第27話 迷宮に潜ろう その2 

 迷宮に潜り始めて2日目。

 尿意で目を覚ますと、凍太は一人で用を足すために人気のない方向へと向かった。

 石畳が続く回廊。明らかに人工的な壁。まるで何かの遺跡なのだと言わんばかりの風景。

(エジプトのピラミッドみたいだな)

 寝ぼけ眼で、ローブを先を軽く引きずりながら歩く。まだ周りには生徒たちの姿があるので、用を足すにはもう少し奥まで行かねばならない。

(まぁ、多少の敵なら出てきても平気だ)

 そんな思いもある。実際にいままで出くわした敵は弱く、脅威にはなっていない。

 しばらくは安全そうだと踏んでの事だった。

 それから、少しの間歩くと----一角に石畳が途切れて岩がむき出しになっているところがあるのを見つけた。

 岩の周りには草とコケが生えて緑になっている。おそらく湿気の為だと判断して、凍太はそこで用を足すことに決める。周りに何もないことを確認。敵もいない。ズボンを下ろして、用を足し始める。

 ふう---と息を吐く。とじめっとした空気が感じられる。まだ用は終わっていなかった。が、かすかにあたりで物音がしたのを凍太は感じて意識を集中させた。急いでズボンを上げて----ベルトを締める。腰の後ろに差してある『鉄扇』をローブの下で握りながら周りを再度確認したところで----それを見つけた。

 人間では無い---のは確かだった。下半身が蛇の身体であるのだから。加えて、背中には蝙蝠羽が生えそれが後ろから前を包むように、前で重なり合っていた。

(ラミア?)

 一番に頭に浮かんだのは、ギリシャ神話などでよく出て来る伝説の怪物。ヘラの怒りを買い、ゼウスとの間に産まれた子供を全て殺されたあげく、自身も怪物に変えられてしまった女性。

 ラミアは、子供を攫う、人の血を吸うとも言われる。ともいうが、羽はあっただろうか?

「誰?」

 蛇女が凍太に向かって呼びかける。

 見つかっているのだと考えて----

「人間だよ。王国の生徒だ」

 と説明した。

「また人間なのね。1年間に一度きてあたしたちの住処を荒らして帰る。すぐに帰るのなら見逃してあげるけど?」

 声が凄みを増したものに変わるのが、空気で感じられる。奥ではずるずると張っているような音が聞こえた。

「帰るわけにはいかない。こっちも授業の一環でね」

 凍太も逃げられないことを悟って、迎撃態勢を整える。

「小さいのね。まだ子供じゃないの。そんなのでケツァルコアトルの私に勝てると思っているの?ニンゲン」

 笑居ながら近づく、蛇女。

(そうか、ケツァルコアトルだ)

 引っかかりが取れた気がした。確かに言われてみれば。その名の通り翼の生えた極彩色の蛇として表される、マヤ・アステカの神の姿に見えなくもない。

(いきなり神とは、めちゃくちゃだな・・・)

 心中は複雑だった。

 神に抗う力はもっていない。だが、おとなしく殺されるわけにもいかない。

「勝てるとは思ってない。だからこの場は見逃してくれないかな?」

 問いに対してケツァルコアトルはしばし黙考した。

「ふぅん。命乞いって訳ね?ニンゲンにしてはおとなしいほう・・・なのかしらね?」

 値踏みするように、近寄ると尾先で凍太の背中を撫でた。

 近寄ってみれば大人の体よりも少し大きい程度で、約180センチくらいには見える。実際は尾の長さを入れて2メートル以上はあるとみて間違いなさそうだった。

「あなたの住処を荒らしていることは、謝ります。だから今だけでいいんです。見逃して貰えませんか?」

 もう一度、繰り返した。

「野蛮なニンゲンどもにしては、話が出来そうね。いいわ。ちょうどお腹が空いているのだけれど、食べ物はもっているの?持っていたら、全部寄こしなさい。さもないとお前を食べてしまうから」

 目の色が変わった。

 おそらく、ここに至っては食べ物を差し出したとしても----見逃してはくれない。もっとも、荷物は置いてきてはいたが。

「ゴメンナサイ。食べ物はおいてきています。だから・・・・」

 瞬間----構成を編みこむ。そして、言った。

「あなたの餌になることはできない」と。

 言った瞬間に反転して、尾先をひっつかみ、凍らせる。次の一手は、風を相手の顔に叩きつけた。

「ぐぅ----」

 ケツァルコアトルは風を顔面に当てられて、目を瞑る。尾先で打ち据えようとしたが----しびれていてうまく動かない。

 それでも、今度は翼を使って間をあけようと羽を開いた時にぶすりと何かが右腹を貫き----次に血を吐いた。

(まだ!浅い)

 ケツァルコアトルの真後ろから伸びた氷柱つらら

 本当は心臓を一突きにしようと狙ったものだったが、狙いがそれた。

「ニンゲン!」

 怒りの形相で凍太を睨むケツァルコアトル。凍太は後ろへと逃れて1メートルほどの間が空いて---

「壁よ!」

 凍太が叫ぶと同時に回廊が一瞬で凍り付き、凍太とケツァルコアトルの前に氷壁を作る。

 最初から倒すことなど考えてはいない。

 凍太のプランでは気をそらし、壁を作って逃げる事が最優先だった。

 氷壁の向こうではどんっどんっと壁を叩く音がする。

 2枚作った壁はしばらく持つはずで十分な時を稼げそうではあった。が、一刻も早く、生徒と教師たちに知らせなければ----と凍太は一目散で駆けだした。



 どんっどんっ!

 身体に力が入らない。わき腹の出血はまだひどく、尻尾の先はまだ凍ったまま。

 体当たりをして、氷壁を壊そうとはするが、かなり硬くヒビすらいまの状態では入れられそうにない。

「油断した・・・!あの子供・・・」

 見た目が少し良かったので、持ち帰って食べようかとも考えたが----逆に手痛いしっぺ返しを食らう羽目になってケツァルコアトルはを噛んだ。

「なんだ!あの強さ!この魔力!」

 先ほどから打ち据えている氷壁はびくともせず、逆に硬さと冷たさで肩や腕がしびれてきている有様だった。

「いつから、ニンゲンがこんなに強くなった!くそ・・・」

 意識が朦朧とする。

 血が流れ過ぎたのだろうと思い動くのを止めにして、手でわき腹を抑える。べっとりと血が手に張り付いていた。鋭利な刃で切られたかのような切り口。どこかの血管でも切られているのか血が止まるまで時間はかかりそうだった。

 かといって巣穴に戻ろうにも、身体が持ちそうにない。

「・・・・ついていない・・」

 迷宮の壁に身体をあづけるように横たわると----

 ケツァルコアトルの意識はそこで途絶えた。



「ケツァルコアトルが居る」

 その一報が流れて、講習は即刻中止となった。

 地下2階に大型の怪物がいるなど、以前はあり得ないことだった。

 毎年、新入生の歓迎も兼ねたこの講習で迷宮にならしていくというのに。

 下手をすれば、死人が出かねない。

 即刻、騎士隊と魔導士隊で編成が組まれて2階にいる生徒たちの非難が執り行われる事が決まった。

 井戸の底から続々と上がってくる生徒たちの代わりに、騎士隊と魔導士隊が下りて行こうとしたところで、制止する声が在った。

「ワシとヴェロニカもつれて行け。あと、凍太もな」

 ランドルフとヴェロニカが並んで騎士隊へ意見する。

「ランドルフ様とヴェロニカ様は治療のためにここに居てください。討伐は我らが」

 騎士隊の一人が申し出るが、ヴェロニカは首を振った。

「いいえ。ケツァルコアトル1匹で、大人数が動けば却って邪魔になります。氷壁があるのは狭い通路です。

 騎士隊の中から防御に自信のある者を2名。魔導士隊から拘束の術式が使える者を選抜していただければ十分です」

「ケツァルコアトルはラミアの亜種じゃ。ここはこの爺に任せてほしい」

 ランドルフが頭を下げる。

「仕方ありません。導師がそうおっしゃるのであれば、今回は顔を立てましょう。しかし、生徒の安全を期すため騎士隊、魔導士隊は2階の警戒にあたらせていただくが----よろしいですな?」

「ああ、それで構わん」

 騎士隊の責任者とランドルフの間で合意が取れると、すぐに再編成が行われた。

 騎士隊から防御に優れた者が2名。魔導士隊から拘束の術式の要員として1名。それに、ランドルフ、ヴェロニカ、道案内と壁の解除で凍太が同行することになった。


 地階二階に入ると、すでに生徒はおらず、行く先々に明かりが灯され迷宮を明るくしている。

 広間に騎士隊と魔導士隊の各員がぞろぞろと集まってきている。

「案内頼むぞい」

 ランドルフが凍太に案内を命じると凍太は隊の一歩先に進み出て、再び来た道を歩き出した

 約10分も立たないうちに大きな氷壁が迷宮に姿を見せる。まだ破られてはいなかった。

「解呪するよ」

 ぱんと手を打ち合わせると氷壁の下から亀裂がはいり、やがて、音を立てて氷壁は崩れ去った。

 白い煙が消えると、その向こうに壁にもたれるような形で倒れるケツァルコアトルの姿が現れる。

「居た」

「拘束を掛けよ」

 ランドルフの指示で魔導士隊の一人がすぐさま拘束の術式をくみ上げ、発動させる。

 ケツァルコアトルの体に地中から幾重にも黒い鎖が巻き付き、拘束した。

「死んでおるのか」

「いえ。まだ息はあります」

 騎士隊の一人が手を口元にかざして、息を確かめた。

「良かろう。ヴェロニカ。治療を行うぞ、サポートせい」

「畏まりました」

 騎士のもう一人が何かを言おうとしたが、やめた。おそらく、止めを刺せと言いたかったのだろうが。

「血は止まっておる。少し肉は抉られておるが、傷もなく治るな」

「はい」

 状況を検分すると、構成を練り上げる。人体構成に近い部位だからだろうか。

 まるで早送りでもするように体組織が組みあがっていく。まるでテレビでオペを見ているようなそんな光景に

 凍太は気持ち悪さを覚える。

 やがて、身体の表面がすっかり元通りになったケツァルコアトルの姿がそこにはあった。

「成功じゃ」

 ふう----とまるで、医者がオペ後にするような顔で凍太に向きなおる。

 そして、ごちんっと拳骨を頭に降らせた。

「なん----!」なんでと言い終わる前にランドルフは

「まったく、壊すことばっか覚えおって・・・・良いか。万物は壊すのは楽じゃ。されど、その何倍も治す、生かす事は大変。この言葉をよく覚えておけ。厳命じゃ」

 そう言って、

「まぁ、食われそうになったのも事実。及第点じゃろう」

 そういうと、またかっかっかといつもの笑いを響かせた。

 そうこうしているうちに、ケツァルコアトルが動き出した。まずは目が開き、覚醒してから起き上がろうとして、壁に縫い付けられる。

「------!!」

「落ち着けい。何もしやせんわい」

 暴れるケツァルコアトルにランドルフは静かに告げると、嘘のように動きが止まった。

 しかし、凍太の顔を見つけるとまたすぐに騒ぎ出した。

「くっ・・・・ガキめ!イイ様だと思っているのだろうな!」

 罵声を浴びせる。凍太は黙って聞いていたが----やがて、「ごめんなさい」と一言だけ言った。

「な・・・馬鹿にするな!なぜ殺さない!人間の癖に!」

 暴れようとするが拘束されているために動けるのは口と首だけ。あとは動いていない。

「僕もやり過ぎた。ただ逃げるために、ここまでやる気はなかったんだ・・・・」

「なぜ私を助ける!?」

「まだ息があったからじゃよ。ワシらは目の前に生きてるものが居ればまず助ける。これはウェルデンベルグの教えじゃ」

「・・・・・ウェルデンベルグか。忌々しい。我らの住処を負った者が、『まず助ける』などと言っているとはな!笑わせる」

「ケツァルコアトル族は絶滅したと聞いておったのだがな。お前は純血種か?」

「純血のケツァルコアトル族だ。混じり物はない」

「お前の他に仲間は?」

「教えると思うか?」

 睨みつける。相当に悪意がこもっていた。

「まぁ今回の件、手打ちにしてくれると、ワシらも助かるんじゃがな」

「なに?」

「今回の件では、ワシらにも非はあったし、同時におまえも人間を食おうとした」

「それは----」

「自衛の為じゃろう。じゃが、この坊主とて自衛の為に戦った。それは間違いがない」

「だが----」

「そう、あまりにも自衛とはいえ『やり過ぎた』実際お前は死ぬ一歩手前じゃったしな」

「そのことは、これからワシとここに居るヴェロニカでよく教育する。じゃから、矛を収めてはくれんか」

 そこまでいうと、沈黙が流れた。

「-----拘束を解け。もう暴れはしない」

 ランドルフは拘束術式を解くように命じ、即座に術者が解呪をする。と拘束が解ける。

「-----子供よ。食べようとしたのは悪かった。腹が減っていてな。お前の体がうまそうに見えたのだ」

 ケツァルコアトルが謝る。

「僕もやり過ぎたよ。痛かった?」

「痛いなんてもんじゃない。死ぬかと思ったぞ・・・・まぁそのなんだ。ニンゲンは好かん。だからもうここには来るな。われらは決してニンゲンを許したわけではない。許したわけではないが・・・・怒りもそうは長くは続いていない。ただこれ以上、我らの住処を荒らすな。それを守るなら今回のこと手打ちにしてもよい」

「ふむ。しかと承った。ワシからウェルデンベルグに話を通しておこう。それと、今年でこの行事は終了させるようにとも伝えておく。これで良いか?」

「ああ、異存はない。じゃあな、ニンゲン」

 そう言ってケツァルコアトルは身をひるがえす。

「-----そうだ。最後にお前の名を教えろ。子供よ」

「凍太」

「トウタ。か、私の名を教えておこう。私の名はオリビエだ。この名を覚えて、しかとウェルデンベルグに伝えよ」

 伝え終わると、オリビエと名乗ったケツァルコアトルは、こちらを見ないままに、巨体をくねらせて今度こそ奥へと消えて行った。



 地上に戻ると、すでに夕刻になっていた。

 周りはまだ騒然としていたが、すでに生徒たちは各宿舎へ戻り始めている。

 これ以上混乱が広まることはないだろう。

「しっかし、話の分かるヤツでよかったですよ」騎士の一人が言う。

「おれなんか、いつ襲い掛かってくるかと・・・・」魔導士は青い顔をしていた。

「に、しても、疲れたわい。おい。凍太、今日はこれから説教じゃ。覚悟せいよ?」

「そうです。私からもいろいろありますし。お風呂で、おしり『くちゅくちゅ』ですね」

 ヴェロニカとランドルフが凍太を捕まえ、小脇に抱えて攫って行く。

「うぁああん。いやだぁあぁ!説教はいいけど、おしりは!おしりはやめてぇぇ!」

 凍太の悲痛な叫びが夕刻の学舎にこだまする。が誰も聞いているものは居なかった。

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