7 心の国境線

 カナタ達はひったくり犯を町の自警団に突き出した後、装飾品店を見つけ出して、ユーリルのペンダントのチェインを新調した。

「ありがとう」

 殊勝にもしっかりと礼を述べて、彼女は元に戻ったペンダントを嬉しそうに首にかけた。

 それから一行は食事を終え、今夜の宿を取る事にした。のだが。

「すみませんねえ、お客さん」

 宿の主人は宿帳に走らせるペンを止めて、それですまなそうに禿頭をかいた。

「生憎この時期は、北のジャハナ・タタに向かう人で一杯で。二人分の一部屋しかもう空いていないんですわ」

 ジャハナ・タタの夏祭りは、旧イシャナと旧セァクの文化が見事に融合した盛り上がりを見せる事で有名だ。祭り最後を締めくくる大型花火も見物で、それを目当てに一家で旅行に出かける人々も珍しくはない。

 三人は困り顔を見合わせ、「仕方無い」と大きいカナタが溜息をついた。

「ユーリルに部屋を使ってもらって、僕らは野宿しよう」

「あら」

 それには意外にも、ユーリル自身が反論を示した。

「私なら気にしない。兄弟達と雑魚寝なんて日常茶飯事だもの。何なら私が野宿しても良いくらいよ」

 そうして腰に手を当て、にんまりと笑ってみせる。

「フェルムの騎士殿達に、野営はきついでしょう?」

「新入りへの洗礼は、先輩兵士からの背負い投げと、一週間の行軍訓練だ。それで二割が脱落する」

 折しも豪雨に見舞われた地獄の訓練を思い出しつつ、にこりともせずにカナタが淡々と告げると、「大した自信」とユーリルは気色ばんだが。

「ここは年長者の顔を立てさせてくれないかな」

 大きいカナタが宿の主に金を払うと、部屋の鍵を受け取り、それをカナタの手に落とした。

「子供は素直に大人の厚意を受け取る事。カナタは騎士の節度を守った上で、ユーリルを守る事」

「こいつと!?」「子供じゃない!」

 カナタとユーリルが同時に不服の声をあげるのを華麗に無視し、大きいカナタはひらひらと手を振りながら背を向け、さっさと宿を出て行ってしまった。

 妻子もいるし、二言目にはエレがエレはと言う彼の事だから、一晩中盛り場で女の子達とよろしく、などという事はしないだろうが、一体どんな風に夜を明かすつもりなのか。自分であって自分でない人間の行動が読めずに、カナタはぽかんと青年の背を見送った。

 ともかく、折角得た部屋を持て余してはならない。少年少女はそれぞれに複雑そうな表情をしながら、階段を昇り、指定された部屋に入った。

 お互い湯を浴びて旅の汚れを落とすと、いつもより砕けた服装をさらす羽目になる。カナタは騎士服を脱ぎ捨てて灰色の寝間着姿だったが、ユーリルもまた、従来の毛皮の服からは想像がつかない、上下白の軽装に身を包んでいる。普段はわからない身体の線と、思いの外豊かな胸、くびれた腰や適度な太さの脚がなまめかしくて、目のやり場に困ってしまった。

 そんなカナタの様子に気づいたユーリルは、不意に目を鋭く細めると、ベッド脇に置いていた荷物からロープを取り出して、部屋の梁から反対側まで渡し、夏掛け毛布を一枚そこに引っかけて、自分とカナタの間に間仕切りをした。そして、少しだけ毛布を持ち上げて顔を出すと、

「国境」

 と低い声で言ったのである。

「越境してきたらただじゃおかないから」

 そう言い残して、彼女はさっと即興カーテンを閉じる。カナタは憮然と口を開けていたのだが、意味を理解すると、恥じらいと、僅かな苛立ちがこみ上げた。

「言われなくても襲ったりしないってば」

 心外だ、とばかりに洩らすと、途端、毛布が再び持ち上げられて、ばふん、と枕がカナタの顔を直撃する。頬を朱に染めたユーリルがぎんとこちらを睨みつけ、またカーテンは閉じられた。

 カナタとて年頃の少年だ。女子に興味を持った事が無い訳が無い。少女達に言い寄られた事も両手で数えきれないほどある。しかしその経験は常に、カナタの異性への幻想を打ち砕くに充分な威力を持ち合わせていた。

 父親の凛々しさと母親の愛らしさを受け継いだカナタの顔はそれなりに美少年で、女心をくすぐるだろう。だが、すり寄ってくる少女達は皆、カナタの外見と、彼に付随する肩書きを目的にしてくるのだ。カナタの背後に存在する、『イシャナの英雄の息子』『セァクの巫女姫の子』という名前を目当てに。

 そこには必ず、彼女達の親の思惑が存在する。英雄と王姉の長男と婚姻関係を結べば、王国内での地位はそれなりのものになるだろう。打算を背負った上で、少女達はまがい物の笑顔でカナタに近づいてくるのだ。決してカナタの内面を評価してのものではない。

 双子の姉ミライもこの手の話で苦労しているのは知っている。年頃になった英雄の長女には、これでもかとばかりに縁談が舞い込んでくるのだ。「まだ早えんだよ」と父が片っ端から蹴り落としているし、当の本人も恋をするより剣を振り回す方が楽しくて仕方無いと公言してはばからないので、いまだに一度も誰かとの対面までは進んでいないが。

 十三歳のトワや十一歳のスウェンにまで見合い話がやってきた時には、さすがに世間知らずの母でも、「王族ではないのに、早すぎるのではないですか?」と困りきった顔で父に相談していたものだ。

『英雄と巫女姫の子供達』

 その名はカナタ達きょうだいにまつわりついて、一生消える事は無いのだろう。

 だが。

 間仕切りの向こうの少女はカナタをそんな風に見はしない。一人の戦士として、あるいは単なる同年代の少年としてしか見ていない。

 それがカナタにとっては意外で、新鮮で。そして、決して不快なものではない。

 じんわりと胸が温まるのを感じながら、布団に潜り込む。温もりの理由を探っている内に、眠りは静かに訪れた。

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