灯りの電車
電車を待っている。既に夜、外は暗くて寒い。普段出不精である私が、珍しく欲しい物があって遠くまで出かけたというのに、タイミングを逃して手に入れる事が出来なかったのだ。全くの徒労、無駄足。疲労感だけが肩に残った。私は帰りの電車の券を買い、ホームの中に入って電車を待っていた。
電光掲示板を見る。次の電車が来るまでしばらくの時間が必要らしい。どうしようか考えていると、私の目は待合室がある事を捉えた。そうだ、少し大きい駅であれば待合室くらいあるのだった。普段電車など利用しないから行動の選択肢から外れていた。
待合室にはそこそこの人が居る。誰もかれもがスマートフォンを弄っているか、友人等と談笑している。中はほんのりと暖かく、コートを脱がなければ汗ばんでしまうという程ではない、心地良い温度。私もスマートフォンを取り出して、退屈しのぎに匿名掲示板やSNSを見ている。いつもの人々が、いつものようにやりとりを交わしている。時折、今日何を食べたのか写真を掲載している人もいる。
そういえば今日は出先で食事も取ったのだが、食べた後に地域の名物を扱っている店が私の降りた先の駅中にある事に気づいたのだった。今日は何から何まで上手くいかない日なのか。いつもは楽しく眺めている掲示板のやりとりも、SNSに居る人々との会話も独り言も、すべて目から滑り落ちていって頭に入ってこない。たまにこういう日もあるのだと頭にわからせようとしても心が納得してくれない。
どれくらい時間が経ったか、アナウンスが聞こえてきた。上りの電車のアナウンスであり、私の家の方向ではないのでまたしばらくスマートフォンの画面に視線を戻す。今度は障子を外して障子紙を張り替えている写真が流れてくる。大掃除の中の一つの風景を収めたものだろう、古い障子紙を猫がパンチして破っている写真もあって微笑ましい。
…そうだ、今は年末だ。でも年末感はあまり感じられない。ここ最近は特にそうだ。年末らしい事を何一つやっていないからだろうか。大掃除やら何やら忙しく過ごした覚えはなく、休みを精一杯満喫しようとダラダラ毎日を過ごしていた。たまに用事を頼まれてしかめっ面しながらこなす以外は。恐らく新年を迎える時も同じような感覚だろう。季節ごとの行事に関して無頓着になりつつある私は、ますます日々を曖昧に過ごそうとしている。それではいけない、シャッキリとして日々の移り変わりを感じていかなければと決意したいのはやまやまだが、どうせ日々の暮らしに流されていくのはわかりきっている。所詮そんなものだ。
無駄なことを考えているうちに今度は下りの電車のアナウンスが聞こえて来た。相変わらず、電車は規則正しく停止場所にぴったりと止まる。中には結構な人が乗っている。顔が赤らんでいる人もいる。まさに年末らしい風物詩。
電車に乗り込み、ドアを閉じるボタンを押す。開け放しのまま乗って放置すると電車の中が冷えて寒い。暖かい空気はそれだけで有難い物なのだから。
ガタンゴトンと揺られて、駅に着く。どんどん人は降りていく。席にすわる人々もぽつり、ぽつりと少なくなっていく。相変わらず、座席だけはヒーターの温度が高すぎて眠くなる。退屈しのぎの携帯弄りも飽きて、流れる外の風景を眺める。しばらくは郊外のバイパス道路の大型店舗やマンション、一軒家などが立ち並ぶ様子が流れていたが、数々の駅を過ぎていくうちにそれは田んぼや畑、林の木々へと変わっていく。人の営みの灯りが次第に消えていく。灯りは電車が前を照らすライトと、等間隔に設置された街灯くらいしかない。
更に駅を過ぎる。もう灯りは何もない。林どころか山の中を電車は駆けていく。規則的に私を振動させながら、暗闇の中を通り抜けていく。音はそれだけで、他には何もない。外に見えるものは山と、崖と、大きな河。乗客は私ひとりだけ。他には運転手と車掌だけ。
煌めくライトの光だけを頼りに電車は進む。山を突き抜けたトンネルの先に何があるかなんて、そりゃもちろんわかりきっているけど、もしかしたら別世界に通じて居ればいいなと妄想するときもある。こんな誰も居ない、私だけが乗っている電車であれば行ってもいいだろうよ。
手持ちカバンを対面の席に投げ捨てて、足もどーんと放り出して、気兼ねせずに我が家のように振舞う。
山の中だから携帯電話のアンテナすら立ってない。暇つぶしの為のツールが使えなくなり、本格的に時間を持て余す。何も考える事もなく、久しぶりにぼーっとしている。何時からだっけな、こうやってなにもせずにいる事を勿体ないと思うようになったのは。
山の中の駅から乗り込んでくる客は外気以外なく、ドアは開けては閉じての繰り返しを駅ごとに続けている。アンテナも立たない、暇つぶしの為の本は全て読み切った。となれば、もう眠るしかない。大丈夫、目を瞑るだけだから…。
…お客さん、お客さん、起きてください、終点ですよ。大丈夫ですか?
揺さぶられて気づいた時には、私は降りる駅をとうに乗り過ごしていた。目が覚めた時に車掌の顔のドアップがあったのは、少し心臓に悪い。髭面の強面が目の前にあれば誰だってそうに違いない。
終着駅について降りるも、勿論深夜なので誰も居ないし駅も施錠されている。出入りは裏口からだけ。
降りて、ターミナルに車のない駅前の風景を眺める。人通りも勿論ない。冷えた空気だけが私を迎えている。
さて、どうやって自宅に帰ろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます