いつか終わる冬の話(4)
傷を負い暴れて走り去った馬を諦め、山賊が乗っていた馬に乗り換えて更に山道を進む。やがて。
「――いた!」
リエラが声をあげるまでもなく、カナタの耳にも、車輪が回る音と複数の蹄の音が聞こえて来た。ぎんと前を見すえて、馬を走らせる速度を上げる。
幌馬車の横で馬を駆る敵は、四人。追手に気づいた彼らは一様に驚いた様子で振り返り、馬車の御者に向けて何かを叫ぶと、抜刀してこちらへ馬頭を巡らせて来た。カナタとリエラも剣を抜き、速度を落とす事無く突っ込んでゆく。すれ違いざま振り下ろされた刃を剣の腹で受け流して、その剣を振り抜く。利き腕を深く斬りつけられて呻く相手の馬の脚に斬りつけると、馬が横倒しになり、走っていた勢いのまま乗り手が放り出されてごろごろ地面を転がった。その際、かぶっていたフードが外れて、褐色の肌に尖った耳介がはっきりと見える。やはりセァクの人間の陰謀だったのだ。
だが今はそんな事に関わっている場合ではない。エレを救えるかどうかの瀬戸際なのだ。尋問など後で他人に任せればいい。カナタは翠眼を鋭く細める。その表情や気迫が、実は一番嫌っている相手の少年期にそっくりだという事は、本人は知らないし、知ったら自分の顔に爪を立ててかきむしるだろうが。
それに気づいていないカナタは、大柄な男に向け馬を突っ込ませると、しゅっと呼気を吐いて剣を振るった。かん、と雪の中に甲高い音が響き、くるくる宙を舞ったのは、敵の剣だった。自分より体格の低い相手に膂力で負けた事が信じられないで愕然とする相手の肩から腹にかけてを、カナタの剣は容赦無く斬りつけ、胸に蹴りを入れる。きっと敵は何が起こったのかすらわからぬまま絶命したに違いない。
残る二人も、リエラがあっさりと片づけていた。馬の脚を斬って機動力を奪い、暗器で四肢を撃って反撃を封じてから、的確に急所を斬り裂く。身に染み込んだ特殊部隊の戦い方を、もう隠さないやり口だった。
短時間で護衛を失い混乱した御者が、わめきながら馬に鞭をくれる。雪道でこれ以上速度を上げたら馬車ごと転倒しかねない。
「止まれ!」
リエラが刺すような語気で怒鳴り、急いで馬車の前に飛び出す。カナタが追いついて御者の首に刃を突きつける。御者は完全におびえきった顔で馬車を止めた。
「こ、殺さないでくれえええ」セァク人の御者は震えながら両手を振る。「俺はこいつらに雇われただけなんだ、何も知らなかったんだ!」
「話はイナトに帰ってからたっぷり聞くわよ」
こいつの言い分はどうでもいい。二人は馬を降り、リエラが呆れ切った様子で手早く御者を縛り上げるのを後目に、カナタは幌馬車の中へと足を踏み入れた。荷運びを装ったのだろう、木の箱がいくつも積まれている。エレはどれかの中に閉じ込められているのだろうか。ひとつずつ開けてゆく手間すらもどかしい。焦れるカナタの耳に、赤ん坊の泣き声が小さく届いた。
「――エレ!?」
呼びかけると、二つ積まれた木箱の、下の箱の中から、ごとん、と応えるような物音がした。カナタは慌てて木箱に取りつく。装っているだけであって、木箱の中身は空で、力を込めるまでも無く上の箱はあっけなく動かせた。下の箱の蓋を開けると、赤ん坊の泣き声が一際大きくなり、いきなり光が差し込んでまぶしかったのか、心底会いたかった女性が、顔を伏せて小さく呻いた。
「エレ!」
ようよう目が慣れたらしい彼女が顔を上げる。エレは両手足を縛められ猿轡をかまされた状態で木箱に押し込められていたが、カナタの顔を見た途端、安堵に目を潤ませた。その瞬間、カナタの胸にも言いようの無い喜びがこみ上げる。エレが自分を見て、おびえるのではなく、安心をしてくれた。それだけの信用を得られたのだと自惚れて良いのだろうか。
抱き上げるようにして木箱からエレを救い出す。口を塞いだ布を解き縄を断ち切って身体を自由にしてやると、彼女は「ありがとう」と涙声ながらも確かに耳元で囁いてくれた。指先はすっかり冷たくて、綺麗な白い肌の素足も真っ赤になっている。この寒さの中、寝間着一枚のままで放られて、身も心も絶望に冷えきっていたに違いない。
「でも、私より、あの子を」
言われた時には、リエラが馬車の中へ入って来て、木箱から赤ん坊を拾い上げていた。長時間闇の中で揺られて母親の乳も得られず、かなり消耗しているだろうに、相変わらず大きな声で泣き続けている。
「おお、よしよし。偉いねえ、頑張ったねえ」
リエラが慣れた手つきで赤ん坊をあやしながら、優しく呼びかける。我が子がそこで泣いているのに手を伸ばせない状況に置くなど、趣味が悪いという言葉で片づけるには悪質すぎる。エレをこんな目に遭わせた連中にまたも怒りが湧いたが、とにもかくにも、最悪の事態は回避できたのだ。カナタはほうと息をついて肩の力を抜いた。
しかし、不意に迫った敵意にはっと表情を引き締め、
「――リエラ!」
同僚の肩を突き飛ばすと同時、背中に熱が走り、足に力が入らなくなってくずおれ、馬車の床にしたたかに頭を打ちつけた。
「カナタ!?」
耳鳴りが邪魔で、エレが悲痛な叫びを上げるのが遠く聞こえる。ぶれた視界の中、目だけを動かせば、先程馬から叩き落とした敵が、刃を手に立っているのが見えた。やはりとどめを刺しておくべきだった。『神の力』が無くなってから余計な手心を加えるようになってしまったせいだ、と思考するが、背中の痛みに、後悔はあっという間に空中へ散ってゆく。
リエラが赤ん坊を抱きながらエレをかばう位置に移動し、逆の手で剣を構える気配がする。だがいくら戦い慣れした彼女でも、二人――動けないカナタを入れたら三人――を守りながら、手負いの獣よろしく自棄になった敵と戦えるだろうか。
(僕に構うな。エレを守って)
そう言いたかったが、激痛が全身に染み渡り、痺れた舌が口の中で膨れ上がっているようで、声が出せない。
ここまで来たのに、エレを守れないまま失わせてしまう。これでは幼い頃と何一つ変わらない。喪意に胸が締めつけられる。
しかし絶望のびろうどは引き裂かれた。透明な刃の見えない軌跡と共に。
がつ、と鈍い音がして、敵が白目をむきがくりと膝を折る。手にした剣が床に滑り落ちて、がしゃんと音を立てた。
「背中の傷は不名誉だなんて言う奴もいるがな」
逆光を浴びて表情が見えないが、その武器と聞き慣れた声が、何者であるかを示している。
「仲間を守ろうとしてついた傷なら、話は別だ。むしろよくやったと褒めてやる」
何でこの男がここに。アイドゥールに行ったはずではなかったのか。答えをもらえない疑問がぐるぐる巡る間に、声の主が外を振り返り、「シャンメル、リリム」と部下に呼びかける。
「残兵はいないな?」
「うん、ばっちりオッケー!」
「伏兵の気配も無し」
やたら軽快な青年と、やたら落ち着いた少女の返事が聞こえる。そして。
「――インシオン!!」
エレが喜びに溢れた声を発して床を蹴り、英雄の胸へと飛び込んでゆく。
結局そいつなのか。悔しい思いはあるが、同時に腹の底から安心する自分がいる事にも気づく。
褒められた。男同士の約束は果たせただろうか。
胸にじんわりと温かく揺れる火を感じながら、カナタの意識は深淵へと滑り落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます