3-4

 目が覚めても、視界は暗かった。

 身を起こそうとしたら、手の自由がきかなくて、中途半端な高さから横様に倒れ、頭右側をがつんと床にぶつける。

「……痛い……」

 誰も聞いていないだろうに呟いて、あたしは、どこかの灯りも無い狭い部屋に、両手を後ろ手に縛られて転がっている事に気がついた。

 何でそんな事態になっていたのか、まだ少しぼうっとする頭で考える。ええと、武器屋でチンピラにからまれて……。

 有り体に言えば、何の事は無い。誘拐されたんだ、あたしは。って、あっさり言う事でも、笑い事でもない。

 自力でどうにかしなきゃいけないだろうと、もう一回、なんとか起き上がったあたしの足に、何かが触れる気配がした。ようやく暗闇に慣れてきたのと、扉の隙間から洩れてくるわずかな光を頼りに見下ろして、あたしはぎょっとしてしまった。

 長い水色の髪に、目が伏せられていても綺麗な顔立ちのこの人は。

「じ……っ、女王様!?」

 思わず裏返った大声が出てしまった。

 何で、城でハルトさんが守ってるはずの女王様まで、こんな所にいるの?

 少し混乱しかけたが、まずはとにかくこの状況から抜け出すべきだと、あたしは考えた。剣を教えてくれたバウンサーは、サバイバルの知識や簡単な縄抜けの方法も伝授してくれた。おかげで、両手はすぐに自由になる。それから女王様の縄も解いて、身体を揺すった。

「女王様。大丈夫ですか、エリル様」

 やがて、ぴくりと身じろぎして、女王様がゆっくりと碧色の瞳を開いた。

「あら、貴女は……」

 まだよく事態がつかめていないらしい女王様は、うっすらと微笑を向ける。

「一体どうしたんですか。何で、こんな所に」

「こんな所、とは?」

 こんな状況でも可愛らしく小首を傾げたりするので、妹より浮世離れした人なのか、などと少々不安に思いつつも、あたしは説明する。

「あたしは街でチンピラに捕まって、ここに閉じ込められたんです。でも、女王様はどうしてここに?」

 すると、どうしてかしらとばかりにきょとんとしていた女王様が、やがて、真剣な面持ちで自分の身の上に起こった事を回想し始めた。

「貴女がたがリサと共に出て行かれた後、ハルトも退出して、一人になったのです。その時、黒い影が突然現れて、私は気を失い……」

 そこまで言った時点で、女王様もあたしもはっとなる。

「影……シェイド!?」

 良かった、女王様はおっとりしてるけど、頭の回転率が悪い訳じゃない!

「じゃあ今、城に影が入りこんでるってわけですか!?」

 あたしは思わず大声あげて立ち上がっていた。サンザスリナと同じだ。また影に先手を取られている。

 どうにかしてここから抜け出して、さっさと城に戻らなければ。足が折れてでも扉を蹴破るしかないか、と思ったら。

「おい、うるせえぞ! 静かにしていろ!」

 ご丁寧に向こうから扉が開いて、チンピラどもの、ひょろひょろが怒鳴りこんできた。

 相手は一人。なら、さっきみたいな不覚は取らない。

 だん、と床を蹴って一気に距離を詰めると、突然飛びかかられてぎょっとしている奴の鼻面に一発拳、腹にもう一発膝を叩き込む。ひょろひょろは鼻血と折れた歯を吹いて、あおのけに倒れた。

 咄嗟に部屋から顔を出して、周囲をうかがう。他に見張りはいない。武器は手元に無い。買ったばかりの剣を奪われたのは腹立たしいけど、今はそんな事を気にしている場合じゃない。徒手空拳でも女王様を守りながら脱出しないと。

「あたしが何とかします。ついて来てください」

 すると女王様は、一瞬ぽかんとした後、

「ご心配なさらないで」

 と、にっこり笑った。

「わたくしも、名ばかりの魔法王国の主ではございません。貴女を援護するくらいの力はありましてよ」

「それは頼もしいです」

 あたしも思わず笑みを返した後、口元引き締めて、二人で廊下に飛び出した。

 どうやら、どこかの地下らしいというのは、天井から水洩れしている廊下のかび臭さで想像できた。もしかしたら、犯罪組織の巣窟になっているという貧民街のあたりなのかもしれない。

 しばらくは誰にも出くわさずに進めたのだが、一体どんな構造なのか、道が入り組んでいて、迷っている間に、脱走したのが知られてしまったらしい。いかにもごろつきですって連中が、抜き身の剣を手にわらわら現れた。

「殺っても構わねえって言われてるんだ、かかれ!」

 後ろの方で、あのちびっこいのがぎゃんぎゃんわめいている。こっちは素手なのに卑怯だ! と言っている暇も無い。向かってきた内の一人を蹴倒して剣を奪うと、次々みね打ちにする。

『水の精霊、氷の嵐となって吹き荒れよ』

 背後から、詠唱と、魔法を行使する時特有の風が流れてきたので、一歩横に避ける。予想通り女王様の魔法で、あたしが最前までいた場所を小規模な吹雪が吹き抜け、ごろつきどもを何人か、かちんこちんにした。

「ええい、女子供に何てこずってんだ、役立たずどもめ!」

 こっちは相手が人間だから極力傷つけないようにとしているが、向こうは殺す気でいるんだ。必然的にあたしたちは段々押されて、しまいには、四方八方取り囲まれてしまった。

「やいやいやい、よくも手間かけさせてくれたなあ?」

 ちびっこいのが、にやにや笑いながら歩み寄ってくる。

 せめて女王様は守らなきゃ。剣を握り直して、ぎんと相手を睨みつけた。チンピラは、そんなあたしの抵抗さえくだらない、とばかりににやにや笑いを崩さない。

 が、その顔が、がつん、という音と同時に驚愕に変わって、そのまま床に倒れ伏した。

「……ったく」

 その背後に、がつんとやった誰かが立っている。

 一見、赤いロングのワンピースをまとった、そこそこ可愛い女の子。だけど、女の子にしては上背あるし、立ち姿は足を開いて完全に男のそれだし、何より、長い金髪の下から見える瞳は赤で、手には、あたしが知っている限り一人しか使えないはずの、魔力の剣。

「こいつの為とはいえ、こんな格好させられるわ、スカート動きづらいわ、男に迫られるわで」

 まさか。

 あたしがぎょっと目を見開いて立ち尽くす間に、物凄く不本意だとばかりに、そいつは低い声を洩らした。

「オレは今、最っ高に機嫌が悪い! 覚悟しろよ、お前ら!」

 きらきらしく化粧を施された顔に、やけっぱちの笑みを浮かべて、あいつは――女装したセレンは、ごろつきどもに飛びかかった。魔力で調節できるんだろうか、剣は相手を斬ること無く、がいん、ごいん、と鈍い音を立てて敵を次々と昏倒させてゆく。いつの間にかエイリーンも加わり、敵はどんどん数を減らしていった。

「おい、お前ら。そろそろ逃げ出せよ。でないと」

 女の姿のまま、あいつが魔道剣をごろつきたちに突きつけ、反対の手に炎を生み出す。

「容赦しねえぞ」

 途端にごろつきどもはうろたえ、一歩、二歩後ずさると、武器を放り出し、固まっていたり倒れていたりする仲間を見捨てて、我先にと逃げ出してしまった。

 ようやく落ち着いたところで、あたしはまじまじとあいつを見る。偉そうに腕組んでふんぞりかえっているのを抜かせば、立派に女の子として通じる顔だ。長い髪はかつららしい。

「迷子になっても迎えに行かないって言っただろうが……って、何笑ってんだよ」

 あいつが不機嫌極まりない表情をするので初めて、あたしは、知らず知らずのうちに自分の口が笑いの形に緩んでいる事に気がついた。

「ごめんごめん」

 咳払いでごまかして、訊ねる。

「でもなんでそんな格好?」

「お前がさらわれるからだろうが」

 あいつが憮然と説明したところによると、あたしがなかなか帰って来ない上に、ハルトさんが、女王様までさらわれた、と言うので、あいつはエイリーンと一緒に街に降りたそうだ。武器屋のおじさんは、はじめは歯切れ悪くはぐらかしたらしいけど、あいつが魔道剣を突きつけたら、髭面たちにあたしが連れて行かれた事を白状したという。……いくら嘘をついたからって、一般人を脅すのは良くないと思うけど。

 奴らはあれでもハミルでは有名な、人さらいを稼業にする悪人。貧民街のアジト(ここだ)にはたどり着いたけれど、表向き娼館なそこでは、大したお金を持っていなさそうなバウンサーは相手にされずじまい。そこで、エイリーンがドレスアップして、まあいわゆる色じかけで、中に入り込んでみると言い出したのだが、あいつが女の子には危険だと大反対して……結果はこの通り。

 で、この女装セレン、髭面に一発で気に入られ部屋に連れ込まれて、あらゆる意味で危ない目に遭いそうになったので、魔道剣振り回してぼっこぼこにし、あたしたちの居場所を吐かせたのだとか。

 そこまで聞いて、髭面に迫られて必死になるあいつの姿を想像してしまったあたしは、こらえきれずに思いっきり吹き出してしまった。

「くそ、だから嫌だったんだ、この格好見られるの」

「ええー。でも、似合ってるよ」

 あいつが毒づくので、からかってやると、ますます居心地悪そうな表情をするので、あたしもそろそろ笑うのをやめる。

「それより、ほら。取り返してやったぞ」

 綺麗な顔をむっすりとさせたままのあいつが、奪われていた、買ったばかりのあたしの剣を突き出したので、そんな場合じゃない事を思い出したのだ。

「そうだ、城に影が」

「だろうな」

 あたしの言葉に、あいつはすっと赤い目を細める。

「何となく、今回の事件の黒幕も見えて来た。城に戻ったらちょっときつい戦いになる覚悟、決めとけよ」

 黒幕、がどういう意味かわからなかったが、あたしはうなずき返す。それから、あいつの姿をまじまじと見つめてしまった。

「ええと、その格好のままで?」

 あいつは、不本意この上ないといった顔であたしを見返す。

「……着替える時間をくれるのか?」

「……無理だね」

 あたしの返事に、あいつは深々ため息をついて目を背けた。

「なら言うな」

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