第1章 セァクの祖神祭(1)

 長く降り続けた雪がやみ、今までよりわずかばかり暖かい陽光が降り注ぐ。

 セァク皇国首都レンハストは、フェルム大陸の北方に築かれた古都である。かつて大陸全土を席捲していた帝国の末裔と言われる皇家が治めるその都市は、万年雪深いケリューン山を背にした最奥部の皇城を起点として、城下町が扇状に広がっている。城に向かって一本芯を挿すように通された大通りから細かい道が縦横無尽に張り巡らされ、貴族の住む上層から一般市民の暮らす下層までを繋いでいた。

 その一の道ライ・ジュは、皇国を興した始祖の名を冠している。そのライ・ジュを、黒い軽鎧に身を包んだ兵士達の駆る騎馬兵団が堂々と行進した。掲げる旗は、朱染めの生地に、打ち合わされた二振りの黒い片刃剣。セァクの兵士なら必ず携える双刀である。

 根深い雪を路傍にかき分けて作られた道には多くの民が詰めかけ、悠然と進む騎馬兵を敬意に満ちた眼差しで見つめている。騎馬隊に続く鼓笛隊から、どおん、どん、と、大太鼓の音があがるのを合図に、優雅な曲が奏でられ始めると、人々の興奮は更に高まった。

 鼓笛隊の後からやって来るは、色とりどりの衣装に身を包んだ舞い手達。古の時代『ヒノモト』と呼ばれた東国の民が着ていた衣装を元にしたという、身体の前で身頃を合わせ腰帯で留める服をまとっている。男は逞しい四肢を振るって荒々しく、女は指先から爪先までしなやかに伸ばして艶やかに、セァク伝統の舞を披露した。

 そこに、どん、どん、どん、と警鐘のごとき太鼓が三拍響く。平和だった曲調が突然緊迫感を帯びた音へと変転するのをきっかけとして、舞い手が薄布を頭上にかざして方々へと走り出す。彼らを駆逐するように場に現れたのは、伝説に記される鬼のごとき面をかぶって黒い衣装に身を包んだ、異形の獣の姿をした者達だった。

 このフェルム大陸に跋扈するその災厄はいずこからか訪れ、人を貪り食らって、時に街ひとつを一晩で壊滅に追いやる。人々は奴らを破壊の獣『破獣カイダ』と呼び恐れた。

 破獣役の者達は時に舞い手を追い回し、時に沿道の民を威嚇して子供を泣かせたりもする。しかし、彼らの跳梁を許さない存在が後から現れた。

 赤地に金糸銀糸で蝶の刺繍が施された掛け布を垂らした山車に乗り、しゃらん、と涼やかな音を響かせて、真打が姿を現した。

 年の頃は十六、七。一点の染みも無い白い肌。髪は黄昏時のような赤銀。太めな眉の下の丸い瞳は若草を思わせる翠。衣装は掛け布と同じく赤を基調にした布地に金銀の蝶が舞う刺繍が施されている。蝶は彼女の身分を示す証だ。

 鼻筋はすっと通っていて、きりりと引き結んだ唇はしかし愛らしくも見える。若者特有の危うい幼さを帯びた顔とは裏腹に、ぴんと背筋を伸ばして立つ姿は隙が無い。首元、手首や足首に渡る銀の輪や、髪をひとつにまとめた蒼の髪紐についた金の鈴が、風に揺られて濁り無い音を立てた。

 少女の登場を告げる太鼓が一際大きく鳴ると、沿道の人々の歓声がますます大きくなる。少女は冷たい風に髪をなびかせながら一輪の花のようにすらりと一歩を踏み出すと、迫り来る黒の破獣達を視界に収めて翠の瞳を細めた。

 胸元に光る物に手を触れる。首から下がる細い鎖には、血より紅い赤、炎より朱い赤を宿した、親指の先大の石がつけられていた。世界中の赤という赤を凝縮したような完全なる球体の石に唇をつけると、石がほんのり淡く輝いたように見える。

「セァクの民を不安に陥れる者に、始祖ライ・ジュより伝わりし秘術『アルテア』を与えましょう」

 その唇が、謡うように言葉を紡ぎ出す。

『炎の羽根よ、舞い散りて敵を屠れ』

 次の瞬間、言の葉に応えるように、少女の掲げた手から光が舞い上がった。それは虹色の蝶の姿を取ったかと思うと、群れをなして踊り散る。

 そして、向かってくる黒い獣と虹色の蝶が接触した時、それは起こった。

 蝶が次々と燃え上がったのだ。蝶は赤い尾を引いて獣に降り注ぐと、触れた箇所から激しい炎を吹き上げた。それは一瞬の事で、破獣を演じる人間を本当に燃やしたりはしない。しかし、破獣を恐れさせるには充分な威力を持っているという証に、破獣役の者達は奇声をあげながらくるくる回って四方八方へと逃げ去ってゆく。

 破獣を駆逐する。それがこの祖神祭の目的であり、春の初めを告げる厄落としの役割を担っている。虹色の蝶を受けて成敗される破獣を演じるのは罰ではなく、むしろ神の力を最も近くで身に受ける名誉と目されていた。

「アルテア! アルテア!」

「エン・レイ様!」

「巫女様!」

 鼓笛隊の奏でる曲が明るく転調し、歓喜の声が人々から投げかけられる。エン・レイと呼ばれた少女を讃える彼らは誰もが、褐色の肌に尖った耳介を有している。それがセァクの民が帝国の末裔である証だと言われている特徴だ。

 エン・レイは山車の上から笑顔で彼らに手を振り返していたのだが、その山車が急停止して、かくんとのめりかけた。

「おい貴様! エン・レイ様の御前であると知っての無礼か!」

「わかっております、わかっております。ですがどうかお許しください!」

 山車を護衛していた騎馬兵の怒りを帯びた声に混じり、女性の涙声が聞こえた。エン・レイは山車を降りて道へと足を下ろす。途端、「巫女様!」と悲鳴じみた声と共にがばりとすがりつかれた。

 まだ年若い女であった。エン・レイより二つ三つばかり年上なくらいだろう。美しいはずの顔が涙でぐしゃぐしゃに濡れている。

「ああ巫女様、どうかこの子にお慈悲を! もう五日も高熱が下がらないのです。このままではこの子は、この子は……!」

 その後は嗚咽になって言葉にならなかった。見れば女性はその腕に赤子を抱いている。褐色の肌でもわかるほどに顔を赤くし、ぜいぜいと苦しそうな呼吸をしている。体力が落ちているのは目にも明らかだった。

「巫女様は高貴なお方。貴様一人の相手なぞしておられぬのだ!」

 兵が苛立たしげに女性を引きはがそうと腕をつかむ。しかしその手を横から遮ったのは、他ならぬエン・レイ本人であった。

 衣服の裾が汚れるのもいとわずに膝をつき、女性と目線を合わせる。

「大丈夫です」

 巫女はふわりと微笑むと、赤い石を唇に押し当ててから、その手を赤子の熱い頬に当てる。

『この者の生命力に支援を。回復せよ』

 濁りの一切無い言葉が発せられると同時、温かい光が白い蝶と化して赤子に注がれる。その光が消えると、それまで彼岸を見ていたに違いない赤子の呼吸が穏やかなものに変わり、すうすうと寝息を立て始めた。頬の赤みもすっかり引いている。

「もう大丈夫ですよ」

 優しく声をかける。母親ははじめ、信じられないとばかりに目を見開いて我が子を見下ろしていたが、やがて絶望の涙を感激のそれに変えてエン・レイを見つめると、勢いよく頭を下げた。

「ああ……巫女様、ありがとうございます! ありが……!」

 喜びのあまり続きが言葉にならない女性の肩を軽く叩いて、エン・レイは立ち上がった。

「さすがは巫女様!」

「なんとお優しい方!」

 拍手が沸き起こり、エン・レイを褒め称える声が辺りを包む。最初に女性を制した兵はむずがゆそうな顔をしていたが、ゆっくりと女性のもとに近づくと肩に手を置き、

「良かったな。だが今後こういう無謀はするなよ」

 と優しく声をかける。女性はまだ涙を流していたが、何度もしっかりとうなずくのだった。

 それを見たエン・レイはほっと息をつくと、山車に戻る。山車は一層の歓声の中を再び進み出した。

 今年の祖神祭も上々の出来で終わりそうだ。大役を果たしたエン・レイは自然と笑顔になって、セァク皇城までの道程を、人々に手を振り返して進んだ。

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