3-2

 世界で最も魔道が栄えている国、魔法王国ランバートンの首都、ハミル。街中に張り巡らされた水路と整然と並び建つ建造物が、この都市の生活水準の高さを示し、通りには世界各地からやって来る旅人や商人がにぎやかに行き交う。

「表向きです」

 だけど、リサはかげりを落とした表情で言うのだ。

「大通りを外れれば、貧困にあえぐ人々が暮らす貧民街があります。そして、そのような場所を根城にした犯罪組織も。女王陛下のお膝元でも拭い切れない影の部分が、ランバートンには存在するのです」

 その言葉に、あたしとセレンと、エイリーンは、黙って顔を見合わせた。

 そう。あたしたちの旅には新たな道連れができた。エイリーン。エイリーン・ナーガ・ファルガータ。ドローレスの家を発つ時、名前と外見が表す通り人間ではなかった彼女が、同行を申し出て来たのだ。

「わたしは、ここからずっと北にある白竜の森出身の、竜族なの。そこを滅ぼされて以来、おばあさまの世話になっていたのだけれど、あなたたちと一緒に行くべきだと占いに出てね」

 竜、と云う肩書きも、あっさりと暗い過去を口にする事にも驚いたのだが、一見おっとりしたお嬢さんにしか見えない彼女が、魔物やシェイドと戦う旅について来られるんだろうかと、あたしもあいつも訝ったのだけど。

「ああ、心配しないで。わたし、自分の身は自分で守れるから」

 と、エイリーンは軽快に笑い、緑――風属性だ――のバウンサーカードを取り出してみせたのだった。

 女三人に男一人という比率になって「何か居心地悪い」とあいつは洩らしたけど、戦力としてのエイリーンは確かに頼もしかった。小鬼ゴブリンや魔獣ライガーの群に出くわした時、ナックルを手にはめたかと思うと生身で突っ込んで行って、拳と蹴りで、あっという間に蹴散らしてしまったのだ。

 息ひとつ乱さず、少しだけ乱れた髪を直して、にっこりとこちらに笑みを向ける彼女の姿を見て、あたしたちは、決してエイリーンを怒らせないようにしよう、と、確認しあった。

 まあとにかく、頼もしい仲間を得て、ハミルへの道中は順調に進んだわけ。


 ハミルに着いたあたしたちは、とりあえず腹ごしらえしようと意見が一致して、街でも一番大きな食堂に入った。

 セレンとリサは、街食堂なら大抵ある、ごはんとハンバーグとスープが揃ったお決まりのA定食。エイリーンは肉を食べないとかで、野菜サラダ。あたしは、塩ガーリック味のからあげ定食。に、何故かあいつはレモンスカッシュを頼んでいた。

 運ばれて来た食事を食べながら語り合うのは、さしあたってこれからどうする、と言う話。

「サンザスリナのデュアルストーンが城の地下にあったんだ、ランバートンでも、それなりの場所に保管されているんだろ」

 あいつの言葉に、

「城内です」

 リサはすんなりと答えた。

「王族と、高位の騎士や家臣しか知らない場所に、安置されています」

 その時もまだあたしたちは、何でそんな機密事項を彼女が知っているのか、思い至らなかった。……いや、もしかしたらそれはあたしだけで、エイリーンあたりは薄々気づいていたのかもしれないけど。

「城か。サンザスリナの時は無人だったからずかずか入って行けたけど、今度はそうもいかないだろうな」

 胃がおかしくなるんじゃないかって早さでA定食を腹におさめたあいつが、レモンスカッシュのグラスも一気に空けて、通りかかったウェイトレスにおかわりを頼んだ。

「特に名の有るわけでもないバウンサーがいきなり城に行ったところで、まず通してもらえるはずもないしね」

 エイリーンがぼやきながら、ミニトマトをフォークに刺して口に運ぶ。と。

「いいえ、それなら心配ありません」

 リサが食事の手を止めて言った。やけに確信に満ちて。

「なんで?」

 あいつとあたしの声が重なる。

「それは……」

 リサはためらいがちに、うつむいて口ごもる。何を言おうとしているのか。あたしたちは首を傾げて待つ。

「私は」

 リサが、意を決して顔を上げた。が。

「おいおい、女の子ばっかで頭突き合わせて、何を相談してるんだあい?」

 彼女の決心を台無しにする下卑た笑い声に、四人揃って振り返ると、「俺たちいかにも頭の悪いチンピラです」って顔した男が三人、いつの間にか、あたしたちのテーブルの傍へやって来ていた。

「城がどうとか言ってたなあ」

 リーダー格の、図体の大きい髭面の男がへらへら笑うと、

「その話、俺たちも混ぜてくれよお」

 ひょろひょろ背丈ばっかある奴も、にやにや。

 セレンが元々つりがちな目を険しく細めて、男たちの前に立つ。

「おっさんたちには関係の無い話だ。あっちに行けよ」

 それを聞いた男どもは、一瞬ぽかんとした後、顔を見合わせてげらっげらと爆笑した。

「あっちに行けよ、だってよ!」

 あたしより小柄なんじゃないかって三人目が、きいきい耳障りな声で笑いながら、あいつの腕をバシバシ叩く。

「こんな女みたいな細っこい腕して、俺たちを追っ払おうってか? 女に囲まれてるからって、かっこつけんなよ、兄ちゃん?」

「そうかそうか、女に囲まれてるのは、女みてえにナヨナヨしてるからか? じゃあ、女装でもしちまえ!」

 男どもの嘲笑を聞いて、あいつの顔が怒りに紅潮するのがわかった。ああ、やっぱり気にしてたんだ。男にしては線が細い事。魔道士系だからか、まくった袖からのぞく腕は、どうひいき目に見てもたくましくはないからね。

 何にせよ、このままだとあいつがキレて、魔法を撃つなり、魔道剣ブン回すなり、暴れそうな気がしたので、騒ぎが起きる前に止めて大人しくこの店を出て行くしかないなと思って、あいつの襟をつかもうとした。

 その時だった。

「それくらいにしておきたまえ。彼らが困っているじゃないか」

 男どもの背後から、低くて穏やかな、しかしどこか有無を言わさぬ迫力を秘めた声が、投げかけられたのは。

 あたしたち全員、声の方を見やる。

 背の高い男性だった。長い艶やかな黒髪を後ろで束ね、一見優しそうな濃い灰色の瞳は、しかし油断なく男どもを見すえている。

「な、な、なんだてめえは!?」

 明らかに迫力に押された髭面がどもりながら、一歩、二歩、後ずさった。

「女の前だからって、かっこつけんなよォ!」

 さっきも聞いたような台詞を吐いて、小柄なチンピラ男が飛びかかる。しかし男性がひらりと身をかわして、チンピラは、ぐわっしゃーん! と勢い良く木製テーブルを叩き割ってひっくり返った。

 あっけに取られるひょろひょろの足を払って転倒させ、腰に帯びていた長剣を目にも止まらぬ早さで鞘から抜くと、髭面の鼻先にびたりと突きつけて、彼はさらに一段低い声で警告する。

「去りたまえ。次は、斬り捨てる事も辞さない」

 普通の男が言ったら、何かっこつけてんの! と、笑い飛ばして終わる台詞だったけれど、彼の立ち姿があまりに決まりすぎているのと、その鮮やかな動きが、誰にもそれをさせなかった。

 かっこいい。

 思わず、その単語があたしの脳内に浮かんでしまった。

「お、覚えてろ~!!」

 お約束の捨て台詞を吐き、三人組は乱暴に食堂の扉を開けて、どたばたと逃げて行った。

「忘れるさ」

 男性は肩をすくめてうそぶくと、剣をちゃきん、と鞘に戻し、あたしたちの方に向き直る。

「大丈夫だったかい、君たち?」

 さっきまでの刃のような鋭さはどこへやら、落ち着いた口調と笑みに、あたしはしばらくぽかんとしてしまったのだが、礼を失しきってしまう前に我に返った。

「あ、あの、ありがとうございました」

 四人を代表して、何故かぎくしゃくしながら頭を下げる。

「いや、怪我も無くて何よりだよ」

 男性は、穏やかな笑顔のまま言った。ザスにはいなかったタイプの、とても落ち着いた大人の男の人だ。あたしは頬なんか赤く染めながら、その笑顔に見入ってしまう。

 と、その時、食堂の扉が再び、ばあん! と開いて、

「あ、社長!」

 慌ただしい声がこちらに近づいて来た。

「社長、捜しましたよ! 勝手にいなくならないでください!」

 黒ぶち眼鏡のひょろっとした男の子――……なのか、成人なのか、ちょっと判断が微妙な外見――が、ずんずんと男性に詰め寄る。

「アスター君」

 男性が困った様子で周囲を見渡す。あたしとセレンはその理由がわからずにいたんだけど、エイリーンやリサ、それに店に居合わせた人達は、その単語で感づいたらしい。エイリーンが唖然として洩らす。

「社長って……まさか、カバラ社社長の、フェルバーン・イスカリオさんですか!?」

 男性が苦笑して肩をすくめたのが答えだった。あたしとあいつもようやく思考回路が追いついて、目をまん丸くしてしまう。店じゅうの客が、社長、社長? とどよめいた。

「アスター君、迂闊だな」

「も、申し訳ありません……」

 社長――フェルバーンさんにたしなめられたアスター君は、萎縮してしまう。しかしあたしたちも、すっかりびっくりしてしまって、ぽかんと口を開けた後は、まごまごするばかりだった。

「そんなに構えないでくれ」

 実質この世界のトップにどういう態度を取ったらいいのか思いつかなかったあたしに、フェルバーンさんは柔和な笑みを向けた。

「今の僕は、各地の視察に回っている旅人。君たちバウンサーと同じ身分だよ」

 そうして、握手を求めてくる。

「可愛らしいお嬢さん、君の名前を教えてもらって良いかな?」

「あ、か、カランです。カラン・ミティア」

「カランか。名前も可愛らしいね」

 握った手は、大きくて、温かかった。

 カバラ社の今の社長さんは若い、とは噂に聞いていたけれど、まさかこんな好青年だなんて! しかも可愛らしいと二度も言われ、あたしはすっかり舞い上がってしまった。彼が手を離して、セレンたち三人にも名前を訊いているのも他人事のように、ぼうっとしてしまったのだ。

「カラン」

 心地良い声で名前を呼ばれ、はっと気づくと、フェルバーンさんがこちらの顔をのぞきこんでいる。

「僕はもう行かなければならないが、君たちの旅が無事に進む事を祈っているよ。ダイアム大陸のガゼルに来たら、是非本社を訪ねてくれ。また会いたい」

 そうして、レモンスカッシュを持って来たまま出すタイミングを逸していたウェイトレスに、「これで、壊してしまったテーブルを買い替えてくれ」と、ディール金貨を渡し、やはり必殺の笑みを投げかけて、ウェイトレスがぽうっとしている間に、彼はアスター君を伴って、食堂を後にしたのだった。

 しばらくの間、食堂内には、彼が残していった衝撃の余韻で静寂が落ちていたけれど、やがてそれも去り、皆各々、食事や会話を再開する。

 あたしはそれでも、フェルバーンさんと握手を交わした右手をぼんやりと見つめていたのだが。

「へえ、お前」

 セレンのいつもより低い声が、背中に投げかけられた。

「ああいうのが好みなのか?」

 振り返ると、あいつはやたら不機嫌そうにこっちを見ている。

「何、怒ってんの?」

 訳がわからず首を傾げると、あいつはぷいと横を向き、まだ頬を染めて立ち尽くしているウェイトレスのトレーからレモンスカッシュを奪い取って、ぐぐーっと飲み干した。

「行儀悪い。それに、胃が悪くなるよ」

「知るか」

 たしなめても、やっぱりあいつの反応はそっけない。それが何でだか全くわからず、あたしは困り果てる。エイリーンとリサは何故か、笑いをこらえているふうだったけれど、その理由も、あたしには理解できなかった。

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