ウチの馬鹿な犬

 早朝。セミの鳴き声がもう聞こえ始めている。一匹が鳴きはじめるとそれに呼応して他のセミが競うかのように鳴き出して、もう眠ってなんかいられない。頑張って眠ろうと目をつぶっていても、このセミの鳴き声で目が覚めるのか僕の布団の上に勢いよくのしかかってくる存在もあってやっぱり二度寝は無理だった。


 夏休みが始まってもう二週間くらいだろうか。

 僕は夏休みになると決まってウチの犬の世話を任される。主に散歩やエサをやるんだけども、ウチの柴犬「三四郎」は馬鹿だから手に負えない。

 今日も朝に目が覚めると寝床から僕の部屋までやってきて、わんと大きく吠えて僕の顔を舐め回す。ご丁寧に自分の散歩用リードをくわえて。

 

「わかってるよ、今準備するから」


 そう言うと、元気よくまたわんと吠えてしっぽを振ってお座りをして待っている。こういう姿を見ているとこいつ可愛いなってちょっと思うんだけど、こいつと散歩するのはかなりの重労働。すぐに後悔する羽目になる。

 散歩コースは一応決まっているとはいえ、大体何かに気を取られてそれに向かって駆け出すか、散歩コースで行き交う人々になれなれしく向かっていったり。犬好きな人ならいいけど犬嫌いな人に当たって蹴られたりしても懲りないのだから救いようがない。諦めが悪いのか、人が本当に好きなのかわからないけど。

 僕が喉の渇きを癒しに台所に行くと、三四郎も台所にある自分の水入れの水を飲む。そして首輪にリードをつなげ、


「じゃあ行こうか」

 

 と声を掛けると三四郎のテンションはもううなぎ上り。待ちきれないと言わんばかりにそわそわする。

 玄関のドアを開くとリードをぐいぐい引っ張って僕をも引きずる勢いで前へと歩いていく。前へ。前へ。僕の事を全く考えずに、リードがピンと張って首を引っ張られてもお構いなしに前へ。全く、そんなに大きい犬でもないのになんでこんなに力強いんだろう?

 もう三四郎の散歩というよりも僕の散歩なんじゃないかと思う。いっそのこと一匹で散歩してくれれば楽なのだが、リードを離すと途端に立ち止まってこっちを見て寂しそうに鳴くのだから困る。お前は何がしたいんだ。

 

 舗装された道路を右に曲がり、左に曲がり、直進して、散歩コースを進んでいく。今日は早朝から蒸し暑い。人間の僕でも暑いのだから、犬の三四郎はもっと暑い。そのせいか執拗に川へ向かうコースを取りたがる。

 でも、川へは二度と行かない。

 こないだ暑いだろうからって川へ行った時の記憶が思い出される。

 最初はおっかなびっくり水に前足を着けていたけど、慣れてきた途端に調子に乗って川幅の真ん中あたりまでに行って魚なんかを追いかけ始めて、魚を追うあまりに深みにハマって流されたりなんかしていたんだよなこの馬鹿犬は。

 おかげで大人の人を呼んで救助してもらわなくちゃいけなくなって、後で僕まで怒られるハメになったんだよな……。


「あとで水浴びさせてやるからこっちに来いっての! ラジオ体操に間に合わなくなるだろ!」


 リードを引っ張って無理やりいつもの散歩コースに引き戻すと不満げな顔でこっちを見るが、一応僕の事を上のランクと認識しているからそれ以上の反発はしなかった。ちゃんとしつけをしていてよかった。

 もう少しで家の前という辺りで、三四郎がなにやらピタっと止まって空を見上げた。


「なんだ?」


 同じ方向を見上げると、セミがふらふらと力なく飛んでいた。飛んでいると言うよりは地面に向かって墜落している。一週間と言われる命の灯を燃やして間もなく終わろうとしているセミなんだろうか。

 ついに道路にぽとりと落ちるセミ。足をじたばたさせながらじじじっと鳴いて蠢いている。僕はその様子をなんとなくしゃがみこんで眺めていた。三四郎もしばらく息を荒くしながらセミを見つめていた、と思っていたら。


 ぱくり。

 

「……は?」


 思いの外小気味良い音を立てながら三四郎は口を動かして咀嚼している。何を? と聞かれてもあまり答えたくない代物を。

 

「おい変なモノ食ってんじゃねーよ! 吐き出せ!」


 口を無理やり開こうとしても、三四郎は食い意地が非常に汚く一度口にしたものは決して渡さない。僕を威嚇すべく唸り声を上げて睨み付ける。

 それどころかそのまま荒々しく口中のものをかみ砕いて飲み下してしまった。

 満足したのか再び口を開けて息を荒く呼吸する三四郎。その口の中に残っている、足やら羽の欠片は見なかった事にする。

 散歩を終えて首輪のリードを外して三四郎の足を拭き、家の中に上げると三四郎は台所にある水入れ皿の水を勢いよく飲み、また餌入れ皿に入れてある昨日の我が家の残飯を勢いよく食べだした。よく動いてよく食べてよく飲む。これがウチの馬鹿犬だ。動物の本能に忠実に従っているともいえるんだけど。

 僕も喉が渇いたので台所に行って蛇口をひねって水を飲む。そういえば、今何時だっけとリビングの時計を見ると、間もなく午前六時になろうとしていた。


「あーやばい。そろそろラジオ体操はじまっちゃうじゃん。スタンプカード取りにいかないと」


 階段を上り、僕は自分の部屋のドアを開ける。

 開いた次の瞬間に、僕は絶句した。

 僕の部屋のベッドの枕元に、大きなセミの三匹、カブトムシの雄と雌がそれぞれ一匹ずつ、カミキリムシが二匹、そしてオオクワガタの雄が一匹それぞれ死骸で置かれていたのだ。

 死骸だらけとなった枕の横に猫が一匹。涼しい顔をしながら顔を洗っていた。

 彼はこちらを見ると、にゃーんと鳴いて僕の横をすり抜け、ちらりとまた一瞥して満足気な顔をして去って行ったのだった。

 


 

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