蒐集癖

姫百合しふぉん

蒐集癖

すっかり色づいた葉も地に落ち薄汚れていくと年が変わるということを感じる。年が変わる、とはいってもそれは自然界の出来事ではなく人間が勝手に決めた区切りを時が過ぎるというだけの話。少しずつ気温が下がりそしてまた暖かくなるだけで、私にとって大きく変わるように感じるのは投稿し採録決定された論文につく数字が変わるだけのこと。

世の中はクリスマスだ、年末だと浮かれているかもしれないが私には何の影響もない。そんなことは本当にどうでもいい事なのだ。私の仕事は裁量労働だから何も気にせず年末も研究をしているだろう。いやそれは裁量労働であろうが無かろうが関係のない話か。年末に親元に帰るのも億劫になっているため、結局実家には帰らず京都で過ごすのだろう。

両親や親戚に会えば私も三十の半ばに差し掛かっているので早く結婚しろ、折角頼もしい職についているのだからと言われる。その事の何が嫌かというと、私の職業は別に頼もしい職ではないのにあの人達が勘違いしている点だ。博士号を持っているだけ、先生と呼ばれるだけの事を頼もしい職だと勘違いしているようだが、給料も良い訳ではなくそれに任期も付いている。唯一つこの職で誇れる事といえば、世界中の誰もが知らなかったことを初めて自分が目にする可能性があるという点だけだ。

そしてもう一つの嫌な点は、私が所謂普通の性癖―――人が正常だと思っている性癖を持っているわけではないということだ。まぁ私は容姿は優れているので何人かの女に言い寄られて何となく関係を持ったことは当然あるのだが別に結婚して親を安心させようとは全く思わない。私は理想に対して完璧主義なのだ。だから私は、美しい少年と愛し合いたいと思っている。結婚は妥協、と良く同僚からも言われたりするのだが私は妥協をしたくない。世で言うところの性的少数者の仲間内でもお前は両性愛者なのだから仲のいい女と偽装結婚したらいいだろうと言われたりもするが性行為をする相手と愛を注ぐ相手は違う。

結局のところ私は世界の法則を、世界の物質が従っている法則を探す際に求められる厳密さと論理の正しさを自分の私生活にも適用してしまっているのだろう。


日はすでに沈み、後は汚く朽ちていくだけの色鮮やかな絨毯も照らされなくなった家路を歩きながら年末の過ごし方を考えていた。まぁ普段は出来ない重役出勤をして研究をするのだろう。誰もいない居室で一人で思考に耽ることの出来る贅沢な時間だ、もちろんそうすると決めている。ただ私は新しい思考に切り替えることができるのだろうか。今まさに私は世界が朽ちていく法則を数式的に美しく表現できる方法を見出したものが採録決定されゲラ刷りを送り返したところだ。あとは何もしなくてもしばらくしたら人々の目に触れる―――まぁプレプリントサーバで既に読んでいる人もいるだろうが―――ただ今は次に踏み込む世界の夢想を出来る段階だ。

これまでの多く見つけられてきた世界の法則、いや正しくは世界の法則を人間の言葉で翻訳したものの中で体系がしっかりしているものは定常の世界のものが多い。それにしてもこと非平衡の世界は分かっていないことが多いのだ、だが私はそれを明らかにする第一歩を歩み始めている。ただ悲しい事に、美しいものはいつか壊れてしまうという事実を人が理解できるように翻訳したという事でもあるのだ。

美しいもの―――ふと気付くともう冬である事を無視した薄い服を着た少年が目の前にいた。

どこか古風な服、艶やかな長い黒髪、切れ長の美しい目、白い肌。指や耳には娼婦のように煌びやかな装飾品をつけた少年がこちらを見ていた。何より私の気を惹いたのはその瞳だった。私の心の中を覗き込んでいるような、そして自分に性的な興味を持っているのなら襲ってもいいとでも言っているような淫靡な瞳で私を見ている。私が彼の瞳を見つめると彼は鼻で笑い、そっぽを向いて歩き去っていこうとした。

―――私は彼を追いかけた。

今思い返してみれば何もかもがおかしかったのだ。白昼夢にすぎないような幻想のような出来事は現実で起こりえてはいけないのだ。ただ私の選択は正しかったとだけは自信を持って言える。


普段から街をブラブラと散策し、よさそうな小料理店で一杯やるのが趣味である私がこれまで見たことが無い風景。彼の魔法にかかってしまったのかフラフラと迷路に迷い込んでいく。ただその迷路は微かな生活の存在を宿した光が蛍のように彩る小路で私は誘われるように彼の後を追う。

ふと気付くと、古風な屋敷の前に立っていた。考えてみるとあの美しい迷路も思い返してみれば生気を感じなかった気がした。身を切るような冷たい風が吹くと葉が擦れる音がして、彼が目の前にいた。彼の美しい黒い髪がカオティックに揺れる様は美しく、私の目は釘付けになる。つかみどころの無いその動きはただただ私の心を魅了し、正常な判断が出来なくなる。

私は彼に手を伸ばそうとすると、彼はこちらを振り向いた。あまりに整った精緻な人形のような彼の美しい顔、そして吸い込まれるような黒い瞳が私の動きを止める。その瞳にある種の恐怖を感じた。淫靡にこちらを誘うような性的興奮を撫でる色彩がありながらも、どこか冷酷な王のような威圧感のある瞳。蟻地獄に嵌って抜け出せずただ捕食されるのを待つだけの蟻の気持ちがわかる―――昆虫に意識というものがあるのかどうかはおいておくとして、彼は私を誘い罠に嵌った途端に私を隷属させようとしているように感じた。ただその罠の精巧な作りに私は捕獲されたことに喜びすら感じている。私の手が掴まれる。白くて細い指をすぐさま獲物を絞め殺す蛇のように私の指に絡めると彼はもうすぐ目の前にいた。

醜いところが何一つ無い美しい顔が私の視界から消えると耳に息をかけられる。普通だったらむず痒いと感じるかもしれないが、もう私の心は正常な状態ではなくただただ快感を得ていた。

「引っ掛かったね?可哀想な子……」

彼の顔は見れないが、面白おかしく笑っている事を確信した。その邪な笑顔は私をどれだけ満足させてくれるのだろうか。そんな事を考えていた刹那、彼の手が私の股間に触れていた。それは私を求めるのではなく、私に首輪をかけるような意味合いを孕んでいる様に感じた。


彼に導かれるように館の中に通される。まず赤い絨毯の両脇に並ぶ石像が目に入る。

通常石像といわれて想像するのはある程度理想化され均整のとれた、ある種不気味な造詣をしているものだが、この石像達は更に不気味さを感じるものだった。

何故かというとあまりにも人間らしすぎるのだ。今すぐにでも動き出しそうな過去の英雄を模したと思われる石像たち。そしてあまりにも多種多様な職業の石像なのだ。

歴史の中の偉丈夫の武士、武士という概念ができる以前の戦士、そして軽装の剣士。近代以前の戦場に身を置くものだけかと思えば、ただの貴族と思しき者や、スーツに身を包んだ紳士、第二次世界大戦の頃の旧帝国軍の兵士。―――思うに彼らは元々生きていた人間で石像にされたのではないのだろうか?まぁそんな非科学的なことはありえない、と私は鼻で笑う。彼もそれに釣られて笑ったように見えた。


彼に通された部屋にはラベルも貼られていない酒が入っていると思われる瓶が幾本も机の上に並び、美しい色とりどりの切子のグラスが彩る。そして、その向かいには虎柄のソファーが鎮座していた。彼がそのソファーに座りこちらを向くと美しい白い腕がこちらに伸びてくる。

「君は座らないのかい?」

 私は微笑んでその手をとると彼の横に座る。

「何が飲みたい?何でもあるよ」

私にしなだれかかりながら私に酒を勧めると私は日本酒が好きなので、どれが日本酒であるかを聞いた。彼は何も言わずに切子のグラスに液体を注ぐと私の前にそれを置く。

私は杯を乾かした。清涼な水のような飲み口、まるで夏の盛りに長い距離を歩いた後に飲む岩清水のような感覚を得る。後から沸き立ってくるのは秋の果実を感じさせる華やかな香り。そしてアルコールを摂取した暖かさがゆっくりと立ち上り私を満足させる。はっきりと言えばこれまでどのような高い日本酒を飲んだときよりも満足している。

「これはどこのお酒なんだ?」

出来ることなら毎日飲みたいくらいの美味しいお酒だった。だが彼はその問いには答えず妖艶に笑ってこちらを見ただけだった。


「形があるというのはどういうことだろう?」

いくらか飲んでいると彼は口を開き私にそう問いかけた。そしてその美しい手を私の頬に添えてくる。アルミナの坩堝のような白磁の肌はどこか青白さを孕み、もはや生気を感じないものだった。美しすぎるということは、生命を孕んでいる色合いを欠如するということだろうか。

「命があるとは、時間とは、それはどういうことだろうか?僕はいつも問いかけるんだ」

そういうと彼の顔が私に近づいてくる。そして彼が目を閉じるのを確認すると私も目を閉じる。その問いかけに、私がまじめに科学的に答えを返すのはあまりにも無粋だろう。だから何も言わずに彼と接吻を交わす。どちらともなく舌は両者の内側を行き来する。

舌というのは性器のようなものだといつも性交をするたびに思っていた。腔内はむき出しの肉で、性器がそれを奪い合うように舐めあうのだ。彼が私のペニスに手を這わせ始める。接吻を交わし始めたときから既に硬くなっていたそれを外気に触れさせ、そして彼が優しく撫でる。

「剃っているんだ、僕は美意識が高い男は好きだよ。僕のも触るかい?」

私は何も言わずに彼の股間に手を這わせる。私のものよりは小さいが立派で硬いそれを触るだけで脳内が喜びで満たされる。無言で私達は快楽を求めあう。水音、息の音、布が擦れる音。音を分解していくとこれだけ多くの要素があるというのに、静謐という言葉で形容したくなる空間。お互いに快楽で身体の平衡感覚が壊れていき、支えるための片方の手がお互いの肌に強く食い込むようになってくると息が荒くなってくる。そしてどちらともなく射精をすると痛みを感じるほどに私の背に彼の指が食い込む。

私も強く彼の身体を引き寄せたから、彼も痛みを感じているのだろう。

「はぁ……気持ちいい」

彼は息を切らしながら接吻をやめると、切子のグラスにどちらのものかも分からない精を掬い集める。そのグラスを目の前に持ってこられるとあまりに多い量に、こんなにも出したのかと我ながら感心してしまう。

彼がそれを口に含むと私達はまた接吻を始める。体の内側で唾液と精液が混じりあった粘り気の高い液体を何度も交換しあう。それが喉の奥に少しずつ流れ込むたびに直接下半身に力が再び集まっていくのを感じた。


「人はやがて死ぬ、英雄だろうと等しくそれはやってくる」

彼はそういって、薄く紅色が差した瓶を手に取ると自分の身体に中の液体をかける。

それに触れてみると粘り気のある潤滑剤であることが分かり、あとから花園の匂いが鼻を通り抜ける。こういうときに自分が花に詳しくなくそれを例えられない無教養さを恨んでいると彼はソファーからずり落ちその蜜を自分の胸にかける。なるほど、とても扇情的だ。既に彼の衣服ははだけており彼の身体付きが露わになっていた。

第二次性徴を過ぎた後を感じさせる女性より少しだけ角ばった肉体。薄く色づいた乳首。薄い胸板を過ぎれば、影がうっすらと肋骨のラインを描いていた。少しだけ割れている腹筋に緩やかなグラディエントで二次元的に極小点を描く臍。彼が蜜で塗れた手で私のペニスに触れ蜜まみれにすると私を導く。

「死は平等、みんなはそういうんだ。でもそれは本当のことかな?」

私と彼は繋がった。下半身だけではなく全身で彼を感じたいという欲求で横になった彼を後ろから抱きしめる。私が冷静ならば性病の事や、腸内で射精すると挿入された側がその後酷い腹痛を感じるだとかそういう事に気を配るのだが、そういったことはもう私の頭から消え去っていた。

彼が嬌声を上げる。その少年とも少女ともつかない声は私を泥沼へと引きずりこんでいく。もっと聞かせて欲しい、私は彼の耳を甘噛みする。耳というものの造形はどこか気持ち悪さを感じるのだが、彼の白い耳のなだらかな曲面はむしろ美しさすら感じる。

彼は快楽を歌うように嬌声を上げる。私の耳に音が突き刺さり脳が痺れたような感覚に襲われる。彼の細い首筋を舐めれば優しい果実の香りとその中にひっそりと潜む少年を感じさせる薄い汗の匂いが鼻から私の中に入り込み、私を狂わせる。

私のペニスは大きいため普通は奥まで挿れずに、感じてもらえる部分を擦ったりするのだがもう相手の事を気遣うことなどせずに快楽を彼から貪っていく。彼のペニスを触ってみればとめどなく透明な液体が流れ出しているのがわかり、私が前後するたびに彼は声を上げる。

「ああ、もっと歌ってくれ。美しい歌が聞きたい」

私は完全に熱に浮かされ芝居がかった口調で彼を激しく突く。私が指揮者で、彼が歌手。いや本当は彼が指揮者で私が演奏する側なのかもしれない。それよりもっと正しい例えは樹液に集まる虫たちだろうか。ただ私にはそんな溺れた下等生物よりも私達が交わる姿のほうが美しいという根拠の無い自信があった。


どれくらい彼と快楽に溺れていただろうか。ありえない程の精を吐き出し、精を飲みあい、唇を奪い合い私は完全に疲れきっていた。私は立ち上がりシャワーが無いかを彼に聞こうとした。

―――やはり何かがおかしかったのだ。私の足は石と化していた。

「人は誰しもが心の中に闇を抱えている」

そう、私はその闇の中に足を踏み込んでしまっていたんだ。この屋敷に着くまでの風景の輝きの生気の無さ、輝いていもそれは闇を照らす明かりではなかったんだ。

「心に空いた穴は寒くて痛くて、誰もがそれを外に曝け出すのが怖くて何か別の欠片で穴を塞ごうとする」

私はその穴に快楽の蜜を詰め込もうとしていた。樹液に集まる虫のようにそれを貪った。その蜜が食虫植物の罠だとも気付かずに。

「英雄は誰よりも死を恐れて、満たされないその穴を名誉で埋めようとした人達。彼らは死が怖いから誰かに自分の事を語り継いで欲しかったのかもしれないね」

私は誰も知らない事を見つけ出す―――誰もが知らない自然という言語の翻訳を見つけることで自分を語り継いで欲しかったのだろうか。

「ここにいる子達は英雄になれなかった子達、いや彼らは英雄よりも必死にその闇を埋めようとして、闇を覗いてしまった子たちなんだ」

闇を闇で埋めていく不毛な行為に没頭した哀れな存在、それが私だったか……。

「僕はそういった子達を蒐集するのが好きでね、そんなとても人間らしい彼らに永遠を与えてあげたかったんだ」

永遠、そんなものなんかあるわけないだろう。でも彼が言うなら本当に存在するかもしれない。彼にはそれを本当だと相手に思わせる力がある。英雄達を従える力、いや彼こそが真の王とでも言うべきか。美しさと妖艶さと快楽でおびき寄せて、優しさの蜜で私達の心の傷を埋めて、心に首輪をかける真の支配者。

「僕はそんな彼らを愛してるから」

胸元まで石になってきている。私は微笑んだ。

「私も君を愛している」

彼が私に見せた微笑、それは美しく愛らしく、それでいて優しくて全てを許してくれる、だけれどもその瞳の奥には燃える快楽を秘めていた。多結晶体は―――これから私がなるそれは本当に平衡状態なのだろうか。こんな事を最後に考えてしまう自分は心の底から研究者だったのだろう。


彼の王国は快楽で満ちていた。

最初に与えられたのは苦痛だった。彼は時折、コレクションを生体に戻し性行為を見せ付けるのだ。私の心の中で嫉妬の炎が燃え上がりこの身を焼くのだ。どうしようも無く彼を求めても、石である私では彼に手が届かない。彼を一番満足させられるのは私なんだ、今すぐ彼と交わり快楽に溺れたい―――彼と交わっている他の奴が憎い。

一頻り彼が快楽に溺れる姿を見せ付けられた後に私の番が回ってくると気が狂ったように彼と交わり快楽を貪る。

あぁ、私は完全に彼に支配されてしまった。精を飲ませられ、尿を飲ませられ、彼に精を吐き出し、舌を交わらせ只管彼の事しか考えずに性行為に耽る。私達は奴隷で、彼が王。ただ他の生きている人間達と違うのは、彼こそが真の王であり、真の支配者であり、私が心から彼に服う事が当然の事であるという所だ。

ペルソナ―――人は外的世界に対応するために仮面を被る、とは誰の言葉だったか。そのあまりにも重たい仮面を生まれたときから被せられ服従し奴隷となる。仮面を外そうものなら鞭打たれ、傷と共に奴らの教義をその身体に刻まれる。やがてその重さと傷の痛みに耐えかね人は醜く年老いて死を受け入れる。思えば、人は誰に服従しているのだろうか。


私は幸せだ、奴隷であってもその服従する相手が誰よりも美しい真の王である彼なのだから。

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