1 アイドゥールの冬

 フェルム統一王国首都アイドゥールには、四季がある。

 鳥が謡い蝶が舞い、花咲き誇る春。暑い日差しが地上を照らす夏。実りの秋を経て、やがてしんしんと雪の降る冬がやってくるのだ。

 王都も銀世界に埋もれる、そんな冬のある一日。

「大丈夫だ、落とせ!」

 地上から呼びかける青年の合図に声で応える代わりに、同じ顔をした少年は、平屋の屋根に積もった雪をスコップで勢い良くかいた。積もりに積もった天からの舞い人は、どさどさどさっと風情もへったくれも無い音を立てて地面に落ちてゆく。

 もうかれこれ三時間、この繰り返しだ。腰を屈め、腕に力を込めて作業をしていたので、節々に疲れがたまって痛み始めている。

「よし、もう良いだろう」

 地上の青年の言葉を受けて、屋根にいる少年はほうと白い息を吐き出す。それからスコップを手にしたまま、屋根にほど近い雪の塊の上に飛び降りると、器用に滑って地上に戻ってきた。

「ありがとうございます。陛下の騎士団の方々に雪おろしをしていただくなど」

 二人の元へ腰の折れ曲がった老婆がやってきて、それ以上曲げたら人間として危険ではないかというほどに更に縮こまってぺこぺこ頭を下げる。

「いえ」

 少年の心配をよそに、青年がやんわりと微笑んで、首を横に振った。

「我々はアイドゥール城下、ひいては国中の皆様のお役に立ってこその騎士団だと思っています。今後もお困りの事がありましたら、どうぞお声をかけてください」

 すらすらと口上が出て来るあたりは、伊達に十七年、ヒョウ・カ国王の直属騎士を務めていない。二言目にはエレはエレがの青年の意外な一面を見た気がして、少年はわずかに目をみはった。

 フェルム大陸の真ん中に位置し、比較的温暖なアイドゥールにも、冬は雪が積もる。若い男手のある家ならば、彼らが率先して雪かきを行うが、一人暮らしの者や老いた夫婦などには過酷な労働だ。

 そこでヒョウ・カ王の提案で、冬の間は充分な訓練を行えない王国軍の兵や騎士達の基礎体力作りも兼ねて、彼らが城下の家々の雪おろしを手伝うのが、ここ十数年のならわしになっていた。

 今年は例年より積雪量が少ない。とはいえ、遷都から二十年近く経った今、特に小さな家の屋根に雪が積もりっぱなしでは、重みで家がぺしゃんこになってしまう危険性がある。それを回避する為に、兵士も騎士も階級に関係無く、体力のある者はこぞって街に降り、雪かきに勤しんだ。

 少年――カナタも今は、騎士団の制服ではなく、防寒も兼ねたカーキ色の作業着に身を包んでいる。半年前まで見習い騎士だった少年は、夏の終わり、王国を覆そうとした反逆者を暴き出した功績で、肩書きから見習いが取れ、晴れて正騎士になった。肩に三級正騎士を示す金飾りが一本入り、胸に片刃剣と盾の紋章を抱く制服に変わった。紋章は、かつて大陸に存在した二大大国、セァクとイシャナの統合を示す証だ。

 新たな制服をまとって襟を正したカナタを見た時の家族の反応は、実に様々だった。

 妹のトワ、弟スウェンは『正騎士様だって!』と腹を抱えて笑い転げ、双子の姉ミライは何がそこまでおかしいのか、笑い過ぎて一時呼吸困難に陥った。

 心配性の母エレはそれでも気丈に『頑張ってくださいね』と淡く微笑み、そして父インシオンは『死ぬなよ』と、こちらの頭に武骨な手を載せ、ぐしゃぐしゃとカナタの柔らかい黒髪を撫で回したのである。

「カナタ」

 名を呼ばれた事で、少年の意識は現在に立ち返る。数歩先を行く青年が、「ぼーっとしてると置いてくよ」と手招きで、来いと合図していた。

 異なる未来からやってきて、故あって同じ時間軸に存在する事になったこの青年も、名前はカナタなのだが、

『この時代の「カナタ」は僕じゃなくて君だから』

 と、皆に少年をカナタと呼ばせ、自分の事は『団長』と階位で呼ばせる事が多い。

 昔は相当に傍若無人な性格であったらしいが、歳を経て人生経験を積んだ事で『あいつも大人になったって事だろ』と父がうそぶいていた。

 スコップを肩に担ぎ、もう一人の自分に並んで歩き出す。

 今日の雪おろしの任務は今の一軒が最後だ。すっかり冷え切った身体を早く温めたい。父の直属部下であるリリムが振る舞ってくれる生姜入りの紅茶は、あっという間にぽかぽかになるので好きだ。兵や騎士達を労う為に、彼女がその茶を淹れてくれている事を期待しながら、王城へ向かって目抜き通りを歩いていると。

「今日頑張ったご褒美に、良い事教えてあげるよ」

 隣を歩く大きいカナタが、天気の話でもするかのごとくのんびりと口を開いた。

「ユーリルがまた来るよ」

 その言葉にカナタは思わず足を止め、翠眼を大きく見開いて、ぽかんと口を開けてしまう。もう一人の自分も立ち止まって振り返り、にっと口元をつり上げた。

「まあ今回は非公式っていうか、お忍びでの来訪だから、前回みたいに国を挙げてどうこうって事は無いけどね」

 ユーリル。その名を持つ少女の存在は、カナタの中で非常に特別な意味を持つ。

 去年の夏、王国と西方に潜む反逆の芽を摘む為に旅路を共にした、西方最有力者の娘ユスティニア姫。道中は正体を隠し『ユーリル』と偽名を使っていたが、素性がわかった後も、カナタにはそちらの名を呼ばせた。

 フェルムの王族を籠絡してこい、という彼女の父親の命によって、ほとんどはめられるように恋人のような関係になってしまったが、ユーリルはカナタを憎からず思ってくれているし、カナタもまんざらではない。ユーリルの父ユーカートと、カナタの叔父であるヒョウ・カ王が正式に文を交わして、将来カナタにユーリルが嫁いで、王国と西方の関係を強化する礎になる事が、この半年であっという間に決まってしまった。

 それを聞いた時の身内の感想はまたも玉虫色で、姉ミライは『あんたにお姫様の奥さんとか似合わない!』と大笑いし、弟妹も『お姫様、お姫様!』とテーブルに突っ伏してばしばし拳で卓を叩いた。

 二人が恋に落ちる経緯を最も近くで見ていた大きいカナタは、『ま、当然だよね』としれっと言い放ち、父インシオンには『嫌々じゃねえんだな?』と、王国軍大将と父親、両方の立場から確認を取られた。

 そして母エレは。

『あなたが本当に好きな人と結ばれるなら、私は喜んで祝福しますよ』

 と満面の笑みでカナタに告げたのである。愛する人と添い遂げられる喜びを知っている母だからこその言葉だと思う。『イシャナの英雄』と『セァクの巫女姫』の子供、という大きな肩書きを一生背負ってゆく我が子達に、少しでも幸せに生きて欲しいのだろう。

 ユーリルに、また会える。その嬉しさが頬を温め指先に染み渡って、雪おろしで疲弊した身をじんわりと癒してくれる。

 彼女に会えたら、どうしようか。前回は観光などしている場合ではなかったから、今度は城下街を案内したい。冬でも開いている店はアイドゥールにならたんとある。西方には無いだろう服飾店で王国風の衣装を見繕って、一等の店でこれまた西方には存在しない牛の肉を使った料理をご馳走してあげたい。以前は彼女の獲ってきた猪の肉で閉口させられたが、立場が逆転したら、彼女はどんな反応を示すだろう。

 ああそれとも、自宅に招いて母エレの手料理を振る舞う方が、王国の食事情がわかって良いだろうか。嫁と姑の関係というのは男にはわからない奥深さがあるらしいから、今の内に顔を合わせておくのが良いのかもしれない。でも、きょうだい達はユーリルに詰め寄って話を聞きたがるかもしれない。そうすると、ユーリルを疲れさせるだけか。やはり外で会った方が良いのだろうか。

「にやついてる」

 不意に横から声をかけられて、カナタははっと素に返り口を手で覆う。妄想を巡らせて、顔に出ていたようだ。我ながら浮かれすぎだった。ちらと隣を見れば、大きいカナタはからかいの色を翠の瞳に宿してこちらを見下ろしている。

 同一人物であるこの男には全てを見透かされているような気がするのが癪で、カナタはスコップを担ぎ直すと、殊更むっつり顔を作って、雪かきされた道をずかずか大股に歩いていった。

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