5 西方からの訪問者
少女の手首をつかみ見つめ合う形になったまま、カナタはしばらくの間動く事ができずにいた。黒目がちなつり目。きゅっと引き結んだ薄い唇。炎のような赤毛は短めだが、よくよく見れば男っぽいという訳ではなく、きちんと女としての美しさを備えている。
しかしカナタが驚いたのはそこではない。イシャナのものでもセァクのそれでもない、獣の毛皮を使った衣装。間違いない、つい昨日王城で見た、西方の人間の服装と同じである。
「いつまで人の手をつかんでいるつもり?」
苛ついたように少女がじとりと睨みおろしてくる。そっちこそ人の首根っこをおさえ込んでいるではないか。むくれながら手を離すと、カナタの喉も解放された。
「大丈夫か?」
むせ込みながら息をととのえると、もう一人の自分の声が聴こえる。ようよう追いついた大きいカナタは、少年の上に少女が馬乗りになっている体勢を見て、目を真ん丸くし、それから、困ったように頭をかいた。
「邪魔しない方がいい?」
「助けろよ!」
即座にカナタの悲痛な叫びが袋小路に響き渡る。少女は、カナタともう一人のカナタを見比べて、怪訝そうに首を傾げた。
「親子?」
「残念だけど、違う」大きいカナタが肩をすくめた。「一口では説明できない関係でね」
それを聞いた少女がきょとんと目をみはり、大分間が経ってから、「……ああ」と得心がいったかのように気まずそうな苦笑いを浮かべた。
「すまない、疎くて。お邪魔虫は私だったか」
「違うよ!!」
カナタは本日二度目の怒声をあげる羽目になった。
「いいから退けよ、重い!」
「女性に体重の事を言うなんて、騎士らしくないわね」
少女は呆れ半分に吐息をつきながら、ようやっとカナタの上から降りる。ぱんぱんと手をはたき、服についた砂埃を払い、短い髪に手櫛を通して身を起こすと、思ったより小柄な全身像が露わになった。
ぶつけてまだ少し痛む頭をおさえながらカナタが立ち上がると、少女はカナタともう一人のカナタを、黒い瞳で順繰りに見渡し、
「お願いがあるの」
と不躾に話の口火を切った。
「私をイナトに連れて行って欲しい」
至極簡単に発せられた予想外の願いに、カナタ達は返す言葉を失ってぽかんと立ち尽くしてしまう。
「……それはまた、何故?」
大きいカナタがようよう声を絞り出すと、少女は凛とした光を瞳に宿して、腰に手を当て言い切った。
「ユスティニア姫を救出する為に」
迷いの無い断言に、カナタ達はまたもあっけにとられるしか無かった。
「根拠は?」
「言えない。だが、王国内にも西方にも、内通者がいる」
その言葉には、大きいカナタが殊更大きな溜息をついて、肩をすくめる。
「教えてもらえない根拠の為に、こちらも迂闊に動く訳にはいかないな」
翠眼がすっと細められ、目の前の少女を油断無く見すえる。
「第一、君が何者か、僕らは知らない。僕らをはめようとする西方の間者ともとれる」
途端に、少女がぐっと言葉を呑んで黙りこくる。さっきまでは
「どう取られても仕方無い。私には今、身の証を立てられる物が何も無いから」
だが、と気を取り直した強い視線がカナタ達に向けられる。
「今動かねば、事態は手遅れに向けて過ぎてゆくばかりだ。王立騎士団なら、正規軍とは違ってある程度自由に動き回れるのでしょう?」
「そこまで見越して、僕らが現場検証に来るのを張っていたのか」
大きいカナタが再度息をついて、がりがりと頭をかく。その様子はやはり、想定外の事が起きて困った時に父がするのと同じ仕草なのだが、今はそんな不粋な事に触れている場合ではない、とカナタは言葉を仕舞い込む。
「しかし、ここに来るのが僕らじゃなくて正規軍の人間だったら、どうするつもりだったんだい?」
「その時は、城に忍び込んででも、どうにかあなた達に接触をはかっていたわ」
悪びれた様子も無くしれっと言い切る少女の態度に、カナタは唖然とし、大きいカナタは三度目の溜息をついた。
「そこまで覚悟があるなら、協力しない訳にはいかないか」
少女がぱっと顔を輝かせる。彼はそこに「ただし」と釘を刺した。
「ヒカ……陛下には報告させてもらうよ。仮にも騎士団長が、おいそれと無断でアイドゥールを離れる訳にはいかないからね」
そう言って彼が振り返った先には、いつの間にやら小さな影が膝をついてかしこまっていた。萌葱色の髪に紫の瞳が鋭く光る、小柄な少女だ。動きやすい軽装に身を包み、幼さが残る顔には、しかし決して隙が無い。
「マリエル」
少女の存在はカナタも知っている。叔母であるプリムラ王妃の、懐刀の女性に跡継ぎとして育てられている娘だ。彼女のもとへ歩み寄りながら、大きいカナタは淡々と告げる。
「聞いての通りだ。陛下に報告を頼むよ」
「団長、馬は」
たしか妹のトワと同じ十三だという少女はしかし、若さを一切感じさせない抑揚の無い声で、大きいカナタに訊ねてくる。
「どこか道中で調達するからいいよ。遠出した証拠を王都に残したくない」
「わかった」
言うが早いか、マリエルは音も無く跳ねて路地裏の屋根の上へ消えた。あの少女密偵の姿はカナタも幾度か目にしているが、もう一人の自分以外と言葉を交わしているところを見た事が無い。まるで人形のように淡泊な印象だ。
「善は急げだ、さっさと移動しようか」
大きいカナタが周囲を見渡しながら声を低める。
「どこに裏切り者が潜んでいるかわからない状態じゃ、見張られているかもしれない。できるだけ隠密に、王都を離れたい」
それから、思い出したとばかりに少女の方を向いて、彼は問いかける。
「君の名前は? 道中を共にするんだ、呼び方くらいは教え合っておこう」
そして、僕もこいつもカナタだからどう呼んでもいい、とぞんざいに己とこちらを指差す。
「ユ」
少女は声をあげかけて、何を思ったのかぐっと呑み込み、二、三瞬考え込んだ後で。
「……ユーリル」
と、さっきまでの覇気が嘘のような細い声でぽそりと洩らすのだった。
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