第05話 サディスティックスリー


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ばん六時

あしたの風が

くらいやさしい手をのばし

ぼくらに歌ういやな唄

「夢みたか おい 夢みたか

夢みたいのか たくないか」

ああいやだ おおいやだ

夢みたくても夢みない

夢みなくても夢みたい



 岩田宏「いやな唄」より

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     5


「おい、そこ座れよ」

 ヤンキーの男は、立ちっ放しの緑色の服を着た女性に向かってそう促す。彼女はニコニコと笑いながら、唯一空いている青藍の隣へそっと腰掛けた。

「失礼しますね。お邪魔じゃなかったかしら」

「別にぃ。まあ同じ穴のムジナ同士、仲良くやろうや」

 ヘラヘラと笑いながら、青藍は返事を返す。こうして並んでみると、青藍とこの緑色の女は、一種気味が悪いほどに似ている。孝義がそう思っていると、大男ははす向かいの青藍に向けて身体を乗り出した。

「あんたの名前はなんてェんだ?」

「私? 私は青藍。こっちは志田孝義」

 言いながら、青藍は自分の正面に座る孝義を指差す。だが、男は孝義の方向を見もせずに、

「あー、こっちの、コレのことは、ホンットにどーォでも良いんだ」

 と言いながら椅子に背を預ける。そして、さきほどの青藍と同じように正面に座る女性を指差した。

「俺は犬飼真一。こっちは緑青りょくしょう

「はじめまして、緑青と申します。真一さんの『本』をやっております」

「で、その真一くんと緑青が一体私らに何の用かいな? 気になるよなぁ、志田くん」

 青藍の言葉で、テーブルの視線が孝義へと集中する。孝義はというと、テーブルの上に置いてある、ファストフード店のマスコットキャラクターのふざけた笑顔を凝視していたせいか、青藍の言葉に一瞬遅れて

「へっ?」

 と素っ頓狂な声を上げただけだった。それに対し、真一は大きな舌打ちをする。

「チッ! ……まあいいか。あんたら二人はさぁ、もしかして2016号室にいたんじゃねェか?」

「――ッ」

 真一が放ったまさかの言葉に、孝義の顔にはすばらしく解りやすい『まずい』という表情がビシッと張り付いた。思わず彼は真一の方を振り向く。

 そこには、ひどく嫌な——擬音で表すならそれはニタァ……とか、ギシィ……という感じの笑顔を浮かべ、横目で孝義を睨む真一の表情があった。

 ——釣られた、と孝義は思う。だが、もう遅い。

「……図星か。解りやすいなぁお前」

「い、いや、その――」

「褒めてんだよ」

「あ、え? えっ?」

「嘘に決まってんだろボケ」

「あ……」

「あ゛?」

「いえ、なんでもないれす――」

「噛むなよ」

「すいません」

「なんで謝んだよ」

「すいません……」

 ……沈黙。

 ニヤニヤと笑う真一。

 ニコニコと微笑む緑青。

 そしてそんな中、脂汗をかきつづける孝義と、全く興味無さげな青藍。

(つらい)

 孝義は思う。彼が感じていたのは、渾身のギャグが衆人環視の中ダダ滑りした時のような、成功すると踏んで告白したら一笑された時のような、はたまた急いで乗り込んだ列車が通勤通学ピーク時の女性専用車両だった時のような、そういう類の名状し難い、場違い的なイタタマレなさ。

 そしてそのイタタマレなさは彼らの居るテーブル周辺に瘴気のように充満し、「何らかやばそうな会話をしている4人組」という雰囲気を主張し始めていた。その雰囲気は、店員すら見て見ぬフリを決め込み、周囲のテーブルの客が気まずい顔こそこそと店を出るほどで、いつしかイートインスペースには彼らだけとなっていた。

 加えて、窓際であるが故に薄いガラスを隔てた店外へも、じわりじわりとその瘴気は滲んでいく。まだ陽が高い夏の午後、明るく熱気に満ちた太陽が降り注ぐ明るい窓際に、ヤンキーに詰め寄られている少年がいる。その光景に、行き交う人々はドン引きの視線を惜しげもなく注いだ。

 そのドン引きの視線に孝義が気付き、ふと窓の外を見ると、OL風の女性と目が合った。その女性は光の早さで視線をそらし、そそくさと走り去っていく。その背中は完全に孝義を拒絶していた。


(あぁ……帰りたい……今、何を犠牲にしてもいいから帰りたい……!)


 女性の背中を慈しみの目で見送り、孝義は心底そう思った。

 助けを求めて青藍をチラリと見ると、彼女はそれに気付いたようだが、あくまでさりげなく、あくまでやわらかく、彼女は視線を燦々と太陽の降り注ぐ外へと向け、病気療養中の美少女のごとくフゥッとアンニュイな顔を作るだけだった。

(このアマ……気付いてるくせに! なら――ッ!)

 と、孝義はこのテーブルの中で、唯一常識人の雰囲気を持つ緑青へと視線を移す。だが、その瞬間緑青は視線をバッ、と窓の外に移し、ニコニコニコニコと気持ちのよい笑顔を浮かべたまま静止した。心無しか頬が赤く染まり興奮した様子で固まっており、孝義と視線を交わす気配は八ツ股に裂けた枝毛の先ほどもない。

(ひでえ……しかしこのヤンキー、なんでずっと黙ったままなんだ……)

 そこでやっと彼はあることに気づき、戦慄した。

(なんてこった、こいつら、まさか――!)

 このテーブルに着いている、自分以外の3人は、超ドレッドノート級のドSだということに。

 そして3人は3人とも、責め苦に遭っている孝義を見て楽しみ、或いは興奮しているということに。


「…………(あー……早くここから逃げ出したい……!)」

「…………(ニヤニヤ)」

「…………(にこにこ)」

「…………(コーヒーって何で出来てるんだろう、どうやって作るのかなこれ)」

 ある者はわざと、ある者はしかたなく、そしてある者はどうでも良いと思いながら、孝義、真一、緑青、青藍の4人は沈黙したまま、腐海の底で瘴気を吐き出し続けていた。



     ※



 永遠とも思われる沈黙。時間にして約10分、長い長い600秒が過ぎた。孝義がふた口ほどかぶりついたチキンバーガーは、冷房の効果も相まって冷えに冷えている。横に置かれたポテトも心無しかしなびて見え、それらが乗ったプラスチックのプレートに描かれた店のマスコットキャラクターが、孝義を見てトボケた嘲笑を浮かべていた。


 この10分の間、第三者として見た場合、4人には何の動きも見られなかった。だが、膠着状態というわけではない。弱火のフライパンに乗せたベーコンからジワジワと油が出るように、確実に孝義の精神は焦りという炎に焦らされ、彼の全身の汗腺は脂汗を未だかつてない勢いで産生していた。


(…………うふふ、きょうはいいてんき)


 やがて現実に耐えきれなくなった彼は、頭の中にサイケデリックなファンタジー空間を作成。そこで玉虫色をした草人形と一緒に、デミグラスソースの流れるルビコン川の河原で、螺鈿らでん調の花にハンダ線をひたすら結ぶ仕事に就職して現実から全力で逃避しはじめた頃、真一が思い出したように口を開いた。


「あー、そうだ、お前死んだ時に黒い女に会ったろ。あのボサくれた女」

「――え、あ、ジュル、はい」

 孝義は現実に急に引き戻され、余韻の残った顔をしながら、口許のよだれを拭って言う。

 怪訝そうな顔をして、真一は続けた。

「なら、話は早ェな――俺はよ、『関節の爆弾』を持ってる。お前はなんだ」

 突然のカミングアウト。孝義は首をひねった。はて、今まで何の話をしていただろうか、と彼は思う。

 関節に爆弾があるということは、何かスポーツでもやっていたのだろうか。

「……や」

「あ?」

 凄まれ、言葉を飲み込みかけながら、孝義は必死に声を絞り出す。口の中が乾いていたこともあって、簡単な言葉を出すのが難しかった。

 出た言葉は、

「や、野球でもやられてたんですか?」

「は?」

「ぷっ!」

 時が止まった。緑青にいたっては正面に座る真一に飲んでいた紅茶を盛大に吹き出していた。

「うっわキタネぇ! んだよ!?」

「えっ、あ、あの、野球……ベースボール……? え? あの……あれ?」

 言いながら、バットを振るジェスチャーを小さく。

「ブッフォ!」

「ングフッ!」

 もう一度緑青は吹き出し、それに釣られて青藍も吹き出した。コーヒーが西日を受けて汚い虹を作る。

「だから汚ぇって! なんなんだテメェら!」

「ご、……ブフッ、ごめん、気にしないでッヒェ!」

「ひゅっ、ぷふ、ええ、おお、お気になさらずンフゥ!」

 ふたりは完全にツボに入っている。こうして見るとやはり仲の良い双子の姉妹のようだった。

「ったく……いや、だからお前……志田、だっけ? お前も持ってるだろうが、そういうの」

「い、い、いえ僕はスポーツとかからっきしで……あ! じゃ、じゃあサッカーとか……?」

「……何言ってんだお前……はぁ……」

 話にならんな、とばかりに真一は頭をかきながら、呆れたようにため息を吐く。そんなふたりのやり取りが青藍と緑青には面白くて仕方がないようで、彼女たちはテーブルに突っ伏して震えていた。

「……も、もう、犬飼さん。そんな……グゥッフ! そ、そんな風に喋ったらンプフォ、怖がられるでしょう……ヒッヒ!」

 笑いを堪えながら緑青が間に入り、真一を制す。数回の深呼吸の後、緑青は続けた。

「えーと、んふふ。先ほど犬飼さんが仰っていた、『関節の爆弾』ですがね――貴方がそうであるように、人生の一部と引き換えに手に入れた能力のことですよ」

「え? そうなの?」

 孝義はビックリしたように真一を見る。苛ついた様子でその視線を彼が受けとめると、孝義は膝を揃え急いで視線をそらした。

「そこで折り入ってお話がありまして……ちょっとここでは何ですから、外へ――ね?」

「は、はい……」

 最後を濁す形で緑青が外へと彼らを誘う。冷えきったコーヒーを口に運びながら、青藍はその様子をジットリとした目で見ていた。

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