

 そして、この時彼が密かに決意していた、胸の内を。

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