2-6
結局その後話し合って、セレンは故郷のランバートンへ帰るリサに同道する形で、ランバートンのデュアルストーンとやらを守りに行く事が決まった。クロウは一度、祖国ヴァリアラのあるダイアム大陸に戻る為、ザスから遙か東にある港町ミッツへ一人発つと言った。
リサのおかげで怪我が回復したフェリオが、お礼と餞別だとばかりに、厨房内の無事だった食材で料理を振る舞ってくれた。あたしもレモンスカッシュを作って、あいつだけでなくクロウとリサにも出す。いつも通り、反応は上々だった。
店内に響く、笑い声。
でもこれは今日一日限りの光景。
食事が終わって。夜も更けて。それぞれがいいかんじに今日の疲れが出て、眠くなってきて。フェリオがクロウとリサの分まで即興で部屋を用意して、それぞれが引き上げた。
だけどあたしは、ぼうっとしたままお風呂に入って今日の汚れを落とし、のろのろとベッドにもぐり込んだけれど、いまいち寝つけなくて、そっと部屋を抜け出した。
他の皆を起こさないように静かに階段を降りていたら、かちゃかちゃと何か作業をしている音が、店から聞こえる。のぞきこんでみると、厨房にだけついている灯りと、フェリオの背中が見えた。
「何やってるの?」
「セレン君たちの為に、お弁当作り。多少保つ物も持たせてあげようと思ったらね、止まらなくなっちゃって」
声をかける前から、あたしの気配には気づいていたみたい。フェリオは背を向けたまま答える。
焼き菓子も作っているんだろう、甘いにおいが鼻に届いた。そのにおいに、
「昔」
あたしはつい、思い出す。
「あたしが来たばかりの頃、そのお菓子、よく作ってくれたよね」
「ああ、そうだね」
フェリオも懐かしそうに返してくれる。
「膝を抱えてうずくまってばかりでろくすっぽ口もきいちゃくれなかった小さいあんたが、これを出した時だけはどんどん手を伸ばして。全部あんたの分なんだから逃げやしないよって言っても、聞きゃせずに、必死に口に詰め込んでた」
フェリオがくすりと洩らすので、あたしもつられて笑い、それから笑みを消して、その背に声をかけた。
「あたし、フェリオには本当に感謝してる。五年も赤の他人のあたしの面倒を見てくれて、きちんと叱ったり、褒めたりしてくれて。お母さんみたい、ううん、あたしのもう一人のお母さんだと思ってるよ」
「母親を名前で呼び捨てするかい?」
フェリオが手を止めて振り向く。今年三十六歳になるはずのフェリオは、まだ二十代でも通る若々しい外見で、ザスの街中で評判なのに、何故かその時だけは年齢よりちょっとだけ上に、疲れたように、見えてしまった。
そして彼女は、あたしが口を開くより先に次の言葉を告げた。
「子供はね、いつか親の手元を離れて巣立っていくもの」
あたしが驚いて見つめると、フェリオはあたしの考えなんてお見通しだとばかりに、ふっと笑って。
「好きなようにしな。そして、帰って来たくなったら帰って来ればいい。ザスのこの店は、いつまでもあんたの家だよ」
あたしはなんだか、泣きそうになってしまった。だけどそれを我慢して、そのままフェリオに飛びつきたい衝動も我慢して、笑ってみせたら、変な笑顔になった自覚があった。
「セレン君もさっき、眠れないって言って出て行ったよ。今までもたまに、夜中に公園に行ってたみたいだからね。そっちじゃないのかい」
あたしはフェリオの気遣いに感謝して、再び料理と向かいあった彼女の背中に頭を下げると、店を出て行った。
出て行く時、扉が、ぎちいと変な音を立てた。夕方、あたしが思い切り開けたせいで、少し歪んだのかもしれない。
ザスの街には北と南にそれぞれ街門があって、南門のそばには公園がある。昔、民衆を率いて王族を追放した革命の徒、ルルドゥシーなんちゃらとかいう人の像が、偉そうに立ってる以外、特に何て事は無い、街の人たちの散歩コース。なんだけど、はずれの方には、ルグレット平原を見渡せる展望台もある。その展望台に近づいたら、案の定、いた。月の光に照らし出される、金髪。
「いくら春って言ったって、夜にそんな薄着じゃ風邪ひくよ」
背後から声をかけて、余分に持って来たストールを頭からかけてやると、あいつは本当に今気づいたらしく、びっくりした様子で振り返った。全く、街の中とはいえそんな無防備で、これからバウンサーとして世界を渡って行けるのか。疑問はなはだしい。
「いつの間に来たんだよ」
「今」
女物なんて、とぶつぶつ言いながらも、ストールを肩にかけ直すあいつの隣に腰をおろす。
「肩は大丈夫?」
リサの回復魔法の腕前を見たし、あいつの大層な回復力もあるんだから、そんなに心配しなくても平気なんだろうとはわかっていたけれど、どうしても訊かずにはいられなかった。
「ああ、もう痛みも何も無い。回復魔法ってすごいな」
どうやらオレは攻撃専門で使えないみたいだけど、とあいつは笑ってみせたけど、やがて笑みを引っこめて、前を向く。
「何、考えてた?」
あたしの質問に、あいつはしばらく目の前に広がるルグレット平原を見つめたまま、間を置いて。
「……他愛ない事だよ」
「どんな?」
訊き返すと、あいつはちょっとだけ困ったような顔をしたけれど、観念したか、喋り出した。
「オレ、この平原でお前に拾われたんだよな」
「うん、まあ、拾ったっていうか、助けたっていうか」
うなずくと、あいつは深刻な顔をして。
「オレの記憶はそこからしか無い。だけどこの世界のどこかには、オレの事を知ってて、オレを探してくれている人がいるかもしれない。そんな人たちの事もオレは忘れてる」
うつむき、またしばらく間を空けて、あいつは続ける。
「でも、もしかしたら、誰もいないかもしれないんだ。オレを知っている人、待っている人は。世界を回っても意味が無いかもしれない。そう思ったら、急に不安になった」
顔を上げて微かに笑むその表情は、なんだか頼り無くて仕方がない。
だからあたしは、あいつの背中をばしんと叩いて、言ってやった。
「あたしが知ってるよ」
あいつの褐色の――戦う時には赤に燃え上がる――目が、軽い驚きを宿す。
「たったひと月だけど、あたしやフェリオがあんたと過ごした時間をあたしは覚えてるし、あんたも忘れてない。それに思い出なら、これからもっと増やせばいい」
今度は、言葉の意味をはかりかねてかぽかんとするあいつに、
「一緒に、行こうよ」
あたしは手を差し出した。
「一緒に世界を旅して、一緒に戦って、笑ったり、泣いたり、怒ったりしよう。あんたと一緒なら結構楽しいと思うんだ。そうして、思い出をたくさん作ろう」
あいつはさらに驚いた様子で、あたしの顔と差し出された手とを、見比べる。
「
「当然」
あたしの自信に満ちた笑顔に、とうとうあいつも断るのを諦めたらしい。
「わかった。よろしく頼むぜ」
出会ったあの日以来に。あたしたちは握手を交わした。
翌朝は快晴。旅立ちにはもってこいの天気だった。
あたしたちは旅装束に身を包み、長旅に必要な荷物やら、フェリオが徹夜で作ってくれたお弁当やらを持って、街の南門の前にいた。勿論お弁当の中には、日持ちする例の焼き菓子と、魔力の冷却水筒に入ったレモンスカッシュもあった。
「やあ、すいません、俺の分まで作ってもらっちゃって」
「いいのいいの、半分趣味みたいなものなんだから」
あたしたちとは別の道を行くクロウもお弁当を持たされて、見送りに来てくれたフェリオに礼を述べていた。恐縮する言葉とは裏腹に、かなり嬉しそう。
「お気遣い、感謝いたします」
「お世話になりました」
リサとセレンがそれぞれフェリオに頭を下げて、歩き始める。
「ザスに来たら、今度は客として店を訪ねます」
クロウも歩き出して、あたしがぽつんと取り残される。
「ああ、ちょっと! 置いてかないでよ!」
慌てて後を追って走り出し……途中で足を止めて、振り返る。
フェリオは笑顔で手を振っていた。だからあたしも、精一杯の笑顔で手を振り返しながら、大きな声で言ったのだった。
「行ってきます!!」
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